生還と約束
白峰は意識が溶けていく感覚というものを自覚した。
全身の痛みとか辛さとか、そういうものよりも、まず強烈な眠気のような感覚だった。そんな感覚に押し流されながら、果たして自分が起きているのか眠っているのかもよく分からない。
医師が何か言っているようだが、声が遠くてよく聞こえない。
これは、いよいよ以てダメかも知れない。茫漠とそんな意識が浮かんだ。
覚悟は常にしていたつもりだ。恨みはしない。
ただ、申し訳ないと思った。もしも、このまま逝くとしたら、悲しんでくれる人はいるだろう。それが、やはりどうしようもなく申し訳ない気がした。
そう考えると、申し訳ないと思う人達の顔が思い浮かんできた気がした。両親を始めとして、この一年間で特に世話になった人達。
これが、走馬燈というものかも知れない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それは、溶けていた意識が、世界から切り離されて再び形を成したような。深く暗い水の底から突然に引き上げられたような。そんな感覚だった。
急激な気圧差で覚える違和感のようなものを感じながら、白峰はハッと目を開いた。
ここはどこだ? と、混乱するがすぐに理解する。ここは、自宅の寝室だと。
白峰は安堵の息を吐いた。まだ、自分は生きている。いつの間にか、呼吸器を装着しているが。
と、白峰は左手に違和感を覚えた。柔らかくて温かいものが触れている。彼はそちらに視線を向けた。
「ミィレ? さん?」
見間違いではなく、そこには白衣を着てマスクを装着したミィレがいた。そんな、ほとんど目しか分からなくても、彼女だと白峰は確信した。彼女は白峰の左手を握りしめたまま、椅子に座って寝息を立てていた。
何でここにミィレがいるのかという疑問は湧いたが。そんなことよりも、彼女がここにいること、彼女の寝顔を見る嬉しさの方が、白峰の心を占めた。
自然と、白峰の頬が緩む。
目を覚ます前に、走馬燈を見ていたような気がする。と、同時にそのとき、諦めたくはないという思いが強くなっていた気がする。そんな、生きる事への執着の理由が何かというのが、分かった気がした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
流石に、いつまでも白峰が起きたことに気付かないほど、ミィレは鈍くなかった。
白峰が気がつい十分ほどもすると、ミィレもどこか気配が違うことに気がついたらしい。やがて、瞼がピクピクと痙攣し、そのまま彼女は目を覚ました。
白峰が起きていることに気付くなり、ミィレは表情を輝かせた。しかし、それは一瞬のことで、すぐに彼女は顔を赤くして、むくれ顔に変わった。
睨んでくるミィレに対して、白峰は苦笑を浮かべる。
「おはようございます。今、何時だか分からないですけど」
「おはようございます。シラミネさん。気がついたんですね。本当に良かったです」
本当に安堵したと、ミィレは深く息を吐いてきた。
「でも、起きたならどうしてすぐに起こしてくれなかったんですか? 人の寝顔が、そんなに面白いですか?」
「そういうつもりは全然無くて。ただ、自分も起きたばかりだったし、ミィレさんもよく寝ていたから、起こすのも可哀相だと思ったから、声を掛けられなかったんだよ」
出来ればずっと寝顔を眺めていたかった。そんな本音は、白峰は誤魔化す。
「本当ですか? 本当に、起きたばかりなんですか?」
「本当です」
あくまでも、白峰の体感時間の上でだが。そんなことは、白峰は言わない。
「すみません。ミィレさんも、看病に来てくれたんでしょうか?」
「はい。治療のお手伝いをするために」
「そうでしたか。ありがとうございます。助かりました」
そう、白峰は礼を言うものの。ミィレの表情は陰った。
「いえ。元々、私のせいだったかも知れませんから」
「それは? どういう?」
白峰は首を傾げた。
