作戦再考
ついさっきまでアサ達が腰掛けていた噴水の縁に、白峰達は座る。
本当に、申し訳ない。と、白峰はアイリャに謝罪し、深々と頭を下げた。
アサと一緒にいた男が、こちらが追撃するよりも早く反撃を返してきたため、そのせいでアイリャに抱きつく結果となってしまった。
アイリャは快く許してくれたものの、彼女には本当に悪いことをしてしまったと思う。大きく悲鳴上げて、こちらをなかなか離さなかったくらいだから、さぞかし驚いたことだろう。
決して、油断したつもりはないが、あの男はなかなかの手練れだと白峰は思った。
「あの野郎。次に会ったら、絶対にただじゃ済まさない」
拳を握って指をポキポキ鳴らし、白峰は固く誓った。
「あんまり、やりすぎない方がいいと思うわよ? アサに嫌われても知らないわよ?」
「大丈夫です。そこは、分かっています」
せいぜい、頬に青あざを一つ作る程度に抑えておくつもりだ。
「それより、これからどうしようかしら? シラミネ? あなたには、何かいい考えがあるかしら?」
「そうですね。まさか、アサさんが男の人と一緒だとは思っていませんでした。変装もしていましたし。これ、行動範囲は相当に広がったと見て良さそうです」
「そうね。アサのことだから、あの男に後でお金は返すつもりでしょうけど」
「それでも、服一式を購入出来るだけの金額となると、相当の額のはずです。それを貸し借り出来るとしたら、男の方にも相当にアサさんに対して信頼があるようですね」
「アサが、自分の身分を明かしたとか?」
「さあ? それはどうでしょうか? 何しろ、今のアサさんってそれを証明する手段ってありませんからね。強いて言えば、あの上等な仕事着くらいでしょうか?」
しかし、いくらかの説得力はあるかも知れないが、それだけで身分の証明になるかというと。それは難しいように白峰には思えた。
「どうするか? で考えたら、とりあえずイシュテン外交宮へ報告したいところです。アサさんが無事だって事だけでも伝えておかないと、ご両親は気が気じゃないでしょうから」
「そうね。悪くない考えだと思うわ」
「でも問題は、そういうことしていると時間を結構食うんですよね。かといって、警察に伝言を頼むというのも難しい話ですし」
半眼を浮かべて、白峰はぼやく。その横で、アイリャもふぅむと唸った。
「そうねえ。『お嬢さんは無事でした。これを外交宮の上層部に伝えて欲しい。私達の身分は明かせません』みたいなことを言っても、怪しすぎるわよね」
どんな窮状に陥ったへっぽこスパイでも、こんな真似はしないだろうと白峰も思う。それこそ、物語か何かの話じゃあるまいし。
それに、仮に頼んだ通りにしてくれたとしても、頼まれた側としては、この国の裏で何事かとんでもない事件が起きていると不安で仕方がないことになるだろう。
いや、ある意味では確かに、とんでもない事件が起きていると言えるのかもだが。
「いっその事、報告はしないという手は無いかしら? ここに来るまでの道すがら、シラミネにはエイガの話を聞いたけれど。そのお姫様も、結局は自分の周りにいる人達のことを想って、元の場所に帰っていったんでしょう? アサだって、同じじゃないかしら? 自分の置かれている立場の重みを投げ捨てるほど、無責任じゃないはずよ。あの男との交際も、何か手立てを考えるでしょうけど。放っておいても、夜には帰ってくると思うわよ?」
「それはそうかも知れませんが。でも、それとこれとは話が違います。アサさんが帰ってくる保証も無ければ。ご両親の不安を放っておいていいという話でもありません」
白峰は嘆息した。
「仕方ありません。一度、二手に分かれてどちらかがイシュテン外交宮に行って報告しましょう。問題は、その後の合流ですが――」
「分かった。それなら、仕方ないわね。私が外交宮に行くわ。土地勘がある私の方が、移動するにも早いでしょうし。シラミネとも合流しやすいと思う。それと、合流場所については、一つ考えがあるわ」
「どこでしょうか?」
しばし虚空を見上げて、アイリャは答える。
「王都の北に『愛の丘』と呼ばれる場所があるわ。放浪王子と従者様が旅路の果てに愛を誓ったと言われる場所なんだけれど。王都の婚約者同士や新婚なら、その愛を誓うためにほぼ間違いなく訪れるところよ。もし、アサがあの男に本当に惚れているとしたら、そこに行かないという選択肢は無いでしょうね」
「なるほど。宿とこの公園の地理的に考えて、その『愛の丘』に既に寄っている可能性は低い。だから、そこで待っていれば、闇雲に探すよりはアサさんの方から現れる可能性の方が高いという訳ですね」
そういうことだと、アイリャは頷いた。
「分かりました。それでいきましょう。アイリャさんは、報告をお願いします。あと、一つアイリャさんに聞きたいのですが」
「何かしら?」
「アイリャさんから見て、あの男はどう見えましたか? どこか、不信なところとか、感じましたか?」
白峰の問いに、アイリャは首を横に振る。
「さっき、シラミネもアサに言っていたけれど。悪い男には見えなかったわね。だから、そんなに心配しなくてもいいと思うわ。あの子のご両親にも、そう報告するつもりよ」
「そうですか」
しかし、アイリャは半眼を浮かべてきた。
「何でそこで、そんなに難しい顔を浮かべるのかしら? 眉間に皺まで作って」
「いえ。こういう言い方も僭越なのかも知れませんが。もし仮に、自分に妹か何かがいたとして、それに恋人が出来たとしたら。こんな気分なんだろうかと思いまして」
それを聞いて。アイリャは吹き出してきた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
一方その頃。
テンラと共に酔眼を浮かべながら、ユグレイは深く頷いた。
「――こんな事を言っては、恨む親もいるだろうが。つくづく、子供は大病も無く健やかに育ってくれさえすればいいというものではないな」
「全くです。うちも、キィリンが産まれたときは、本当にそれだけを願っていましたよ。こうして、元気に成人してくれただけでも、神に感謝すべき話だと、つくづく自分に言い聞かせてはいますけどね」
「本当に、子供の頃から、どれだけ周囲を心配させたら気が済むのやらと。ご自分の立場というものを理解しろと何度言えば気が済むのかと思ったことか」
「分かります。その気持ち、本当によく分かります。うちの子も、本当にもう。よりによって皇帝陛下のお膝元ですやすやと眠ったときなんて。生きたこことがしませんでしたよ。寛大にも、皇帝陛下はお許し下さいましたし、いい思い出になるとまで言って下さいましたけど」
「お主も苦労していたのだなあ。心中、察するぞ」
「成人した子供にしてみれば、いちいち心配してくる親を疎ましくも思うものかも知れませんが。いえ、自分も経験がありますけどね? しかし、幾つになっても心配の種は尽きないものです」
「然り! 然り! 全く以て然り!」
仕事を忘れて、すっかり出来上がっている二人であった。