柴村技研とは
居間にあるソファに腰掛け、テーブルに置いたタブレットPCを前にして佐上は唸っていた。
柴村社長から、佐上にとっての柴村技研のアイデンティティが何かを答えてこいと言われたものの。いまいち思い浮かばない。月野と一緒に参加した会議では、社長や幹部だけではなく、社員みんなで会社を築き上げていくというものがそれだと答えたものの。それがすべてかというと、足りていないと佐上は思う。というか、社長からはもっと捻り出してこいと言われた。
「と、言われてもなあ。うち、ほんまにアホやねん。こういう、真面目くさったこと考えるような出来の良い頭しとらんのやぞ」
そんな女にこんなことを考えさせるとか、本当に無茶を言ってくる社長だと佐上は毒づく。
しかし、どれだけ頭を抱えようと何も良いアイデアが出てこない。
「ああもう、締め切りに追われる漫画家の気分や。いや、知らんけど」
いっその事、漫画家なら担当編集にネタ出しを相談とかいう手も使えるのだろうかとも佐上は思ってしまう。
「相談かあ」
その瞬間、佐上の脳裏に目付きの悪い眼鏡の男がよぎった。慌てて首を横に振ってイメージを消す。何でここで、あいつの顔が浮かぶのだと。
実際、相談に乗ってくれと言ったら相談には乗ってくれるだろうと佐上は思う。しかし、下手に相談に乗って貰うと、先日のようにいらんことまで話して恥ずかしい思いをしてしまいそうで、避けたかった。
と、傍らに置いていたスマホから、メールの着信音が鳴った。佐上はスマホを手に取り、メールを確認する。差出人はアサ。件名は「助けて。スーパーカメ大王が倒せない」だった。
あいつかあ。と、佐上はぼやく。
カメ大王はマリ王シリーズというゲームのボスキャラだが、とあるステージではこれまでやられ続けてきた鬱憤晴らしと言わんばかりに、巨大化して輝くオーラを身に纏って登場してきた。そして、アルティメット・ブラスターと名付けられた超必殺技を獲得し、その全身から放つレーザー光線に数多のマリ王達を葬り去った。登場当時は、こんなのもうカメの大怪獣だと話題になったものだった。
こいつを倒すには、スーパーマリ王モードになって限られた時間に仕留めるのが定石だ。一応、操作キャラがパワーアップしていなくて倒すことは可能だが、それは一部の動画配信者のような廃ゲーマーにのみ許された真似である。
「ちょうどええわ」
ふむ。と、佐上は頷いた。別にこの件について、口止めはされていないのだから。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
翌日の業後に、アサ。そしてミィレと共に、佐上はセルイの部屋へと訪れた。
アサが言うには、セルイ=アハシエの母国ノルエルクでは、こういった企業に対する研究というものが盛んなため、参考になるのではないかという話だった。
セルイの部屋は、他の国の外交官のところもそうだが、領事館としての役割も兼ねている。応接室として用意した部屋に、彼女らは集まった。
『デハ、シバムラ ギジュツ カイシャ ノ ジコドウイツセイ ニ ツイテ ノ ハナシ デスネ。ソノ カクニン スル コト トテモ タイセツ デス』
「やっぱり、そうなんか?」
『ハイ ソコ アイマイ ナクナル スルト カイシャ ダメ ニ ナル』
佐上が訊くと、セルイは頷いて言った。
「何でそういう事になるんや?」
『ヒト カイシャ オナジ デス。サガミ? アナタ ノ マワリ ノ ヒトタチ。アナタガ トツゼン セイカク スゴク チガウ ヒト ナル。オナジ ヒト カンケイ ツヅク オモイ マス カ?』
「無理やろうな。せやな。例えば突然、宝くじにでも当たって大金持ちになって、羽振り良く金をばらまいたり自慢するような人間になったとする。そうなったら、うちの人間関係は終いやろうな」
当たるものなら、宝くじは当たりたいものだと思うが。けれども、それで人間関係をしくじりたいとも思わない。金があっても、孤独なのが幸せだとは思えない。それが、佐上の考えだった。
