帰郷:月野渡(1)
結局、月野は帰省することにした。
勝手に押し付けられたとはいえ、手配された切符やホテルを利用しなかったとなると、佐上から何を言われるか。面倒な展開しか思い浮かばない。それに、お節介だがここまでされてというのも、気が引ける。
あとは、あのままルテシア市に残っていたら、海棠に年末年始の祭へ一緒に行く相手として使える相手にもなりかねない。その相手をイルへと誘導するため、退路を断つためにも、月野はこの選択を決断した。
我ながら口実に過ぎないと分かってはいるものの、帰省する理由としては悪くないと思う。
佐上も月野の詳細な故郷までは知らない。手配された宿は、青森駅近くにあるビジネスホテルだった。
月野はホテルのベッドに横たわり、目を瞑る。昼前ぐらいに東京を発って、夕方に到着。海外で働いていた頃に比べれば、移動時間はさほどでもないが、それでも疲れた。
こうして横になっていると、昔のことが思い浮かんでくる。
両親は、物心つくかどうかという頃に亡くなった。二人とも、交通事故だった。
父も母も、血縁が近い親族はほとんどいないという二人だった。父もまた早くに両親を亡くし、母には両親だけがいた。そして、月野は母方の祖父母の家に身を寄せることとなった。
彼らの躾は、厳しかった。今思えば、彼らなりに老い先短い中で、孫をどこに出してもやっていけるような、そんな必死な思いもあったのかも知れない。しかし、子供の月野にしてみれば、遊びたい盛りだというのにがちがちに締め上げられるような日々は、息苦しくて仕方がないものだった。
それでも、当時の躾が今の身を助けている部分もあると自覚はしているので、そこは皮肉なものだと彼は思っている。
祖父母は林檎農園を営んでいた。それに、月野もよく手伝わされた。彼らは口には出さなかったが、月野がやがて林檎農園を継いでくれることを期待していたように思う。
そんな毎日が、月野にはうんざりだった。
毎日、毎年。何も代わりはしない日々。祖父母からは常に頭を抑え付けられ、遊びらしい遊びも覚えられず、そしてつまらない奴となって友人もいない。そんな子供時代だった。
将来何になりたいか? どうなりたいか? そんな夢は何も思い描けなかった。つまり、自分という男はこれから先もずっとこの土地に縛られて、変わらない光景を眺め続けて、そうして、それだけで死んでいく。そんな将来しか見えていなかった。
それが、中学の修学旅行のときだった。
旅行先は関西だった。京都の寺社仏閣を巡り、大阪で水族館に行ったり繁華街で自由行動をしたり。そんな、ある意味ではありきたりかも知れない旅行だった。
けれど、そんな数日間の旅行が、月野にはどうしようもなく刺激的に思えた。故郷とは違う、どこまでも立ち並ぶビルも、混雑する人々の往来も。変化に満ち溢れて、輝いて見えた。彼自身、我ながら大袈裟だとは思っているが、これこそが、生きているということだと、初めて実感出来た気がした。
帰りたくない。もっと、あちこちを見て回りたい。月野は心から、そう思った。最後の宿泊では、人知れず、声を押し殺して泣いた。
それからだ。
あの修学旅行は、もう忘れられないものとなった。ある意味では、彼にとって知恵の実のようなものだったかも知れない。
故郷を出る。それが、月野の夢となった。
目標は出来た。叶えるために、勉強に励んだ。
高校生になり、進路を祖父母に伝えたときは、猛反対された。「止めておけ、自分やお前の様な田舎者が都会でやっていける訳が無い」「世の中には、もっと凄い奴が山ほどいる」と。全国模試の結果を見せてもダメだった。ほぼ独力でそこまで学力を磨いたことよりも、その上に沢山の、塾や予備校で鍛えられた人間がいることを彼らは重く見た。
あれが、今思えば彼らに対して貫いた、最初で最後の、そして最大の反抗だったと思う。
結局、我ながら色々とぎりぎりだったとは思うものの、希望していた東京の大学には合格した。そして、彼らとはほぼ喧嘩別れで月野は上京した。
奨学金も利用したが、大学の学費や生活費については、両親の保険金で賄ったところも大きい。そこは、祖父母は手を付けようとしなかった。今思えば、その点で彼らは誠実だったのだと思う。世の中の汚い話を見聞きすると、そう思う。
大学生になってからは、一度も帰省していない。また、連絡も取ろうとしなかった。
卒業して、外務省に就職してから、ようやくその報告と連絡先を短くまとめて、彼らに伝えた。返事は無かった。
研修を終え、主に東南アジアの国々で月野は働くようになった。祖父母のことが全く気にならなかったかと言えば、それは嘘になる。けれども、連絡が無いことは元気な証拠だと考えていた。仕送りをしていたことも、疚しさを和らげていた。
目新しいものに日々触れる毎日を送り、月野は自分の人生を充実していると思っていた。
そんなある日のことだった。
祖父母が亡くなったと、弁護士から連絡が来た。祖父が農園の作業中に転んで脚の骨を折って入院。そのまま施設へ入る。祖母も、一人暮らしでは不安がある状態だったので同じように施設へ。そして、運悪くインフルエンザが流行した中で重症化してしまい、二人ともそのままという話だった。
あまりにも急な出来事に、月野はなかなか理解が追い着かなかった。
事情が事情だけに、休みは早く貰えた。帰国して青森へ、そして簡素に葬式を上げ、納骨を済ませた。
最後に見た祖父母の顔は、面影は残していたものの、高校の頃よりも相当に老いさらばえて見えた。
そしてそれから、一度は元の仕事に戻ったものの。酷いホームシックに悩まされるようになってしまい、これでは仕事を任せられないと、日本に呼び戻されることとなった。
日本に戻ってからは、地道に成果は上げられるようになったと思っている。出世街道などというものからは、外されてしまったとも理解しているが。
と、ここまで思い返して。
「郷愁なんて感情は、湧かないものなんですね」
そう、月野は思う。青森まで来れば、何か感じるものでもあるのかと少しは思ったものの、何の感慨も無かった。あるのはただ、胸にぽっかりとした空白で。むしろ、それを大きく感じた。
ただ、それならそれでいいとも思った。今回、青森に来たのは、自分がここに来てどう感じるのかを確認したかったからなのだろうから。