託す相手
明けましておめでとうございます。
今年も「この異世界によろしく」をよろしくお願いします。
柴村は自宅のソファに座り、晩酌のビールをちびちびと飲んでいた。
妻はテレビの音量を控えめにしながら、ドラマを見ている。寝ても覚めても会社のことを考えている自分を心配しているが、こういうときに頭を切り替えられるほど、夫が器用な人間ではないことも理解しているので、彼女は何も言わない。
そして、愚痴るように相談を持ちかけた時は、何かしらの相槌を打ってくれて、考えをまとめる手助けをしてくれる。こういう扱いの方がありがたいし、それも長年の付き合いの結果だと柴村は考えている。
柴村技研とは何か? それに対する社員達の考えも、確認できた。
異世界の人達とも自在に意思疎通が出来るような翻訳機。それを実現するAIの開発。これこそが、彼らの夢だった。柴村から始まった夢が、彼らの夢にもなっていた。
何度も思ったことだが。本当に、社員に恵まれたと柴村は思う。
挑戦。それも、こんな夢は無謀な挑戦でしかない。そんなものに、彼らはよく付いてきてくれた。
柴村は小皿に盛られた枝豆を摘む。塩の利いた豆の味が、次のビールを促してくる。柴村はもう一杯、ビールを飲んだ。
少し熱を帯びた息を吐くと、気が落ち着いた気がしてくる。
守るべきものが何かは、やはりこういうものなのだろうと柴村は思う。
いつだったかの酒の席で言った話だったが、あの翻訳機は子供のようなものだと柴村は考えている。そして、社員達もそう考えてくれている。それが、ただただ嬉しい。
だが、いつまでもこのままでいいのかというと、そうではないのだろう。外務省から説明された、現実的な要求もだが。翻訳機の可能性を狭めているという側面もあるのではないか? そう、柴村は考える。
ふと柴村は、実の子供達のことを思い出した。親離れした彼らは、立派に独り立ちしている。ついつい、彼らには過保護にし過ぎて強く反発されたこともある。
当時はその反発に対し、納得がいかない感情もあったが、社会に揉まれながら成長している子供たちを見て、信じることの大事さというものを学んだと感じる。
「あのさ」
「うん? 何?」
妻はテレビから目を逸らすことなく返事を返してきた。
「君は結婚してよかったと思うか?」
「何よ突然?」
テレビから視線を向けることもなく、妻は少し当惑した声を上げてきた。それでも、答えを返してくる。
「まあ、悪くはなかったと思うわよ。そりゃあね? 研究に意識が向きっぱなしで、もう少し家庭を
顧みてくれてもよかったじゃないとは思うけれど。それでも、何だかんだであなたなりに努力してくれていたことは分かっているつもりだし。子供達も、一人でやっていけるようには育ってくれたんだから。上出来じゃない?」
「そうか。儂もそう思う」
聞くまでもなかった質問かも知れない。だから、今も二人で共に暮らしているのだ。と、同時に。それでも、柴村は安堵した。
「いや、ちょっと気になったんだ。儂らの親達は、どういう気持ちで儂らの結婚を許してくれたんだろうなって。どういうところを見て、儂に君を託してくれたんだろうかってな」
「あの子達に、そういう話でも? 何か相談されたの?」
「いいや、残念だが全然そういう話は無いな」
「なあんだ」
実の子供達に浮いた話が出てきたという訳ではないと知り、妻は露骨にがっかりした声を上げた。そんな妻の姿を見て、柴村は苦笑を浮かべる。
「儂が考えているのは、あの翻訳機。というか、それに使っているAIの事だ。酒の席でつい言ってしまっただけだが。実際、あの翻訳機は儂らにとって子供のようなものだと考えている。しかし、それを近いうちに、それまでうちらの社員じゃなかった人間にも託さなければいけなくなる。それで、結婚とか、お前の話が参考になるかって思っただけだ。すまん。変なことを訊いた。やっぱり、酔っているな。頭が回らん」
そう言って、柴村は頭を掻いた。
「いいわよ。別に。あなたがあれに懸けてきた思いは、よく知っているもの」
諦めと愛情を込めて、妻は笑い、肩を震わせる。
「ただ私の答えは単純よ。私があなたと結婚したのは、あなたが私を大事にしようっていう想いや情熱があって。それを実践するだけの能力があったから。それだけよ。それで、充分だったの。お父さんやお母さんも、同じ気持ちだったんじゃないかしら?」
「そうだな。そういうものかも知れんな」
呟きながら頷き、柴村はグラスにビールを注いだ。
「儂も、あの翻訳機を託すことが出来る相手がいるとしたら、それはやっぱりあれを大事にしてくれる相手。そういう事になるんだろうな」
柴村には、一緒にやっていく相手を選ぶ、一つの基準が見えた気がした。