月野と帰る場所
月野が柴村と共に、全国を飛び回るようになって半月ほどが過ぎた。
時居も正式に異世界局局長として異動し、今は佐上や白峰、海棠らと同じ部屋で働いている。
佐上が見るに、時居が求める仕事の要求水準は月野よりも高いように見える。白峰は不在の月野ではなく、時居に日々の仕事の報告や、これまでの仕事について時居に説明し、情報を連携しているのだが。よく、時居にお説教されている。
とはいえ、そのお説教も無意味なパワハラのようなものではなく、佐上や海棠が横で聞いていても不快に思わないようなものだ。
もしこれが、パワハラを感じさせるものだったら。佐上は即座に時居をしばき倒すつもりだった。後先なんて全く考えずに。
時居の指導は、白峰が何をどう考えて、何を見ているのかを詳しく聞くところから始まる。そして、彼の考えで足りないと思ったところを指摘し、考えさせる。あるいは、時居の経験や知識を交えて教える。そんな方法だ。
なので、ある意味では立ち話で会議をしているようにも見える。
白峰としても、成長を実感出来るのか、佐上から見て楽しそうに見えた。それでも、精神的な負担は激しいのか、彼は時居が席を外したときは、ときどき真っ白に燃え尽きたかのように、満足げに微笑んで、椅子に座って惚けているが。
何というか。思っていたよりも平和だ。本当に、平穏で淡々と一日の仕事が終わる。勿論、翻訳機の調整や、異世界側の外交担当者に対するPCヘルプとか、仕事上の刺激には事書かないのだが。
と、佐上のモニターに映し出されたアイコンに、メール受信のマークが付いた。
無言で佐上は確認する。件名は「今夜、時間ありますか?」。差出人は、直ぐ隣に座る海棠だった。
そして、メールの中身はというと「女二人だけで」とだけ書いてあった。
断るような理由も思い付かないため、佐上はそのまま「OK」と返信した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その晩、すっかり馴染みとなった暁の剣魚亭へと佐上と海棠は訪れた。
それぞれ違う果実酒を頼み、二人は乾杯する。半年以上も住んで、この街が安全なことは理解しているが、それでも女だけで深夜を出歩かないようにという約束があるので、軽めに済ませるつもりだ。
「しかし、海棠はんがこういう事を言い出すとは意外やったな。何か、相談したいことでもあるんか? 金なら貸さんけど」
「お金は大丈夫です」
「ほなら、恋バナか? ほれ、例えばイルとかいう? 言っておくけど、うちにそういう話も期待すんなや? 聞かされるなら、興味はあるけど」
「生憎と、イルさんとはあくまでもお友達です。なので、そういう話でもありません」
そう言って、海棠は果実酒を軽く飲んだ。
「そうじゃなくて。今のあの部屋のことです」
「部屋? 渡界管理施設の、うちらが仕事している部屋のことか?」
「そうです」
頷く海棠を見ながら、佐上も軽く飲む。
「佐上さんはどう思います? 今のあの部屋」
「どうって、言われてもなあ」
曖昧に、佐上は笑った。
「こう? 何か物足りないと思いませんか? 寂しいというか」
「まあ、平和やとは思うな。ええこっちゃないか?」
そうは言いつつも、どこか上滑りした言い方だと、佐上は自覚した。
「そうですか? 私は寂しいですよ。月野さんがいなくて」
「そうなんか?」
「ええ、そうですよ! 佐上さんと月野さんのどつき漫才が無いなんて、私の楽しみが一つ減っています」
「おどれ、うちらのことをそんな風に見とったんか」
見世物やないぞと、佐上は半眼を浮かべる。
「夫婦漫才の方がよかったですか?」
「ざっけんなや!」
佐上の半眼をそういう意味で捉えて返してくる海棠に、佐上は噛み付く素振りを見せる。
「まあ、それは冗談として。佐上さんとしてはどうです? 私がそんな感じで、ちょっと物足りないっていう愚痴を零したいというだけなんですが」
「うちか? そうやなあ」
佐上はグラスに目を落とした。
「せやな。さっきも言うたけど、平和でええこっちゃと思う。けど、さび抜きの寿司を食っているような感じはあるな」
そう言いながら、佐上は頭を掻いた。
「ああ、やっぱり佐上さんもそう思います? ひと味足りないんですよ」
「時居はんもな。あの人、仕事絡むとボケが無いからな。一緒に仕事する上では正しいと思うし、信用も出来ると思うんやけど」
そういう意味では、少し絡みにくい。とはいえ、時間が解消する問題だろうと佐上は考えているが。
「月野さんは、違うんですか?」
「あいつは、天然でアホでボケやからな」
だから、ツッコミ気質な自分は放っておけない。そんなところがあるのだろうと、佐上は思う。
「早く、月野さん帰ってきませんかね?」
「せやな」
少し、胸焼けのような不快感を佐上は自覚した。早々に、アルコールが回ったのかも知れない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
予定通り早々に飲みを切り上げて、佐上は帰宅した。
ベッドに腰掛け、酔っていることを自覚しながら、彼女はスマホを取り出した。
グループチャットアプリで、月野に向けてメッセージを打つ。調子はどないや? ほんまに、仕事上手くいっとるんか?
