別れ
白峰とアサが短い休日を経た後。彼らはそれまで通りの過密スケジュールに戻って、慌ただしいながらも順調に仕事をこなしていった。
途中、白峰がイシュテンの王子に挨拶に伺った際には、当初は二人の間に妙な緊張感が漂っていたが、それも彼らが別室で二人きりで何事かを話あった後は嘘のように解消されていた。
その時、二人で何を話し合っていたのか関係者は詳細を詳しく聞こうとしたが、それに対して彼らは答えようとはしなかった。ただ、日本とイシュテンの代表として未来に変わらぬ友情を互いに誓い合ったとだけは言っているので、大きな問題になるものではないと考えられている。
イシュトリニスの飛行場で。アサの両親、そしてアイリャに見送られながら、彼らは帰りの飛行機の前に立つ。
「それでは、自分達はこれで失礼します。短い間でしたが大変お世話になりました。このご恩はきっと忘れません。アイリャさんにはあれから何度か、日本風料理の差し入れもして貰って、本当に助かりました。本当に、美味しかったです」
「いいのよ。あれくらい別に。今度あなたが来るときは、もっと沢山の日本料理を覚えておくから、楽しみにしていて頂戴」
「ありがとうございます。そのときには、お言葉に甘えさせて頂きたいと思います」
「ええ。約束よ。それと、なるべく早く来てね? 私、待っているから!」
潤んだ瞳を浮かべ、上目遣いでそう言ってくるアイリャに、白峰は笑顔を返した。
「私も、父さんや母さん達がいて、心強かったわ。本当にありがとう」
「いやいや、お前の方こそ、考えていた以上にしっかりとした働きぶりで、安心したよ。ルテシアに帰ってからも大変かも知れないが、しっかりな」
「キィリン。元気でね? 体には気を付けるのよ?」
「分かっているわよ。母さんや父さんも元気でね? 無理しちゃダメよ?」
分かっていると、アサの親達は頷いた。
彼らに深く頭を下げ、白峰は踵を返し飛行機に乗り込んだ。そして、アサもそれに続いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
行きと同じく、帰りも数日を使って、飛行機はいよいよルテシアに到着しようとしていた。
イシュトリニスに滞在していたのは、概ね約一ヶ月と少し。忙しかったこともあり、長いようであっという間に過ぎた。それでいて、忘れられないことが多い、濃い一ヶ月であったというのが、白峰の思いだった。
「随分と、落ち着かない様子ね?」
不意にアサに声を掛けられ、白峰はビクリと体を震わせた。
「そんな風に見えましたか?」
アサの方を向いて、白峰は少し気恥ずかしげに、頬を指先で掻く。
「そんな風に見えたから、言ったのよ? さっきからしきりに溜息を吐いたり、窓の外を見て唸ったり。何か気になることでもあるのかしら?」
「ひょっとして、シラミネさん。催してしまいましたか? それなら、ご遠慮なく言って下さい。ここら辺は、街道に近いので着陸可能です」
「違います! そっちは大丈夫です」
アサに続いて、操縦席から訊いてくるクムハに白峰は慌てて答える。
「そうじゃなくて、あともう少しでルテシアに帰れるのだと思うと、何だか気が逸ってしまって」
「あなたそんなにも、帰りたかったの?」
「そういう風に言われると、ちょっと違うような? 何て言うか。それなりの時間離れていたので。帰ってルテシアにいるみんなの顔が見られるのだと思うと、それが嬉しいというか。そんな感じです。話したいこととか、色々あるので」
「なるほど。それもそうね。分かる気がする。色々とあったものね」
「はい。色々とありました。本当に、一生忘れられないような出来事が」
ふと、休日での出来事を思い出してしまい、白峰は遠い目を浮かべた。一方で、彼が何を考えたか察して、アサが牽制の視線を送る。
「分かってます」と白峰は口の前に人差し指を立てて、頷いて見せた。「それでよし」と、アサも頷く。
正直なところ、白峰としてはこれはミィレには話してしまいたい話題ではあるのだが。アサとの約束というのもそうだが、それ以上に破ったことがバレたらイシュトリニスの王族からの信頼を失い、ひいては外交における多大な損失を招くリスクがある。とても話せるようなものではない。
今こそ、王様の耳はロバの耳に出てくる床屋の気持ちが、白峰には分かる気がした。
「シラミネは、ルテシアに帰ったら何かしたいこととかあるかしら? 私は、家に帰ったら夕食に好きなものを頼んで、ゆっくりとお風呂に浸かって、ミィレに王都での話を色々としたいわ」
「そうですね。自分は――」
そこまで言うと、白峰の頭にミィレの顔が浮かんだ。
自然と笑みが浮かぶ。
「はい。自分も、ミィレさんに会ったら、色々と話がしたいです。お土産も買ってきましたから」
「ふぅん?」
と、アサから妙な視線を向けられていることに気付いて、白峰は首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「いえ別に? あの様子だったから、そんなに心配していたわけじゃないんだけど。思った通り、アレに気付いていなかったようで安心したわ」
「何がですか?」
「いえ、何でもないわ。特に、外交的には問題が無い話だし。むしろ、気付いた方が問題になる話だから。あまり気にしないで頂戴」
そう言って乾いた笑いを漏らすアサに対して。白峰は困惑した。困惑するだけで、思い当たる答えが何一つとして見つからなかったのだが。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ルテシアの飛行場が見えてから、ゆっくりとしかし確実にその姿は大きくなり。
飛行機は軽い衝撃と共に、着陸した。
アサに続く格好で白峰は席を立ち、飛行機から降りていく。
彼らをティケアと海棠が出迎えてくれた。久しぶりで、見たかった顔だ。
しかし、白峰はその光景に、心がざらつくものを感じる。
彼らの中に、ミィレの姿は見付けられなかった。