『ソノトオリ。カイシャ オナジ。カイシャ ツキアウ オキャク カイシャ ガ ソノ カイシャ ダカラ。デザイン スタイル カワル カイシャ。カウ ツヅケル?』
「言いたいこと分かる。確かに、それもそうや。お店がそれまでのブランドイメージと全然違うもの出してきたり、馴染んだ味と違う料理を出してくるようになったら、それでも買い続けるっていうことはないな」
お客というのは、ブランドの名前だけを有り難がって買い続けてくれるほど、そんなに甘くはない。期待していたものと違うものを提供されるようになれば、黙って去って行くのがほとんどだ。
実際、消費者心理として、そうして購買意欲を失った経験は佐上にもある。
『カイシャ カワル。シゴト ヤリカタ カワル。ショウヒン カワル。オキャク キタイ コタエナイ。カイシャ ダメ ニ ナル』
「そういうことか。めっちゃ分かりやすい」
うんうんと佐上は頷いた。
「なあ? この人めっちゃ凄くない? ノルエルクっていう国の人達、みんなこんな感じなん?」
「多分、みんなこんな感じだって思うわよ? 私も、直接お付き合いしているのはセルイくらいだから、噂でしか知らないけど」
そんな会話をする佐上を見て、セルイは笑みを浮かべる。
『ワタシ タチ キホン キョウイク デ ベンキョウ シマス』
セルイの言葉に、佐上は感嘆の声を上げた。つくづく、世の中は広いというか、国それぞれなのだなと、彼女は改めて思った。
『ダカラ ハジメ キキタイ デス。シバムラ ギジュツ カイシャ。ナニ ヲ メザシ ナンノ タメニ カイシャ ハジメマシタカ? ワカリマス カ?』
「それは、社長が何度も言うとったな。この、翻訳機を生み出すためや。学者としては追い出されたけど、翻訳機を実現させる金を得るために会社を立ち上げて、音声の仕事を請けて、研究を積み重ねてきた。社長にとって、この翻訳機は子供も同然なんや」
『サガミ ニ トッテモ?』
「せやな。うん。それは、ほとんどの社員にとって同じやと思う。こういう翻訳機を実現させるっていう夢の実現が、うちらを熱くさせるし。大事なもんなんや。そういう思いを共有出来ない人は、うちの会社とは合わんのとちゃうかな」
なるほど。と、セルイは頷いた。
『シバムラ ギジュツ カイシャ ノ イチバン タイセツナ モノ ワカリマシタ ネ』
「あ、言われてみればそうやな」
間の抜けた声を出しながら、佐上は頬を掻いた。当たり前すぎて、気付かなかったのかも知れない。
『ツギ ニ。ドウヤッテ。サガミ サン ナニヲ シゴト タイセツ カンガエマス カ?』
「うちか?」
どうやって仕事をしてきたのか? 何が成果に繋がったのか? それは一つ、佐上には心当たりがあった。
「これが正解かどうかは分からんけど。挑戦やな」
『チョウセン?』
「せや。無理。無茶。無謀。そんなのを恐れずに挑戦するんや。元々、この翻訳機もそんなつもりで外務省に売り込んだのが切っ掛けやしな。失敗や負けを反省はしても、恥だとは思わん。うちのそんな真似を止めない程度には、うちの会社は理解があると思うし、そういう精神があると思うわ」
言っていて、佐上は気付く。これもまた、会社から無くなって欲しくはない精神なんだなと。
『イイ カイシャ デス ネ』
「せや。いい会社なんや。社員のみんなも、良い意味でアホばっかで、風通しがいいんやで」
セルイの言葉に同意し、佐上は笑う。
『デハ コレモ オシエテ ホシイ デス。ホウホウ カイシャ ウル ダケ デスカ?』
「うん?」
セルイの問い掛けに、佐上は首を傾げた。
無理。無茶。無謀。無鉄砲。
それらと纏めてアホで括る。
誰が仕組んだ地獄やら。
アットホームな職場が笑わせる。
うちらは、何のために集められたのか。
佐上「うちらの会社を最低野郎な感じにするんやない!」