愛故に
どこを向いても人の姿はあるが、歩く分には困らない程度の混雑具合の中で、白峰はその姿を見付けた。また、変装する格好を変えているか。あるいはそれで見逃してしまったかと不安にもなったが、こうして見付けられたことに安堵する。
あからさまな態度は見せていないが、周囲を警戒している雰囲気は感じ取れる。まず、間違いない。
備えられたベンチから立ち上がって、白峰は正面から向かっていった。
すぐにアサ達は白峰の姿に気付いて、顔色を変える。
「話がある。悪いけれど、このままあなた達をこの先に進ませるわけにはいきません」
腕組みをして、仁王立ちになって白峰は彼女らの前に立ちふさがった。
「くそっ! やはり、貴様はここにいたか」
「お願い。見逃して。ここでの用が済んだら、すぐに戻るから」
顔をしかめる男の隣で、アサが懇願してくる。その切ない表情に、白峰は心が揺れ動かされそうなのを堪える。そして、深く、息を吐いて。心を落ち着けて、言う。
「悪いですが。そういう訳にもいきません。ここが、どういう場所なのかを知った以上は、尚更です」
「僕達がどこに行こうと、お前に邪魔される筋合いはない。それとも何か? 彼女は、お前にとっても重要人物だとでも言うつもりか?」
強く怒気を込めて訊いてくる男の問いに、白峰は答えていいものか少し考える。
「そうですね。彼女が自分にとって重要人物であること。それは間違いありません」
どこまで、情報を開示していいものか? それを考えた上で、秘匿すべきところは秘匿出来るのだから、白峰は問題無いと判断した。
アサが絶句したというか。面食らった表情を浮かべてくるのは、少し気になったが。
一方で、彼女の隣にいる男はますますヒートアップした様子を見せてくる。
「やっぱりそうか。それを聞いた以上は、僕も絶対に退くわけにはいかなくなった。悪いが、力尽くでも通させて貰う」
「ちょっとおっ!? ちょっと待ってレイ? 落ち着いて。多分この人、何か勘違いしているから。それにここ、人目に付くわよ? 手荒な真似は止めて! あなたも、この人に暴力を振るったりしないで。私を助けてくれただけなの」
「アーシャ。悪いけれど、止まるわけには行かないんだ。少し、離れていてくれないか」
男は手で制して、アサの傍から一歩前へと進み出た。
「お前のその根性だけは、認めてやるよ」
指を鳴らして、白峰もまた男の前へと進む。
「彼女が世話になったというのは本当だろうと思う。それに、あまり暴力的な真似をするのはこちらとしても望まないところだ。殴る。蹴るといった真似はしない。投げる。締める。極めるだけで相手してやる」
「ああ、こっちこそ望むところだ。だが、ここでは少し人目に付きすぎる。少し場所を変えないか?」
「いいだろう」
警察を呼ばれるのは、白峰としても避けたいところだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『愛の丘』から少し下ったところに、家三軒程度の幅で浅い川が流れていた。その脇の河川敷に、白峰は彼らと降り立った。
河川敷の地面は柔らかな芝生となっていて、これなら投げつけてもダメージはそこまでにはならないだろうと、白峰は思う。
つまりは、手加減無用ということだ。
「お願いだから。二人ともこんなこと止めて。冷静になって考え直して」
必死にアサは訴えてくる。
「なら、この男とあのままあそこに行くのは諦めてくれますか?」
「そ、それはダメ」
白峰は首を横に振る。
「なら仕方ありませんね。自分も、例えあなたに恨まれることになっても、それは認められません」
「そういうことだよアーシャ。『世直し旅』でもあっただろう? 男には、ときとしてどうしても譲れない戦いというものがあるんだ」
「それは分かってる。分かっているけど!」
レイとアサから呼ばれている男もまた、白峰と同様に首を横に振る。最初から決まっていた話ではあるが、もはや言葉で語り合う次元の話ではないのだ。
レイは腰を落とし、構えた。それに応じて、白峰も無言で構えを取る。
「行くぞ」
前傾姿勢で、真っ正面からレイが白峰に突っ込んでくる。それに対して、ほぼ同時のタイミングで、白峰もまたレイへと向かっていった。
互いの肩と肩をぶつけ合い、白峰とレイは相手のベルトを掴んだ。そのまま、押し合う。
その場は、動かなかった。
力は互角だと、白峰は判断する。このまま、力押しで正面から倒すのは、難しそうだ。
「お、らあああああああああああああぁっ!」
白峰はそこから更に膝を曲げて腰を落とし、その反動でレイをカチ上げる。そのまま、投げへと持っていこうとした。
「そうは、いくかよ!」
だが、レイもまたただされるがままという事は無かった。白峰からの投げが完全に始動する前に、脚を引いて白峰を横回しに投げようとする。
「させるか」
しかし、そこで白峰もやられるつもりは無かった。これは、相撲ではないのだ。倒れることを避ける必要は無い。倒れないようと抵抗するから、投げられるのだ。
白峰は両膝を大きく曲げ、全体重を後ろにかけて、体を倒す。
「らあっ!」
変則的な巴投げの格好で、白峰はレイを横倒しに投げ飛ばす。
よしっ! 白峰は心の中で勝利を確信した。
だが、これは柔道でもない。
「まだまだだあっ!」
投げ飛ばされたレイは素早く立ち上がり、再び白峰へと向かってくる。そして、立ち上がりが遅れた白峰の脇に手を差し込む形で無理矢理立ち上がらせ、投げてきた。
「ンなろっ! テメエっ!」
自分の甘さに腹を立てながら、白峰は再びレイへと向かっていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
時間にしてどれくらい経ったのだろうか?
