変わっていく場所
時居と話をした翌日。
その日の渡界管理施設の仕事部屋には、月野と佐上だけが残っていた。
担当している仕事から、月野は部屋に残っていることが多いし、佐上も出歩くことはあまり無い。海棠も、記者として外に出ている時間は多い。
ちらちらと視線を送ってくる佐上に対して、後ろ暗さを感じながら、月野は彼女にどう説明したものかと悩んでいたが。何にしても、黙ったままでというのも、それはそれで辛い。
「佐上さん。すみませんでした」
彼女から視線を外したまま、月野は謝罪した。
「何がや?」
「柴村技研のことです。突然、こんなことになってしまって。私達からも、時居さんに事情を確認してはみたのですが、方針そのものを撤回させるというのは、やはり無理なようです」
月野は視界の端で、佐上の表情が曇るのを感じた。
彼女も覚悟はしていた結果だろうが、それでもやはり、ショックではあるのだろう。
「そうか。まあ、そうやな。おどれも、色々と言ってくれたのかも知れないけど。立場っちゅうもんも、あるしな。仕方ないわな」
少しの沈黙の後、乾いた笑いを佐上は返した。
「せやけど。社長も言うとったけど、そんな急な真似しろと言われても、本当に大丈夫なんかって思うわ。うちらは、うちらだったから、ここまでやってこれたし。これからもやっていけると思うとったんや。それが、全部台無しになってしまったら、本末転倒や。本当に、大丈夫なんかなって」
「佐上さん以外の会社の人達も、そうお考えなのでしょうか?」
月野が訊くと、佐上は首を横に振った。
「分からん。気にはなるけど、聞いてへんわ」
「そうですか」
これは、一度自分からも柴村社長に確認した方がいいかも知れないと、月野は考えた。それを聞く勇気を出せというのは、今の彼女には少し酷だろう。
「私も、本当にこんな話が丸く収まるのかって考えると、それは不安です。この話をこのまま進めていいとは、あまり思えません」
「何でや?」
佐上の問いに、思わず月野は呻き、顔をしかめた。少しばかり、どう答えたものか逡巡する。
「佐上さんが、そんな暗い顔しているからですよ」
ぶっきらぼうに、月野は答えた。答えてみたものの、やはり、くそ恥ずかしいと思う。
「勘違いしないで下さいよ? 佐上さんがそうなら、他の社員さん達にも動揺や不安が広がっている可能性は高いと思うんです。そういう、企業内での不協和音が収まらないことにはですね――」
「分かっとるて、何を顔真っ赤にして早口で捲し立てとるんや。何か、言われてこっちが恥ずかしくなるんやけど?」
呆れた声を漏らしながら、「暑い暑い」と言わんばかりに、佐上は手で顔を扇いだ。
「けれど、不安か。やっぱりそうかも知れんな」
佐上は天井を仰ぐ。
「うちは、やっぱり嫌やな。そのうち、ここでの仕事が一息ついて、大阪に帰ることになって。そんときになって、みんながおらんくなったり、変わっとったら嫌や」
「そういえば、先日には大阪に帰られたんですよね。会社の方にも挨拶に顔を出したって」
「せや。みんな、何も変わっとらんかった。うちがこっちに来る前と同じように出迎えてくれてな? それがほんまに、安心したんや」
「ひょっとして、一人でこちらに残って仕事を続けるというのは、心細いものもあったのですか?」
「当たり前や。翻訳機の売り込みに来て、ちょっと説明したら、それで直ぐに大阪に帰れると思っとったんが、残れ言われるんやで? しかも、いつ帰れるんか分からんし。おどれのような、口うるさくて目付きの悪い奴と仕事しろって話になるんやで? ストレスで倒れてもおかしくないくらいに心細かったわ」
「とても、そうは思えないくらいにぽんぽんと噛み付かれていたように思うんですけど? いや、私の接し方が悪かったのかも知れませんが」
こめかみに人差し指を当てて月野がぼやくと、佐上は歯を剥いて威嚇してきた。
「まあ、何にしても。そういう会社が、うちが大阪に帰ったときには全然違う会社になっていたとしたら。うちの居場所って会社のどこにあるんかなって。人によっては、居場所なんてものは作るものやって言うかもしれんけど。でも、やっぱり、寂しいと思うな」
「そうですね。佐上さんの気持ちは、分かると思います」
時居を始めとして、上層部はこういう現場をどこまで理解出来ているのだろうかと月野は疑問に思う。
「なあおい? 月野はん?」
「何でしょうか?」
「今うちが言ったこと、絶対に社長達には内緒やぞ? 言ったら、マジでしばくからな?」
「分かりました。約束します」
赤くなって釘を刺してくる佐上に苦笑を浮かべ、月野は頷く。少しだけ、彼女の声色が普段通りに戻った気がする。話をして少しは気が紛れたのかも知れない。
彼女が言ったことを別の形で伝えることはあるかも知れないと、心の中で謝っておくが。