国益の前の感情
月野達の予想に反して、時居の方から、会う約束の前倒しを提案してきた。月野が桝野とコンタクトを取ってきたというその事実が、影響しているのかも知れないと、月野は思う。例えば、桝野が時居に促した可能性などだ。
些か、急な話にも思えたが、月野達にしてみても願ったりな提案ではある。素直に応じることにした。
月野が桝野に電話をしたその翌日の夜に、月野と白峰は外務省の会議室へと向かった。
彼らが会議室に入って数分の後、時居も会議室に入ってきた。
一旦は着席して待っていたものの、月野と白峰は直ぐに立ち上がって一礼した。
「やあ。お待たせしてしまったようだね。すまない」
「いえ、定刻通りですから」
余裕を持ち、優雅さを感じさせる。そんな、ゆったりとした歩き方をして、彼は月野達の前の席に座った。
彼が着席するのを見届けて、月野達も着席する。
時居局長の顔写真は佐上と海棠にも見せたが。佐上曰く「映画に出てくる吸血鬼みたいなやっちゃな」という感想だった。軽く固めた髪と、整った髭。少し痩せぎすで、鋭さを感じさせる目付き。五十代という年齢に見えない若々しさが、彼女にそう思わせたのだろう。
そのときは何も言わなかったが、月野としても同感だった。
「さて、こうして君達と直接会うのは初めてだね。時居宗吾だ。アジア大洋州局の局長をしているが、引き継ぎが終われば、正式に異世界局局長として転属し、君達と一緒に働く事になる。君達のことは、桝野さん達からもよく聞いているし、これまで難局が続いた中での成果も立派なものだと高く評価している。これから、よろしく頼むよ」
「月野渡です。お褒め頂き、光栄です」
「白峰晃太です。若輩者ですが、精一杯やらせて頂いています」
月野も白峰も、時居に向かって頭を下げた。
「では、挨拶はこれくらいにして、本題に入ろうか。君達も、そのつもりでここにきたものだと思うからね」
無言で、月野と白峰は頷いた。
「率直に訊かせて頂きます。何故、私達に何も言わず、いきなり柴村技研にあんなことを言ったのでしょうか?」
「それは、不服ということかね?」
「理由が分からず、納得が出来ないと言っています。現場の担当者は、私達だと考えています。それを頭を飛び越えて話を進められては、混乱するだけだという話です。実際、柴村技研の人達は大きく困惑しています」
「私のすることが気に入らないなら、命令には従わない。そういう意思表示にも聞こえるが?」
「同じ事を言わせないで頂きたい。ただ、理由を説明して欲しいと。そういう要求をしているだけです」
微妙に話をずらされた受け止め方に、月野は少し、苛立ちを覚える。
「自分達も人間ですので。やれ、はい。とロボットのように動くことは出来ません。そもそも、そんな何も考えない頭の持ち主では、外交官として失格だと考えています。何のためにそれを行うのかという意識を共有すればこそ、組織というものは目的を達することが出来るものだと考えています。然るに、今の意識共有が成されていない状況では、時居局長の目指したものに十全の力を協力するのも難しいと言っています」
「なるほど、あくまでも、君達に事前に伝えていなかった理由のみを要求している。そういうことか」
「その通りです」
月野は首肯する。
「いいだろう。勿体ぶるのも時間の無駄だ。説明しよう。君達に事前に話を伝えなかった理由。それは、大きく分けて二つある。一つは、時間的余裕の問題。もう一つは、君達を柴村技研に対する憎まれ役にしないためだ」
「まず、時間の問題から教えて下さい」
「こう言ってはなんだが、君達は柴村技研とは近い間柄の人間だ。柴村技研に対する情も湧いていて不思議ではない。もしも、君達が柴村技研に強く肩入れしているようなら、柴村技研に話をする前に、君達を宥め賺す必要が出てくる。そこにいつまでも時間を掛けるリスクを避けた。外務省の本気度というものを伝えるという意味でも、今回は敢えて君達に話を伏せたまま、柴村技研には話をさせて貰った」
「そこまで、時間的余裕が無いということですか?」
「厳しいだろう。正直言って、一日一日が惜しい。数ヶ月ならともかく、民間でよくある合併交渉のような、年単位のものをやられては、とても間に合わないと考えている。一方で、今までは柴村技研が独立しているという路線は正しかったと思うがね」
少し間を置き、考える素振りをして。月野は話を促すことにした。
「個人的には、まだ納得したとは答えません。しかし、時間的な問題について、仰ることは分かりました。では、私達を憎まれ役にしたくないという意味についても、教えて下さい」
「これも、君達が柴村技研とは近い間柄の人間だというのが理由だ。柴村技研にとって、飲みがたい要求を突き付ける以上は、どうやっても外務省は憎まれることになる。一方で、これまで信頼関係を築いてきた、君達というパイプを捨てることも得策とは言えない。外務省が憎まれ一辺倒になっては、まとまる話もまとまらない。変な話に聞こえるかも知れないが、心情的には柴村技研に寄り添える存在というものが必要になるということだよ」
「それが例え、私達の反感を買うようなことになってでも。ですか?」
「そうだ。そう仕向けているのだから、私を憎いと思うなら憎んで貰って構わない。そこで、職務を放棄するほど、青くはなさそうだと。さっきの受け答えでも、感じたからね」
つまりは、さきほどの微妙なはぐらかしの会話は、そこの確認だったと。月野は、何故経験豊富な外交官であろう人物が、あんな会話の進まない真似をしたのか、理解した。
「自分達が柴村技研と近い人間だと仰るのなら、それこそ自分達が柴村技研を説得するというのではダメだったのですか?」
白峰の問いに、時居は目を細める。
「その気持ちは分からなくもない。だが、それが必ずしも上手くいくとは限らない。言っただろう? あまり、時間的余裕は無いと。心情的に近い君達に、会社を売れと言われて、はいそうですかと答えるかというと、そうはいかない。むしろ、君達を説得することで何とか会社を売らずに済む方法を交渉しよう。何とかしようという甘えが出てくる。そうなってしまうと、いたずらに時間が過ぎるばかりだ。それどころか、そんな彼らの嘆願を拒絶し続けるうちに、君達自身が柴村技研から裏切り者として罵られ、折角築いた関係が壊れることにもなりかねないんだよ」
「分かりました」
月野は横目で白峰の顔を見る。納得するには、時間が掛かりそうな顔を浮かべていた。まだまだ若いとか、そんな事を思う。自分もまだ、そこまで老いているつもりは無いし、果たして本当に、感情を隠せているかも自信は無いが。
月野は一旦、目を瞑って。深く息を吐いた。考えを纏める。
「つまり、再確認になりますが。柴村技研を大企業傘下にし、これから訪れるであろう多大な仕事量を捌ける規模に仕立てること。これは絶対に譲れないと言うことですね」
「そうなる」
「では、具体的にどういう青写真を描いていて。その為に、私達にどういう働きを期待しているのか? それを教えては頂けないでしょうか?」
「理解が早いな。助かるよ」
満足げに、時居は笑みを浮かべた。
「ただ、先に言っておこう。月野君?」
「何でしょうか?」
「私達は、国益のために働いている。そこに、私情は持ち込むなよ?」
「分かっています。私情で国益を損なうような真似だけは、するつもりはありませんから」
月野の脳裏に、佐上の訴えるような表情が掠めた。それを無理矢理、意識の外に送り出す。