探す人、待つ人
アサが失踪した理由については、まず間違いなく家出だろうと推測したものの。
では、次にどこをどう探すか? という問題に白峰とアイリャは取り掛かることにした。
キリユには、現状の報告としてユグレイの所に戻って貰うことになった。
「キリユさんも言っていましたけど、アサさんがこの王都で立ち寄るとしたら、まず間違いなく王室に縁がある観光名所でしょうね。」
「お財布も部屋に置いていっているのに? そういう所に入るお金も持ち合わせは無いわよね?」
「はい。ですから、姿を見せるとしたら、そういうお金が掛からない場所というのが、可能性として高いと思います」
「まあ、一理あるわね」
アイリャの言い方に、白峰は少し引っ掛かるものを感じた。
「何か、気になることでも?」
「ああいえ。そういう訳じゃないのよ。貞節に拘りが強いイシュテン人ならそうでしょうねっていうだけで。これが、シルディーヌ女だったらいい男を探して、そっちを頼りにするんじゃないかしらって」
「つまり、可能性としては低いものの。アサさんにもしもそういう相手がいたとしたら、活動範囲の前提が大きく異なるかも知れないということですね」
「そういうことよ。流石に、お腹が空けば夜には帰ってくるでしょうけれど」
「家出した子供に対する心構えとして、身も蓋も無い言い方だとは思いますが。その通りですね」
かといって、どうやら外せない予定があるらしいアサ夫妻にしてみれば、気が気ではないだろうが。
「しかし、ストレスからお酒を飲んで、宿から抜け出して家出するお姫様かあ。有名な映画を思い出すなあ」
「エイガ?」
その単語は知らなかったのか、アイリャが訊いてくる。
「はい。自分達の世界にある、娯楽の一つです。写真を高速で連続に映し出し、それに音や声を合わせる。紙芝居の発展系のようなものです。その物語に、まさにそういう有名な物語があるんですよ」
「どんな物語? 詳しく教えて」
「はい。長い外遊のハードスケジュールでストレスが溜まりに溜まって疲れたお姫様が、寝付けなくてこっそりと外遊先の街へと夜中に繰り出すんです。そうしたら、医者から処方された鎮静剤が効いてきて、お姫様はベンチで寝てしまう。そんなところから話は始まります――」
そういえば、まだこの映画の話については、まだミィレにもしたことが無かったなとか。そんなことを白峰は思い出す。
ルテシア市に戻ったら、ミィレにも話してみたいと白峰は思った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
無情にも、定刻となってもアサは現れなかった。
ユグレイは下半身が無くなったかのような感覚を覚えながらも、指定の待ち合わせ場所へと赴く。その足取りは、処刑台に向かう罪人の如く重かった。
アサや白峰が利用しているところとはまた別の宿泊施設。その最上階にある大広間の扉を開き、彼は中に入った。
中には、待ち合わせをしている要人が一人、立っていた。ユグレイより更にいくらか年上の男だった。きっちりと、正装に身を包んでいる。
彼もまた、渋い表情を浮かべていた。無理もないかとユグレイは思う。自分も相手も、どちらもこの国の中枢に与する人間ではある。しかし、格で言えば相手の方が上なのだ。だというのに、こっちはこんな時間ぎりぎりになって現れた上に、肝心の娘を連れ立っていないのだから。
「お初にお目にかかります。アサ=ユグレイです。お待たせして。大変に失礼致しました」
「あ、ああ。こちらこそ、急にこのような場をねじ込むような真似をして申し訳ない。テンラ=ワオンです。応じてくれて、感謝する」
「いえいえ、滅相もありません。身に余る光栄です」
深々と、ユグレイは頭を下げた。
「して? お嬢さんの姿は?」
テンラの当然の質問に、ユグレイはびくりと体を震わせた。
