二人の秘密
アサは努めて感情を抑えながら、待ち人の元へと向かう。
ともすれば、感情の赴くままに暴れてしまいところだが、それは何とか堪える。
「キィリン。俺が言えた話ではないのかも知れないが、くれぐれも穏便に頼む。無理にとは言わないから」
「ええ、分かっているわ」
固い口調で言ってくる父の要望に対しても、彼女は素直に従う。父や母が置かれた状況を慮れないほど子供のつもりもないし、そんな事を言える立場ではないことも分かっている。
それでも、父と同じく声が固くなってしまうのも、無理からぬ事だと思っているが。
再会した父も母も、安堵と怒りと申し訳なさが入り交じった複雑な表情を浮かべていた。
アサがシラミネに連れられて外交宮に行くと、今度は母と一緒にこの建物へと連れられた。ちなみに、シラミネや外交宮にいたアイリャとはそこで別れている。
アサは軽く溜息を吐いた。
ここに連れた来られた理由については、道中に母から聞いた。何となく、薄々そんな予感がしていたところはある。大事な人間と会う予定があるみたいなことは聞かされていたのだが、その相手というのがどこの誰なのかさっぱり分からないし、教えてくれなかったのだ。
仕事であるなら、そんな予定はまずあり得ない話だ。
お見合い。
それが、彼女がここに連れてこられた理由である。
本当に面倒なことになったというのが、アサの正直な思いだった。とても、両親には聞かせられないが。
これが、相手が父の同僚の息子とか、大臣の息子とかいうのであれば、まだ何とでも話そのものを断ることが出来たかも知れない。というか、母が言うには父もこれまでは度々そうして話を躱してくれていたそうだ。今は外交的にも、娘の仕事においても大事な時期だからとかそんな事を仄めかして。
しかし、今度ばかりは、そうはいかなかった。何しろ、相手が相手なのだ。
オーワティア=リィレ=イブン。イシュテンの第一王子である。王室の影響が強いこの国において、その話を断るというのは流石の父でも無理だろうとアサも認める。
とはいえ、相手が誰だろうと、アサは既に答えを固めていた。これは、絶対に譲れない決意だ。自分は、自分が本当に一緒にいたい相手と巡り会うことが出来た。互いの想いを確信してもいる。それを破っては、女がすたる。
これから会う王子に多少の心苦しさはあるものの、そこの筋は通させて貰う。アサは固く誓った。
いよいよ、見合い相手が待つ部屋へと辿り着いた。
「それじゃあ、キィリン。入るよ。くれぐれも、失礼の無いようにな?」
アサは頷いて、ユグレイが開けた扉の中へと進む。
鮮やかな菓子が置かれたテーブルの横に、彼は立っていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
見合いは、無言から始まった。
アサは何も言わないし、その見合い相手である王子も何も言わなかった。
二人は見つめ合いながら、ぎこちなく笑みを浮かべる。
「そ、その。お初にお目に掛かり、恐悦です殿下。この度は、我が娘キィリンにこのような機会を頂き大変に感謝しております。娘も、あまりにも急で、光栄な出来事でして。些か緊張しているようでして」
と、隣で必死に弁解する父の声がするが、アサの頭にはいまいち入らなかった。
「ああいやあ。そうですな。いやはや、殿下もお嬢様の魅力的なお姿に感じ入っているのでしょう。そう、お気になさらず。肩の力を抜いて下され」
王子の隣では、ユグレイよりも更に年上の男が席に座り、ぎこちなく笑みを浮かべていた。
しかし、彼らが必死にこの場を取り繕おうとしても、彼女らは無言を貫いた。
重苦しい沈黙がその場に舞い降りる。
やがて――
「テンラ。そして、ユグレイさん。悪いが、少しの間席を外して貰えないだろうか? 僕は彼女と二人きりで話がしたい」
顔を強張らせるテンラ。そして、ユグレイにアサも笑みを浮かべて続ける。
「そうね。そうして欲しいわ。お父さん。お願い」
彼女らの願いに、二人は顔を見合わせる。
「分かりました。殿下がそうお望みでしたら。私は失礼致します。あの、キィリン殿? こう見えて、殿下は本当に良いお方ですぞ? 少し、女性に奥手なところもございますが。無理に好きになれとは申しませぬが、どうか、少しでも殿下のことを知って下されるよう、お願いし申す」
「はい。私も、失礼します。殿下、キィリンをよろしくお願い致します」
如何にも不安たっぷりといった表情で立ち上がり、とぼとぼと部屋の外へと出て行く彼らの背中をアサと王子は見送った。
そして、彼らの姿が完全に消えたところで。
「何で君がここにいるんだっ!?」
「それは私の台詞よ。どうして、あなたがここにいるの? どう考えても、おかしいでしょ?」