「マジか」
正直、まともに返信が返ってくると期待していなかったのに、月野からの返事は直ぐに返ってきた。大丈夫です。報告通り、順調です。
佐上は少し、安堵した。続けてメッセージを書き込む。
"そっか。なら良かったわ。さっきまで、海棠はんと飲みに行っていて、おどれは今どうしているんかみたいな話になってな。ちょっとだけ、気になっただけや"
"そうでしたか。こちらから、連絡していなくてすみません。柴村社長や時居、白峰君あたりから、様子は伝わっていると思っていたのですが"
"いや、それは大丈夫や。その話はうちらも状況を教えてもろとる。けど、やっぱり又聞きやからな。ちょっとだけ、直に様子を聞いてみたかったってだけや。なんや。海棠はん、おどれがいなくて少し寂しいみたいやで"
"海棠さんがですか? 意外ですね。私はあの人から見れば歳も離れた男ですし、初対面で驚かせてしまったので。嫌われているとまでは思っていませんが、そこまで好感度が高いとも思っていませんでした"
"変に勘違いして、ええ気になるなや? あの子は、うちらのやり取りを漫才か何かと考えているだけやからな。ほんま、しばいたろ思ったわ"
月野から、笑い顔のアイコンが返信された。
"ほんまに、大丈夫なんか? 何か、無理とかしとらん? 社長からは、毎日あちこち飛び回って、ハードな日々やって聞いているけど"
"いえ。大丈夫ですよ。仕事柄、覚悟はしていましたし、慣れてもいますから。何か気になることでも?"
胸焼けの様な感覚を抑え込んで、佐上はメッセージを書いていく。
"別に? そういう訳やない。ただ、元々はこのやり方って、うちがセルイはんから聞いて、おどれに頼み込んだものやんか。無理させていたらって、少し気になったんや"
今度は、月野からの返信は待たされた。
5分くらいディスプレイを眺めさせられた挙げ句に、ようやく返事が返ってくる。
"あくまでも、他意はありませんが。佐上さんが辛い顔をしているのは、見ていて嫌だったんですよ。最善の形という問題もありますが"
"すみません。本音を言うと、少しだけ疲れています。だから、おかしな事を言っていたとしても、疲れからきた戯れ言だと思って、忘れて欲しいです"
"その上で、これは私がやりたくてやっていることです。だから、気にしないで下さい"
このアホ。と佐上は心の中で叫んだ。そんな風に言われて、気にせずにいられる訳ないだろうがと。
"何でや? うちらとしては、ほんまに助かるけど。何で、そこまでするんや?"
また、少し月野からの返信は待たされた。
"正直に言うと、多分に私情が混ざっているとは思います"
"どういう意味や?"
何故だか急に、佐上の胸が締め付けられた。
"先日、私は佐上さんの勧めで帰省しました"
"やっぱり、何もありませんでしたよ。あそこは、とっくの昔に私の帰る場所ではありませんでした"
ずきりとした胸の痛みを佐上は覚える。余計なことをしてしまっただけだったかと、佐上は後悔した。
"ですが、あの部屋に戻って白峰君や佐上さん、海棠さんの顔を見て思ったんです。私にとって、帰る場所はここになっていたのだと思いました"
"なので、佐上さんには、帰る場所が無いなんて思いはして欲しくないと思いました。私は、佐上さんにとって柴村技研が大事な場所だと思っているので。本当に、ただそれだけです"
"そっか。ありがとう。分かったわ。そっちも気を付けてな。ほなら、おやすみ"
"はい、おやすみなさい。失礼します"
最後の一文を見て、佐上は即座にベッドにスマホを投げつける。
「この、アホっ!」
どうして、こいつはいつもいつもこうなのかと。佐上は枕を掴み、何度も何度も殴りつけた。