敷かれた道
社長室の中で、柴村は苦虫を噛み潰したような表情で、机の上に置いた一枚のリストを睨んだ。
「ほんまに、随分と用意周到なこっちゃな」
リストの中には、柴村技研の身売り先として、外務省が指定してきた企業の一覧が書かれている。数は十数社程度だが、いずれも日本企業であり、また日本人ならまず誰もが知っていると言っていいくらいの大企業だ。それも、柴村技研とは割と相性が良さそうな、伝統的に研究開発に力を入れ、社員の個性を尊重する社風であると言われているところに絞られている。
更に言えば、それらの企業のいくつかからは、実際に何度か仕事を依頼され、請け負ったこともある。その時の付き合いで、中にいる人間達がどんな会社かというのも、分かるものがある。
外資が入っていないのは、曲がりなりにも国益を左右しかねない技術を完全に海外に渡してしまうのだけは避ける為だろう。彼らと是々非々で情報交換や協力をすることは許してもだ。
この中から身売り先を選べば、あとは外務省がとんとん拍子に話を付けてくる。そこまで話を整えていることに、柴村は不愉快さを抑えきれない。また一つ、こちらの選択肢を勝手に奪ってきたようにしか思えないのだ。
確かに、こういうものも用意されずに、どう動けという話になるのかとは思し。また、精一杯に柴村が飲めそうな相手を選び、配慮したのも理解出来るのだが。
異世界で仕事をしている佐上もそうだが、外務省に身売りを要求されたことについては、既に社員全員に伝えている。
これについては、経営幹部も含めて反応は様々だった。その場で断固反対だと訴える者。仕方がないと納得する者。より詳細な判断材料を求める者。社長、柴村の判断に従うと言う者。
どの声が一番大きく、また正しいのか。現実的なのか。それは、柴村にも分からない。ただ、これまで一緒にこの会社を支えてきた社員達だ。せめて、どう考えているのか? 一人一人の声は聞きたいと、柴村は考えている。
なので、土日を挟んだ数日間の猶予を与えて、彼らには一度考えを整理し、メールで提出するように伝えた。提出が無かった社員や内容が気になるものを送ってきた社員に対しては、直接面談して意見を聞くつもりだ。
こんな風に社員一人一人に向き合っていくような真似も、大企業の一部となってしまったら、きっと難しいことになってしまうのだろう。そう思い、柴村は乾いた笑いを漏らす。
ただ、机の上に置いたリストは、まだ社員の誰にも知らせていない。彼らが知ると、余計な情報が増えてしまい、考えを整理する邪魔になると柴村が考えたためだ。
「ただ、少し話は聞いてみた方がいいか」
リストの中に一つ、どうしても気になる名前があった。相談に乗って貰おうと思い、柴村はスマホを取り出し、アポを取ることにした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
無理を言って時間を作って貰い、申し訳ないと思いつつ。柴村が押し掛けたその先で。
柴村が事情を説明すると、塚原最先端製作所の社長、蔵田省吾は顔を一気に強張らせた。
柴村にしてみれば、塚原最先端製作所は翻訳機の開発などでも、これまで二人三脚でやってきたような企業である。その人柄も含めて、蔵田のことは信用していた。
その蔵田の豹変に、柴村は泡を食った。
「おい? どないしたんや?」
両拳を握りしめ、蔵田は歯を食いしばりながら、頭を机の上に擦り付けるように下げてきた。
「な? は? おい?」
「すみません」
「だから、いきなりどないしたんや? 急に謝られても、儂には訳が分からん」
狼狽え続ける柴村の前で、蔵田は頭を上げようとしない。
「ひょっとしたらですが、その話。僕のせいかも知れません」
「何でや?」
「職人技術こそありませんが。蔵田製作所にいる僕の兄達も技術畑の人間です。僕達が翻訳機を開発していたことは知っているし、その先どうなるのかというのも興味津々なんです。流石に、柴村さんの約束を破って具体的なアイデアをしゃべったりはしていないですが。どういうことが出来る様にしたいとか、そういう夢は、柴村さんから聞かされたものを話してしまった覚えがあります」