二人は一気に、口を開いた。
「あ、その口ぶり。やっぱり君で間違いないんだな? アーシャ? 昼間と印象が違うからまさかと思ったけど。記憶喪失って言っていたのも、嘘だったんだな? 偽名まで使って」
「あなたが言わないでよ! よりによって、いきなり聞かされたお見合いの相手があなただなんて。私、ここに来るまで本当に覚悟していたのよ? 一歩間違えたらってどうなるかって。何よレイって。どこからそうなるのよ?」
「リィレ=イブン。のレとイを繋げたんだよ」
「分かるわけないでしょ!」
「分かったらむしろ困るだろう」
アサは半眼を浮かべる。
「というか、あなたこの見合いのこと知っていたの? ひょっとして、昼間のあれは私を弄んでいたの?」
「そんなわけ無いだろう。僕も聞かされたのはついさっきだ。白状すると、君がここに来るちょっと前まで、テンラと大喧嘩していたんだぞ。一昨日まで外遊していて、やっと帰って一息吐けると思ったら、よりによってお見合いしろって。逃げ出したくもなるさ」
「ひょっとして、だから家出していたの?」
「まあ、そうだよ。僕だって限界だったんだ。何もかも雁字搦めな人生なんてうんざりだって思ってしまったんだよ。当然、この見合いだって最初は断るつもりだった。いや、本当に外遊から戻ったばっかりで新聞を見る機会もろくに無くて、君があのアサ=キィリンだって気付かなかったんだ」
「ああ、そういうことだったのね」
「というか、君の方こそ僕の正体に本気で気付かなかったのか? そりゃあ、確かに変装していたし気付かれていても困ったけれど」
「全然、気付かなかったわ。だってあなた、ほとんどメディアに露出が無いんだもの」
「それは。まあ、そうかも」
呻きながら、レイは顔を背ける。
「それも何か、理由があるのかしら?」
「顔が知られている状態で街中に出歩いているのを知られたら、面倒なことになるから。極力、そういう機会は無いようにしているんだ。父上や母上には、しょっちゅう咎められているけれど。もっと、人前に出ろって」
それを聞いて、アサは苦笑を浮かべた。
「でも、お見合いを断るって、どうするつもりだったのかしら?」
「それは簡単だよ。正直なところ、自慢じゃ無いけれどモテないことには自信がある。放浪王子の話とか格闘術の話を熱っぽく語れば、それで大抵の女の子はうんざりしてくれるから。正直、そういう相手と巡り会えたらとか思っていたけど、同時に諦めてもいたが」
「世の女も見る目が無いわね。あっても困るけれど」
やれやれと、アサは肩を竦めた。
「そう言う君はどうなんだ? このお見合いをどうするつもりだったんだ? まさか、あんな風に言っておいて――」
「そんなわけ無いでしょう。私だってイシュテン女よ。相手が例え王族だったとしても、心に決めた相手がいるのなら、その人を選ぶわ。そうね? 仕事のことを熱心に説明して、今は仕事が恋人とかそんな風に言う作戦だったわ。後は、放浪王子の話ね。私にこれで着いてこれる人は、早々いないはずだもの」
「なるほど」
レイは大きく溜息を吐く。
「というか、昼間の話はどうする? 僕としては、当分は黙っておいた方がいいと思うのだけど」
「そうね。いつか、話せることはあるかも知れないものね。それまでは――」
あ? と、ここでアサは思い出した。
「どうかしたのか?」
「ああうん。夕方にあなたが思いっきり頬を殴ってしまった男の人何だけど」
「あの男か。あの男が、どうかしたのか?」
レイは目を細める。
「あの人絶対、勘違いしているから『重要人物』の意味は後で彼に説明して置くけれど。ちなみにあの人、シラミネ=コウタよ。変装していたけれど」
「シラミネ?」
アサは頷く。
「ええ、ニホンから来た外交官よ」
アサがそう言うと、レイは青ざめて絶句した。これはきっと、真相を教えたらシラミネもだろうなとアサは思うけれど。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
少しだけ扉を開いて。その僅かな隙間から恐る恐る、ユグレイとキリユ、そしてテンラは部屋の中の様子を覗いた。
何しろ、二人は会うなり無言。そして、耳をくっつけたドアの向こうからは途切れ途切れに、どうもこのお見合いを断るつもりだったような内容が聞こえてくるのだ。
その結果がどうなるのか。全員、胃が痛くて仕方ない。
しかし、隙間から見えたその先で。
「ねえあなた? これは一体、どういうことかしら?」
「さあ? 全然、訳が分からん」
「殿下ぁ。よかった。本当に良かった」
アサとオーワティア=リィレ=イブンは、大変に意気投合し、盛り上がっていた。
その光景を見て、何が何やら分からないながらも、彼らは胸を撫で下ろした。