「シラミネさんが罹ったのはこちらの季節性風邪だと思います。そして、私もつい数日前は風邪を引いていました。今思えば、思い当たる節はあります。けれど、大したことはないと高をくくってそのままシラミネさんと一緒に仕事をしてました。そのときに、うつしていたかも知れないんです。だからこれは、せめてもの罪滅ぼしなんです」
「そんな。罪滅ぼしだなんて。本当にミィレさんからなのかも分からない話なんだし」
そう、白峰は言うが、ミィレはそういうことにはなかなか出来ないようだった。その表情は硬い。
「でも、何にしても助かりました。何だか、いつの間にかよく分からない機械も増えているし」
そう言って、白峰は周囲を見渡す。呼吸器を装着していることもそうだが。寝室は集中治療室さながらの雰囲気を出している。これまで、そういう部屋の世話になったことは無いので、実際のところは分からないのだが。
「シラミネさん。大変だったんですよ。気を失ってから、三日は意識が無いままで。昨晩にやっと、熱も引いて容態が安定してきたんです」
「三日?」
まさしく生死の境を彷徨っていたのだと、白峰は理解する。しかし同時に、あまりにも唐突過ぎて実感が湧かない。
「それ、ヤコン先生もミィレさんも大丈夫でしたか? ほとんど、眠れていないんじゃ?」
「そうですよ。もう、ずっと、ほとんど不眠不休でした。ヤコン先生は、居間のソファで寝ていると思います。私も、寝るつもりは無かったのに、気が抜けちゃったんでしょうね」
けれども、白峰の無事な姿を見れば、その苦労も吹き飛んだと言わんばかりに、ミィレは笑ってくれた。それが、白峰には何よりも嬉しかった。
「ひょっとして、この機械の操作とか、ミィレさんもやっていたんですか?」
「はい。ニホンのお医者さんから教えて貰いながら。人手が足りないっていうのもありましたけど。そういうのは、ヤコン先生にいきなりやって貰うのは、大変だと思うので。翻訳機はあるけれど、ニホン語の細かいところとか。機械そのものの事前知識とか。そういう壁があるから。だから、私以外にはやれない仕事だって。そう、思いました」
「それでも、いきなりでそういう説明を聞いただけで何とかやれるというのも凄いと思うんだけど? ひょっとして、日本の医療とかにも、興味があったりしたの?」
白峰が訊くと、ミィレは押し黙った。
「ごめん。答えにくいことだったりしましたか?」
「いえ。そういう訳じゃないんですけど」
しばらく躊躇った後、ミィレは口を開いた。
「私、実は病気の弟がいるんです。私がアサお嬢様の従者になるため、奉公に出たのも弟の治療費を稼ぐためでした」
「弟さん? 重い病気?」
「はい。詳しいことは分からないけれど。生まれつきの心臓の病気です。だから、異世界の医療なら、何か治療方法があるかも知れないって思って、色々と調べていました。黙っていて、すみません」
「別に、謝ることじゃないと思うんだけど。でも、そういう理由があったんだ」
何となく、白峰は引っ掛かっていたものが解けた気がした。
これまでの付き合いで、どこかミィレが自分を縛っているような、諦めているような。そう、決められた生き方に殉じようとしているとしている。そんな風に、白峰は感じていた。
何が彼女をそうさせているのか。これが、その答えなのだろう。
「ミィレさん」
「はい」
「自分は、一つ約束します」
「何をですか?」
深く、白峰は息を吸った。
「自分は、一日でも早くミィレさんの弟さんの病気が治せるために、全力を尽くします。自分達の仕事は、その道にも続いていると思うので。ミィレさんは罪滅ぼしだって言ったけれど、自分はやっぱりそうは思えません。ミィレさんは命の恩人です。だから、そういう形で、恩を返させて下さい」
白峰の言葉に対し。ミィレは、何も言わず、ただ頷いた。
ヤコン「本当は起きていたけど。ラブコメの波動を感じたので、寝たふりを続けました」
↑有能