白峰の体感では何十分も戦っているような気がしたが、夕暮れの日がまだ落ちきっていないあたり、決闘の開始からまだそれほど時間は経っていないのかも知れない。
普段から、多少鍛えていたとはいえ、白峰もプロの格闘家の体力には及ばない。それが、一切の手加減無しで全力で戦い合うというのなら、こうなるということなのかも知れない。武術オタクの親戚達から、真剣勝負は体力と精神の消耗がまるで違うと言い聞かされていたが、それが今初めて知ったような気分だった。
肩を落としながら、白峰は荒く息を吐いてレイを睨み付ける。レイもまた、同じような格好だったが、まるでその眼光は引くことを知らなかった。
吠えながら、白峰はもう何度目か分からないが、レイへと駆け出した。
「もう止めてええええええぇぇぇっ!」
そして、あまりにも戦いに血が上っていた。だから、アサのことを失念していた。
突然に飛び出してきたアサに対処しきれず、白峰はレイの服を掴もうとした腕の勢いを止められず、アサの頬に手をぶつけてしまう。
アサの顔が苦痛に歪み、首が捻れるのが妙にスローモーションで見えた。
白峰から、血の気が引いた。
「あっ!? すみません。大丈夫ですか?」
だが、一方でそれは、レイから最後の理性の一線を越えさせるものだった。
「貴様ああああああああああぁぁぁぁっ!」
次の瞬間、レイの拳が白峰の頬に叩き付けられた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
何秒ほどそうしていたのか?
白峰が、少し朦朧とした意識を取り戻すと、自分が片膝を地面に付けて、その場に座っていたことに気付いた。
内心、舌打ちする。完全にこれは、脚に来ている。ちょっとやそっとの時間で立ち上がれそうにない。
白峰が見上げると、彼の目の前でレイは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ。アサはそんな彼に抱きついて、何度も「大丈夫。私は大丈夫だから」と訴えていた。
白峰は大きく息を吐いた。
「分かった。俺の負けだ。さっさと行くといい。ただし、用件が済んだら彼女を必ず解放しろ」
「いいの?」
聞いてくるアサに、白峰は諦めた顔を浮かべる。
「もうこうなったら、素直に行かせた方が早いと判断しました。でも、さっきも言いましたが。用事が済んだら、必ず戻って来て下さいよ?」
「分かっているわ。約束する。ありがとう」
アサは顔をほころばせた。しかし、一方で――
「どうした? お前はまだ、そんな浮かない顔をして」
白峰の問いに、レイは寂しげに笑った。
残念だけど、時間切れだ。もう、今からじゃ間に合わない。それに、僕は決闘の約束を破って、殴ってしまった。これは、勝ったとは言えない」
レイの言葉に、白峰は何も応えなかった。ただ、何と言えば分からなかったが、その律儀さからは好印象を拭えなかった。
そしてまた、アサも悲痛な表情を浮かべる。
白峰は頭を掻いた。
「分かった。あなた達の本気は、よく分かりました。なら、レイ? 後日に、外交宮に来てくれ。今は事情を話すことは出来ないが、いずれ彼女と再会出来るように話を通すから」
「分かった。その言葉、嘘だったら決して容赦しない。覚悟しておけ」
「ああ、分かっている。男の約束だ。嘘じゃない」
レイは頷いた。
「すまない。アーシャ? もう少しだけ、待っていてくれないか? 必ず、君を迎えに行くから。そして、こんなこそこそとしたやり方じゃなく、正々堂々と周囲に祝福された形で、君に言いたかった言葉を言わせて貰うよ」
「ええ。待ってる。いつまでも、待っているから」
アサはレイの胸から顔を上げた。そして、二人は見つめ合う。
その後は、白峰は目を背けたので。二人が何かしたのかどうかは、彼にとって知らないことである。
アサ「喧嘩を止めて~♪ 二人を止めて~♪ 私のために~争わないで~♪」
白峰「これ、そういう状況じゃないですから!」
白峰「というか、本当に好きなら、間違ってもその歌は彼に聞かせてはダメだと思いますよ?」
書いた人の独り言。
夕焼けの河川敷での決闘って男の子だよね。