異世界初詣:アサ=キィリン
アサ=キィリンは刺激に飢えていた。
屋敷のほとんどの者達は、年末年始の休暇でいない。ミィレはおろか、シヨイやティケアも実家で過ごしている。警備の人間が数名いる程度だ。食事は料理人達が作ってくれたものがあるので、それらを温め直せばよい。
ニホンにもそのようなものがあると聞いたような気がする。年末年始を徹底的にごろごろ過ごすための伝統料理である。また、これらの伝統料理を食べながら、メシマズで名高いアルミラ料理の改善に利用出来ないものかなどと考えたりもした。
こうして、アサはニホンから買い込んだ図鑑を眺め、ゲームをしては気ままに眠り、風呂に浸かりと、自堕落かつ優雅な休日を過ごしていた。日頃の疲れが溶けていくのを彼女は実感していた。
シヨイやティケア達に見られようものなら、何を言われるか分かったものではないが。今は彼らがいない貴重な時間なのだ。思う存分に羽を伸ばしたい。
が、それも何日も続ければ飽きが来る。そこで、最初の話に戻るが、刺激に飢えてきたわけである。
「ふむ」
顎に手を当てて、アサは自室の天井を見上げる。
流石にこれは自重すべきかと思っていたが、どうにも我慢が出来なくなってきた。ミィレも実家に帰ると決まった頃から、計画だけは立てていた。その計画を実行せずにいられようか? いやない。
計画とは何か? そう。お忍びの外出である。
確かに、外出は、それこそ子供の頃に比べれば大分自由がある。予め、いつどこに何の用件で出かけるのかと伝えておけば大抵のところには行ける。
しかしだ。それでも、やはり制限はある。行けるところといえば美術館だとか図書館だとかそんなところばかりだ。しかも、ミィレを共にしなければならない。
アサが望むものは、そうではない。そうではないのだ。もっと、一人で勝手気ままに出歩いては、俗気のあるものに触れたい。
前々から、祭で立ち並ぶ屋台というものに興味はあったのだ。例えば、割高な割には美味くないくせに、ついつい買ってしまうという食べ物とは、どんなものなのか。子供の頃には、焼き麺で再現してくれと料理長に頼んだこともあったが、意地でも作らないと拒否されたこともある。涙を流して懇願しても、彼は作ってくれなかった。それは、今でも恨んでいる。
「よし」
彼女は頷いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
年越しのお祭りは、家族連れか恋人同士。でなければ最低限、同性の友人同士で行くものだというのが、このあたりの常識となっている。
アサの様な年若い女が一人で行くとなると、色々と可哀相な目で見られることになる。それだけではない。イシュテン女は貞淑ではあるが、逆にイシュテン男はお調子者が多い。女にその気が無くても、無用なちょっかいを請ける可能性が高い。
そういうのは、アサもお断りである。
では、どうするか?
アサはお忍びの服装として、仕事着を選んだ。そう、これはあくまでも仕事の一環なのだという姿を周囲に見せておけば、それはそういう理由によるものなのだと欺くことが出来る。
目立ちはするだろうが、そこは気にしたら負けだ。
髪型や化粧も、普段とは違うものにして、一見するとアサとは分からないような姿にしている。
列に並んで、アサの順番が回ってきた。
「焼き麺を一つ」
人差し指を立て、アサは努めて落ち着いた声で屋台の主へと注文する。先ほどから、香ばしい薬味の匂いが嗅覚と胃袋を刺激して堪らないのだが、そこはグッと堪える。
主はアサを見ると、一瞬、怪訝な表情を浮かべたが。
「あいよ」
すぐに、彼は平静な顔に戻り。焼き麺を紙箱に入れていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
唐突に、イルが立ち止まった。
その様子に、海棠も立ち止まって、彼を見上げる。
「どうかしましたか?」
『ハイ。アレ』
と、イルが指さした先を海棠も見る。
「ん? んんん?」
人混みの中。視線の先には、仕事着というこの祭では明らかに浮いた格好をした若い女がいた。しかし、どことなく、その顔と服には見覚えがあるような?
『ヒメサマ デス』
「やっぱりっ!?」
海棠はあんぐりと口を開けた。あの人、こんなところでなにやっちゃってんのかと。
「あの? あれ、ひょっとしてバレてませんか?」
『ハイ。タブン キヅク ヒト キヅク』
「どうします? 誰も何も言わないんですか?」
『ダマッテ イイ オモイ マス。ジャマ ヨクナイ カンガエル。タノシソウ』
「ああ。確かに」
中身の詳細は分からないが、両手でたっぷりと屋台の料理や小物を抱え込んでは、彼女は満面の笑顔を浮かべていた。あの顔を見て、止められる者がいるだろうか?
『ムカシ カラ トキドキ ヒメサマ アアイウ マネ シテイタ。ユウメイ。デモ、ジッサイ ミルノ ハジメテ』
これは、記事にもしないでおいて上げた方がいいんだろうなと、海棠は思った。
後で、噂を聞きつけた家令さん達から怒られなきゃいいけれどと願うが。