出立と約束
その日のルテシアの空は、清々しいほどの冬晴れだった。雲は一つも無く見渡す限りの青空が広がっている。風も穏やかなものだった。
飛行場の脇に建てられた小屋の中から空を眺め、白峰は穏やかな空の旅を想像し、安堵した。
「何度も言っていると思いますけど、本当にいよいよなんですね」
しみじみと言ってくるミィレの声に、白峰は意識を彼女へと向けた。
白峰とは対面に。そして、ミィレの隣の席に座っているアサが、大きく頷く。
「そうね。私はもう、ニホンの天皇陛下には挨拶をさせて貰ったけれど。今度はシラミネに私達の国王陛下に会って貰う番。両国がどのような国か。どのような人々が住む国なのかを伝えて。正式な国交を結ぶための大きな一歩となるわ」
「シラミネさん。大役ですよね」
白峰はミィレに笑顔を返す。
「そうですね。そして、自分のような人間にこんな大役を任せて貰えるなんて、本当に光栄なことだと思います。両国の明るい未来のためになるよう、頑張りたいです」
「シラミネは、緊張していないの?
アサの問い掛けに、白峰は微苦笑を漏らした。
「全く緊張していないと言えば嘘になります」
「緊張して、謁見の前の晩に、少しでも眠れないと思ったら、私が前に言った方法を試した方がいいわよ。きっと、直ぐに眠れるようになるわ」
「そうですね。教えて貰った薬はちゃんと持っています」
白峰は、脇に置いたトランクケースへと視線を向けた。
「本当に、凄い荷物よね」
「ですねえ。お嬢様もですけど」
「これが、ほとんど仕事の書類ですからね。アサさんもですけど」
かなり慌ただしい日々が続くことを予感させてくる。
「シラミネは、何か注意するように言われているの? ほら、新しく来たトキイって人から」
「ええまあ。色々と為になる心構えを叩き込まれました。口酸っぱく、何度も」
白峰がそう言うと、アサも笑う。
「そっちもそうなのね。私の所もよ。それはもう、ティケアに口酸っぱく言われたわ。心配なのは分かるんだけどね」
肩を竦めるアサを見て、白峰とミィレから笑みが零れる。
「私の場合、王都に着いたら今度はお父様達からも言われそうなのがね。それを想像すると気が滅入るわ」
「そういえば、自分はアサさんのご両親とも、初めて会うことになるんですよね。そちらも、楽しみです」
「幻滅しないといいんだけどねえ」
「大丈夫ですよ。ティケア様が仰るには、お二人ともお仕事とそうでないときは、きちんと切り替えられるお方だそうですから」
ぼやくアサに、ミィレが言う。
「ああ。それと、この際に聞いておきたかったんですけれど。ミィレさんにはいつもお世話になっているんで、時間があれば王都から何かお土産を持って帰りたいと思っているんですが。何か、リクエストとかありますか?」
「え? お土産、ですか?」
全く考えていなかったと言わんばかりにミィレは目を丸くする。白峰は頷いた。
「えっと」
縋るような視線をミィレはアサに向けた。
「いいんじゃない? 遠慮しなくて。折角なんだし、シラミネがこう言い出すっていうことは、遠慮するときっと、その方が気に病むわよ」
一方で、アサは軽い口調でそう答える。
「そうなんですか? シラミネさん」
ミィレに、白峰は大きく頷いた。アサは本当に、自分という人間をよく分かっていると思った
。
「そうです。ミィレさんに遠慮されてしまうと、自分は気に病みます」
「何でですか?」
「日頃のお礼を言いいたいっていう欲求が果たされないのは、辛いものですから」
「そういうものですか?」
「そういうものです」
シラミネが言うと、うんうんとアサは頷いた。
そんな二人を見て、ミィレは戸惑ったような表情を浮かべつつも、頷く。
「そうですね。そういうものかも知れません。私も、少し分かるような気がします。私だって、お嬢様やシラミネさんには、日頃の感謝を返したいって。離れたら思いますから」
「そういうこと。そうね。私も、この際だからシラミネに便乗するわ。ミィレ、何かある?」
「でも、急にそんな気とを言われましても。うーん。何がいいでしょうね?」
真剣に悩むミィレを眺めて、アサは苦笑を浮かべる。
「本当に思い浮かばないなら、王都で何か、イシュトリニス陶の装飾品か小物を買ってくるわ。それで、どうかしら」
「セリテル陶というと?」
「そう、私が天皇陛下に持っていった。王都の特産品よ」
「なるほど。それはいいですね。では、ミィレさんが思い浮かばなかったら、自分もそれにします」
「ありがとうございます。楽しみに、していますね。でも――」
「でも?」
小首を傾げる白峰とアサに、ミィレは微笑む。
「私にとっては、お二人が無事な姿で笑って戻って来てくれることが、きっと何よりもお土産なんだと思います。何て言うと、ちょっと恥ずかしいですね」
照れくさそうに言ってくるミィレに、彼らは首を横に振った。
「じゃあ。自分達が帰ってくるときは、ミィレさんも笑って出迎えに来て下さい。だったら、自分達も安心して王都にいけますから」
「そうそう。約束よ。ミィレ」
「はい。約束です」
彼らは互いに頷き合った。
これから約一ヶ月。王都に行って帰ってくるまでは、ミィレの顔を見ることは無い。
帰りを待っていてくれるという彼女の顔をよく覚えておこう。そう、白峰は思った。