「その。大変に申し訳ございません。我が娘キィリンは、恥ずかしながらここ王都に来てからのハードスケジュールで倒れ、寝込んでおりまして。今はこのような場に連れてこられるような状態ではないのです。どうか、今しばらくのご容赦を願えないでしょうか?」
広間に沈黙が降りる。
その沈黙の中で、ユグレイは痛い程に心臓が鳴り響いているのを感じた。こんな状態でもう数分も心臓に動かれたら、本気で死ぬんじゃないかと恐くなるくらいだ。
「お、おお。そうであったか! いや、それは大変なことだ。ああ、こちらのことは気にしなくて大丈夫! 大丈夫だ! 気にせずにゆっくりと休んで欲しい。そう、ご息女には伝えて欲しい」
あれ? てっきり叱責が来ると思ったのに? 思いの外に、ともすれば上機嫌にも聞こえる反応に、ユグレイは目を丸くする。
恐る恐る顔を上げると、テンラの顔から渋面が消えていた。
「あの? よろしいのですか?」
「よろしいのかも何も無い。其方の娘の働きには、私も常日頃から感心しておる。ここで倒れられては、元も子もなかろう。心と体の健康以上に大切な物は無い。今しばらくは、ゆっくりと休まれるがいい」
「ありがたきお言葉。痛み入ります」
心の底からユグレイはそう言った。首の皮一枚で繋がっているにしろ、本当に助かったと思う。
「ただ、済まぬ。出来れば夜には回復して貰いたいのだが。そこまで悪い病状だったりするのだろうか?」
「いえ、流石にそこまでは。どうなるかは、娘の体力次第ではございますので、確実なこととしては言えませんが」
テンラは半眼を浮かべる。
「まさかとは思うが。この席が嫌で仮病を使っているということはあるかね? 流石に、私もそれで無理強いをするというつもりは無いのだが」
「いえいえ、そんなまさか。滅相もございません」
慌ててユグレイは首を横に振る。そもそも、当のキィリンにはまだ何も詳細を伝えることすら出来ていないのだから。
勘のいい娘のことだから、薄々気付いて、それで逃げ出した可能性もあり得るとは思うが。
「そうか。ならいい。実を言うと、こちらも都合が悪くなってな。申し訳ないが、そなた達には今しばらく待って貰うように頼みたかったところなのだ」
そう言って、テンラは溜息を吐いた。
そんな彼の様子に、ふと気になってユグレイは周囲を見渡した。先ほどまでは雰囲気に飲まれて気付かなかったが、この部屋には彼と自分しかいない。
本来なら、それはあり得ないはずだというのに。
「あの? 何事かございましたか?」
ユグレイの問いに、テンラは目を逸らした。
「あー。まあ。な。恥ずかしながら、こちらの方も、其方の娘と似たようなものなのだ。私が気付かないうちに、色々と溜め込んでいたのか、寝込んでしまわれてな」
「何とっ!? それは一大事ではございませんか?」
「ああ、いやいや。そんな大袈裟な話ではない。心配召されるな。多分、夜には回復して頂けるはずだから」
落ち着けと両手を振って宥めてくるテンラに従い、ユグレイは乗り出した身を引っ込めた。
「しかし、そうすると奇遇にもお互いに夜までは時間があるということになるな」
「そうなりますね」
「では、仕方ない。無理を言って済まんが。夜までここで私の話し相手になってはくれんか? 無論、お嬢さんには予定のことを伝えた後でよいから」
「畏まりました。喜んで」
恭しく、ユグレイは頭を下げた。
「ときにユグレイ殿。君はイケる口かね?」
テンラの言葉に、ユグレイはギョッとする。
「まさか、飲まれるおつもりですか? まだ日も高いですよ?」
「そう固いことを言うな。ほんのちょっとだけだよ。ほんのちょっと、舌の回りを良くする程度だ」
「は、はあ」
真っ昼間からお酒かあ。こっちもこっちで、ひょっとしたらストレス溜め込んでいるのかもなあ。
とか、そんな事をユグレイは思った。仕事の経験上、何かと酒に誘ってくる手合いというのは、そういう人間が多かった。
偉い人との飲みの席。この部屋に入る前ほどではないが、また少し、胃が痛くなった気がした。