「何やて? それは、いつの話や?」
「年末年始に、妻と子供を連れて実家に帰ったときです。親族間の集まりで、そんな邪険には出来ないし、それに技術の話をするのは、面白いですから」
「まあ、それは仕方ないわ。技術者やもんな」
ぼやきながら、柴村は頭を掻いた。
「ただ、頭は上げてくれんか? そんな真似されると、流石に話しにくい」
「はい」
伏し目がちながらも、蔵田が頭を上げてくる。
「それと、流石にそれだけで外務省が噛んでくるっていうのは、考えすぎとちゃうか? だってあれや、今度イシュテンの王都に白峰はんが行くらしいけど、その後はうちらの仕事がかなり忙しくなりそうやからって、そう外務省は言うとったんやで? 蔵田製作所の名前がリストにあるのは、ただの偶然とちゃうんか?」
そう柴村が言うと、蔵田は静かに長く息を吐いた。
「確かに、そうかも知れません。直接は関係が無いかも知れません。ですが、柴村さんは分かっていますか? 柴村さんが、どれだけ凄い仕事をしているのかって」
「そりゃあ? 分かっているつもりや。うちらの仕事は他の誰にも真似出来ん。いや? 流石にそれは言いすぎか? でも、決してどこにも負けんくらいの立派な仕事しているつもりや」
「そういう意味ではなく、柴村技研を欲しがる人達というのが、どれだけいて。幾らの価値を見出して、手に入れたがっているのかという話です」
蔵田の言葉に、柴村は気圧され、口をつぐむ。考えてはみたものの、答えは出ない。
そんな柴村の様子を見て、蔵田は続けた。
「兄さん達の話を聞くに、どこも本気で欲しがっているようです。それはそうですよ。柴村技研を手に入れれば、次世代を引っ張っていくと期待されるコア技術を手に入れることが出来る。技術的に興味があるのも勿論、ブランド価値だって上がる。ビジネス的に見過ごせるものじゃありません」
柴村は虚空を見上げる。
「ここ半年ほどは、そういう話も落ち着いてきたと思うんやけどな?」
「熱が引いたわけじゃないんですよ。柴村さんが断り続けてきたことで、どこかに奪い取られる危険性は薄いと思って、直接的なアプローチが減っただけで。裏では、熾烈な牽制と動向確認が続いているそうです。兄は、そう言っていました」
「つまりは、蔵田はんの兄貴達も、うちを狙っているっていうことか?」
「そうです」
「しかし、それがどうして外務省と関係してくるんや?」
柴村は首を捻った。
「憶測でしかありませんが。外務省は僕と柴村さん。そして、実家の関係についても知っているでしょう。だとしたら、候補の一つに蔵田製作所を入れていても不思議ではありません。ここなら、柴村さんも安心して身を売れると考えて」
ぎくりと、柴村は心臓を掴まれたような気分になった。
確かに蔵田の縁もあって、柴村の頭の中では、候補の中では高い方に位置していた。また、ここなら条件次第ではと思ってしまった節もある。
「柴村さんのアイデアは、外務省には話しているんですよね?」
「まあな。月野はんを経由してやけど。この先のことを考えて、伝えておいた方がいいと思ったからな」
「それらが全部、一気に欲しいということかも知れませんね。あるいは、直ぐに必要になると考えているか」
「あれ全部か?」
柴村は絶句した。流石にそれは、時期尚早だと柴村は考えていた。突拍子の無いアイデアも含めて、結構な数がある。
「蔵田製作所だけがということはないでしょうけど。僕の話を兄が聞いて、そして外務省に訴えかけて、外務省が現実味がある話だと判断したというのは、有り得る話だと思います」
申し訳なさそうに言ってくる蔵田に対して、柴村は苦笑いを浮かべる。
「でも、そんなの何の証拠も無い話や。考えすぎやて。だから、そう気にすんなって」
しかし、柴村にもそんな思いは消しきれなかった。まるで、ここに来ることも含めて、全部外務省に敷かれた道だったような気がして仕方なかった。




