気まずい二人
白峰と佐上が実家へと帰っている一方で。休暇を後半にしている月野と海棠は、渡界管理施設の部屋で、二人で仕事をしていた。
そして、その空気はというと。月野は眉間に皺を作り、海棠は時折頭を掻いては唸るという具合で。つまりは、空気は重かったりする。
仕事は仕事で、黙々と片付けてはいるのだが。彼ら二人がいないだけで、こうも居心地が悪くなるものかと、二人揃って悩ましい思いを抱いていた。
と、不意に部屋の扉が叩かれた。
「はい。どうぞ。空いてますよ」
月野が落ち着いた声で返した直後、「入るわよ」と言ってアサが顔を見せた。
部屋に入るなり、アサは怪訝な表情を浮かべる。
「何? この空気? あなた達、喧嘩でもしているの?」
外部に見せないように、月野も海棠もすぐに取り繕ったつもりだったが、そこは流石に隠せなかったようだ。月野は苦笑を浮かべる。
「いえ? 全然そういう事は無いんですけどね。私があまり、積極的に自分から雑談を振ったりとか、気が回らない性格なもので。そのせいかと思います。いつもなら、こういうときは佐上さんが話題を振ってきたり。白峰が仕事の報告や相談をしてきたりして、何かしら会話があったりしていたもので」
「私も、佐上さんや白峰さんに乗っかってばかりだったから。どうしたらいいのかなあって」
「おや? 海棠さんもだったのですか?」
「そうですよ。何か話した方がいいのかなって思っても、何も思い浮かばなくて」
笑いながら言ってくる海棠に、月野は救われた気がした。思えば、こんな風に穏やかな空気になったのも久しぶりな気がする。
「そういう訳で、アサさんが来てくれて助かりました。失礼かも知れませんが、少し気分転換になりましたから」
「何か切っ掛けが無いと、こういう空気ってなかなか崩れてくれないんですよねえ」
「なるほどね。分かる気がするわ。私も、ティケアと二人っきりとかだと? まあ、覚えがあるわね」
納得したと、アサは頷く。
「ところで、アサさんは何の用ですか?」
「そうね。王都からの話を持ってきたの。それは、この書類にまとめたから、後で読んで頂戴。時期が時期だから、返事は猶予がある話ばかりになるから、そこは急がなくて大丈夫よ」
「分かりました。お預かりします」
月野は席を立ち、アサのところへと出向いて、書類を受け取った。
「――でも、本当にそれだけ?」
「それだけ? とは?」
月野は小首を傾げた。
アサは目を細める。
「二人が喧嘩をしていないっていうのは分かったわ。でも、何となく引っ掛かるのよ。それだけであなた達、こんなにも重々しい雰囲気になる? って。普段のツキノなら、こういうときには飴玉くらいは出す程度の気配りが出来ると思うのだけれど? それも思い浮かばないくらいに、余裕が無いのかしらって」
「買い被りすぎですよ」
「ふ~ん? サガミは、『ようやく、ツキノもそういう事が出来るようになった』って自慢していたんだけれど?」
「その話、心当たりはありますが、あの人の中では、それは私を躾けたみたいな話になっているんですか」
月野は嘆息し呻いた。
「なので、悩み事でもあるのかしらって、ちょっと思っただけ。カイドウも、ツキノが黙っているからって、それで話しかけられないほど苦手に思っているとは、私考えていないんだけど?」
「まあ、そうですね。確かに」
曖昧に、海棠は笑みを浮かべた。
そんな彼らを見て、アサは肩を竦めた。
「まあ、喧嘩じゃないって言うのならいいわ。お邪魔したわね」
そう言って、アサは手を振って部屋を出て行った。
再び、部屋に沈黙が降りる。
「食べますか?」
引き出しを開け、飴を取り出した。折角、アサが空気を変えてくれたというのに、このまま元に戻っては勿体ないように思えた。
「飴ですか? 本当に持っていたんですね。あ、頂きます」
月野は飴の入った袋を持って、海棠の隣へと赴く。
