訪問前夜
クムハは興奮を抑えられなかった。どうやっても自然と唇が引いて、歯を剥いて笑ってしまう。
興奮しているのは、地上にいるスタッフ達も同様だろう。バッテリー代わりに、電気発生魔法を動力源としてプロペラを回すという、新しい試みの飛行機。
異世界から持ち込んだ部品をこっちの世界に持ち込んで組み立てたこの飛行機は、軽快に空を舞った。
異世界では、シミュレーションだけではなく実物の飛行機も訓練で飛んだ。そのときも、これまでに乗っていた飛空挺よりずっと速い飛行にクムハは興奮した。
しかし、生まれ育った世界。そして、何度も飛んだ飛行場の上を飛ぶと、改めて素晴らしい飛行機に乗っているのだと思う。
クムハは操縦桿を倒し、旋回する。地上を見ると、こちらを見上げる多くの整備士達の姿が見える。彼らは皆、大きく手を振っていた。
「さて、と」
クムハは気を取り直した。
今日の試験は、飛行場の上を8の字に旋回し、上昇と降下も繰り返していく。飛行時間は12時間。
この飛行機の速度なら、王都まで飛行するとしても、途中で立ち寄る飛行場にはものの数時間毎に次から次へと到着出来ることだろう。航路も極めて安全なものを使用する。
しかし、それよりも遙かに厳しい条件に耐えられるのかをこのテストで確認する。
飛行機のから行われた、試験もいよいよ大詰め。この最後の耐久試験をで問題が無ければ、いよいよ一週間後には、シラミネとアサを乗せて王都へ発つことになる。
この計画が伝えられてから、クムハは大概無茶なペースだとは思った。特に、技術分野で働いている人達はまさに死に物狂いだったように思う。
それが、無事にここまで辿り着いたとなると、感慨も深い。
正直なところ、地上からこの飛行機を見上げている人達は、祈るような気持ちかも知れない。
「でも、大丈夫。この子は、絶対に大丈夫よ」
軽快に回るプロペラの音を聞きながら、クムハは成功を確信した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ルテシアから届いた報告書に、アサ=ユグレイは目を通す。
そして、彼は大きく息を吐いた。
「あなた、何か問題でも?」
傍らから、妻のキリユが訊いてくる。それに対して、彼は首を横振った。
「いいや。その逆だよ。先日に行われた、電気発生魔法を動力源とした飛行機の最終試験も無事に済んだようだ」
「と、するといよいよということですか?」
ユグレイは頷く。
「そう、いよいよだよ。話が湧いて出てからほんの数ヶ月。ここまで、かなりの強行軍で進んできた話だけれど。実現することになる」
「つまりは、あの子と、異世界の使者がこの王都に来るということですね」
「その通りだ。ここまで来た苦労を考えると、どっと力が抜けてね。それが、さっき僕が大きく息を吐いた理由だよ」
「本当に、お疲れ様でした」
「君の方こそ」
夫婦で、互いに労い会う。実際、この数ヶ月間はユグレイ自身、かなり頑張ったと思っているし、妻もよく手助けしてくれたと思う。
「とはいえ、ここまでは準備の話。本番はこれからだ」
「そうですね。これからですね」
あくまでも仕事、ではあるが。それでも久しぶりに娘と会えるのは楽しみだった。また、彼女らと良い付き合いをしてくれている、シラミネと会うのも楽しみだった。
「他には、何か変わったことはありますか?」
「いや? これと言って問題は無いみたいだね。翻訳機の関係で、ツキノが出張で離れているようだけれど。その問題も順調に片付いていくようだ。少なくとも、僕達に不利益なことにはならないと思う」
「それは良かったです。これから先、翻訳機に求められる仕事は増えるでしょうから」
「その問題をどうするかという話だったんだけれどね。こっちは気付いていなかったけれど、あちらは気付いて対応しようとしたと。本当に、先を見る力はあると言えるね」
「そういえば、ニホンの側に新しくツキノとシラミネに対する上司の方が就いたんでしたよね。そちらは、キィリンは何か言っていましたか?」
「ああ。前の手紙で他の国の外交官達と、既に挨拶はしているって言っていたけれど。それからは、特に問題無くやれているようだ」
娘が言うには、その新しく局長として就いた男は、切れ者で油断がならない印象を感じたそうだ。人として信用は出来るが、敵対はしたくない相手だと言っている。
その男、トキイは心理学に興味があるのか、ノルエルクの外交官であるセルイと特に話が盛り上がっていたという。
アサ=ユグレイは、ノルエルクの外交官と会ったときの経験を思い出す。彼らの国では心理学に対して造詣が深く、外交官達も自然とそういったテクニックは使うし、外交戦略を立ててくる。
そんな彼らに対する印象は、まさに娘がトキイに抱いたものと同じだろうと思う。
「もし引っ掛かるようなものを感じているようなら。あの子が来たら、その男とはどう付き合えばいいのか少し話してみるよ」
「そうですね。そうしてあげた方がいいかも知れません」
アサ=ユグレイは机の上に置かれたお茶を飲んだ。
今度の、彼らの王都訪問は、まず間違いなく異世界との外交における大きな変化の契機となる。
束の間の小休止を味わいながら、彼は次なる大仕事へと思いを馳せた。
はい、この夫婦が出たので柴村技研買収編は終わりです。
次回からは、王都訪問編となります。