王都フィールドワーク
レイの服も乾いたので、アサは彼と共に連れ込み宿を出た。
表通りに出ると、何となく安堵する。
「そういえば、レイ? あなた、フィールドワークって言っていたけれど。何の勉強をしているの? 私は、どこに付き合わされるのかしら?」
「ああ、そういえばまだ言っていなかったか。社会学みたいなものだよ。街の変化とか、そういうのをテーマにしている。最近はニホンの外交官が来たとかでニュースになっているけど。去年にゲートが異世界と繋がってからというもの、この王都でも色々と変化は起きている。だから、その様子を直に目で見て起きたいんだよ」
「変化って、例えばどういう?」
「例えば、ニホンの食べ物として紹介されたものを再現しようという試み。そして、それらしく出来たと言っている人達が色々と店にそれを出しているとか」
なるほど。と、アサは頷く。
ルテシアの方でも、そのような話は聞いた。シラミネの料理の出来なさっぷりから、ミィレがこちらの世界の食材を使ってカレーを再現したり。
クムハが経営している店でも、シラミネ達からニホンの料理についてあれこれと聞いてそういう料理を出し始めていると聞く。その噂が広まっているのか、去年の今頃はいつも閑古鳥が鳴く状態だったのが、少しずつお客も増えてきているとか。
「だから、そういう店を見て回りたいということ?」
「そういうこと。ニホンは別の国からの料理を取り入れたりしていたそうだけど。この国にも、そういう歴史が無い訳じゃない。果たして、そういうものを取り込む力がこの国にはあるのか? それはどのような経緯を経て行われるのかを追うのは、興味深いテーマだと考えている」
「興味深い着眼点だと思うわ」
アサとしても、興味をそそられると。素直にそう感じた。
「ただ、自分が見て回ってみたい店の中には。明らかに女性向けか、あるいはカップル向けになっていそうなところもあってね。最悪、それでも自分一人で行くつもりだったけれど。アーシャが付き合ってくれるということになって、本当に助かる。やっぱり、精神的には堪えそうだったから」
安堵の息を吐くレイに、アサも釣られて笑みが零れる。
「ただ、私は今はお財布を持っていないから。それはごめんなさい。私の分は、宿に帰ったらきちんと支払うから、そこは安心して?」
「そこは心配していない。君は、基本的には自立した女性だと思っているから。何となくだけど」
アサは目を細める。
「『基本的には?』ってどういう意味かしら?」
「よっぽどのことがない限りは。お酒を飲んで酔い潰れた挙げ句、どこの宿から来たのかも分からない記憶喪失になったりはしない。そういう人間だろうっていう意味」
返す言葉が無くて、アサは思わず呻く。
「でも、僕はたまにはそういうのもいいんじゃいかって思う。本当の本当に潰れそうだって感じて、どこまでも我慢して、それで潰れてしまうくらいなら。それ以上に人生が壊れるとか、他人の人生を壊すとか。そういうことは、そうそう無いものだよ」
どこか、遠い口調で呟くレイを横目で見ながら。
「そうね」
気休めかも知れないが。レイの言葉にアサは安堵し、同意した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
レイの案内で、アサは喫茶店に入った。
評判の店らしく、それなりに待たされたものの、店内の雰囲気は悪くない。
「そういえば、気になったんだけれど。レイ? あなたの家って厳しいのかしら?」
「何でまた、そんな事を?」
「私もだけれど。あなたも、宿を出るときにかなり周囲を警戒していたでしょ? 他にも、よっぽど知られたくない事情があるような事言っていたから」
「ああ、まあ。うん、そうだな。厳しいというか。ああいうのが人目に付いたら、かなり困る家ではある。父さん、母さんに知られたら、何て言われることやら。頼むから、もしも知られても。何があっても、絶対に、僕が君に不埒なことは何一つとしてしていないと証言してくれよ? さもないと――」
「さもないと?」
「最悪、それこそ君の人生に大きな傷を負わせる事になりかねない」
神妙な口調で言い聞かせてくるレイに対し、しかしアサは半眼を浮かべた。
「あなた。実は反社会的なご家庭の生まれなの?」
「断じて。そういうのじゃないよ?」
あまりにも斜め上の回答だったからか、レイは呆れた口調を返した。
「至って健全な家だよ。父さんも母さんも、基本的には尊敬出来る人だよ。人前に立つ仕事をしているから、外面ばかり立派だとは思うけど」
「家の中では?」
「割とだらしないところもある」
「何となく分かった気がするわ」
あまり深く探るつもりも無いが、案外と彼も似たような境遇でもあるのかも知れない。そう、アサは思った。彼女の両親も、貴族として、地元の名士として恥じない人物ではあるが。あれで結構、家の中では俗っぽい一面もある。
「あなたも、苦労しているのね」
「まあね。あまり、こういう愚痴も零せないし」
疲れ切った溜息を彼は零した。
「でも、安心していいわよ。私も、その約束は必ず守るわ。こっちも、あらぬ誤解を招いたら困ることになりそうだもの」
「うん。そうしてくれると助かる」
と、そんな事を話していると頼んでいたお茶とお菓子が出てきた。
お茶の見た目は確かに、緑色ではある。香りも緑茶に近いように感じた。また、お菓子も透明でプルプルとした見た目をしていて、ニホンで経験した水羊羹やわらび餅を連想させた。
「ふむ? これが、ニホンの菓子なのか?」
「私は、失礼して先に頂くわね」
「ああ。どうぞ」
興味深くお茶と菓子を観察するレイに断りを入れて、アサはお茶を口にする。
途端、強烈な苦みが口の中一杯に広がった。
思わず、彼女は顔をしかめる。
「レイ。悪いんだけれど、これは流石にニホンのお茶とは全然違うと思うわ」
口に手を当て。むせるのを必死に抑え込んで、アサはレイに感想を伝える。どこをどう伝わったら、こうなるのか。自分の説明は何か間違っていたのかと、アサは失意を覚えた。
アサ「女将を呼びなさいっ!」
アサ「このお茶は出来損ないよ。飲めないわ」
アサ「一ヶ月待って下さい。私が、本物のニホン茶を用意します」