海棠は袋に手を突っ込み、いくつか飴を取って口の中へと放り込んだ。
「でも、月野さん。何かあったんですか? ひょっとして、佐上さんがいないから調子狂っています?」
「そういう訳ではありませんが。まあ、また困った真似はしてくれましたね」
「ほほう?」
途端、海棠は目を光らせて、月野へと身を乗り出した。「凄い食い付きだなあ」と、月野は内心思う。
月野は白峰の椅子を借りて、座った。
「あの人、実家に帰る前に、勝手に切符と宿を手配してそれら一式を私の家に郵送してきたんです」
「大阪の? うっわ。何ですかそれ?」
瞳の輝きが増す海棠の一方で、月野は半眼を浮かべた。
「何で大阪なんですか? 青森ですよ。私の故郷です」
「ははあ? まずはそっちからということですか」
「だから、何がですか?」
しかし、海棠は逆に何故聞き返されているのか分からないと首を傾げた。なので、掘り下げても、話が余計に混乱しそうだと判断し、月野は先を続けることにした。
「まあ、あの人がどういうつもりでこんな真似したのかは、何となく想像付きます。以前に、皆さんと酒を飲んだ日に。やっぱり酔ってましたね。つい、故郷にずっと帰っていないことを話してしまったんですよ。それを引き摺っているのなら、とっととケジメ付けてこいと。そう言いたいんでしょう。全く、お節介なことです」
「それを怒っているんですか? 佐上さんに連絡は?」
「別に、怒ってはいませんが。でも、どういうつもりか話はしたいですね。着信拒否されている上に、メールも無視されているようですが」
「うーわ。徹底してますね」
呆れと驚嘆が混じったような声を海棠は上げた。
「それで? 帰省はするんですか? それとも、そんなにも帰りたくないから困っているんですか?」
「全く帰りたくないという訳ではないです。ただ、帰りにくいところではありますね。帰ったところで、どうするんだというか。行かないと、またあの人はぎゃいぎゃいと騒ぐんだろうなあとか。はたまた、こんな理由で帰っていいのだろうかとか。そんな事を考えています」
「なら、帰ってもいいんじゃないですか?」
さっぱりと、海棠は言ってきた。
「どうしても帰りたくないっていう理由があるのならともかく。そうでないのなら、『そんな理由』で帰ってもいいと思います。何だったら、宿に泊まって故郷の空気を吸うだけでも、何か変わるかも知れませんよ? あれこれ考えるより、やってしまった方が気が楽になること多いですし。どっちかっていうと、単に、欲しいものを買うか悩んだ場合、結局買っちゃった方が気が楽だったという個人的な経験ですけど」
「なるほど、そうかも知れませんね」
他人事のように。まあ、海棠にとってはまるっきり他人事なのだろう。だからこそ、月野には腑に落ちるような気がした。こんな理由でも無ければ、ここまで帰省を考える機会は無かったかも知れない。そう考えると、これは得がたい機会のように思えた。
「有り難うございます。少し、気は楽になった気がします」
「お役に立てて何よりです」
にかっと、海棠は笑みを浮かべた。
「ああ、でもよかったら。月野さんも私の相談聞いて貰えますか?」
「海棠さんにもお悩みが? 何でしょうか? 私が力になれるか分かりませんが、それでもいいなら」
月野がそう言うと、海棠はほっと安堵したように息を吐いた。
「実は、今度の年末年始祭の取材で、案内を頼めそうな人を探していて――」
結局、そこからはどうやってイルに案内をお願いすれば良いのかという。月野や白峰にしてみれば「普通に頼めばいいよ」としか言えない話だったのだが。というか、海棠の中でも、実質的にイルに頼むで答えが出ているとしか思えない話だったのだが。
月野は忍耐と駆け引きを駆使し、月野が上手く言ってイルに依頼するということで話は決着した。なお、事の顛末を聞いたイルは大層喜んだ。