「それ」の名は
白峰とミィレが一緒にイシュテンの言葉を勉強していくの巻。
今回で、ようやく自分的にはここ数話の「仕込み」だったエピソードは終了。
「仕込み」って、結構テンション上げるのむずい。
改めて考えると、世の中には数多の単語があるものだ。
白峰はそう思い知らされた。
日本語の辞典の場合、小さなもので6万語を超える。大きく分厚いものになると、25万語近くにもなる。
白峰が学生時代にお世話になった英語辞典でも、確か7万語は超えていたはずだ。
そこまで、物が無いと思っていた待合室でも、意外と多くの物があった。出して貰ったお茶やカップの他に、鉢植え、美術品、机、椅子、床、壁、天井。来客の暇つぶし用なのか、本もいくつか置いてあった。
壁には時計も掛けられていた。盤面の文字は読めなかったが、時刻が12分割されているのを見るに、こちらも時間の単位には12進法と60進法を採用しているようだ。その数字も勿論、翻訳機に記録した。
地球上の文明で、時間をそれ以外の方法で計っている地域というものは存在していない。昔見た教養番組で、フランス革命の時期に10進法を採用しようとしたことが有ったが、結局は対応出来ずに終わったという話を思い出したが。
と、するとこの星の自転と公転の周期も、地球とほぼ変わらないのかも知れない。実際、腕時計の秒針とその壁掛け時計の秒針を比較してみたが、その進む速さに違いは無いようだった。
その様子は、ミィレも興味深そうに見ていた。彼女にも、この結果には思うところがあったのかも知れない。
最初は「これは何ですか?」とイシュテンの言葉で彼女に聞いていたが、それも段々と面倒になった。これは、お互い様だろう。
いつの間にか、白峰もミィレも、指差しで何について言葉を記録するのか、意思を伝え合うようになった。
白峰が、まず記録したい物の名前と音声を翻訳機に記録する。そして、続いてミィレに渡し、彼女がそれをイシュテンの文字と音声を記録していくという具合だ。
順応力が高いのか、ミィレも直ぐに翻訳機の操作を覚えてくれた。まあ、実際にやることは単純作業ではあるのだが。
ちなみに、このときに多少、単語が間違っていてもいいというのが、佐上の説明だった。
例えば、動植物の名前などは、その固有名ではなく、もっと大雑把な「草」とか「花」になってしまうことや、またその逆も有り得る。けれど、そういうものも言葉を何度も繰り返し作って、間違いだと分かればそれを修正、調整していけばいいのだと。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
待合室から続いて、今度は客室へと案内された。
客室だと白峰が判断したのは、どうにも雰囲気に宿泊施設のそれと似通ったものを感じたからだ。寝台や化粧台があるが、多くの衣類をしまう箪笥のようなものは置かれていない。完璧に清掃がされ、またその内装も、昨日に会談に使用した部屋ほどではないが、華美で凝っている。
日常的に使うにしては、生活感が無さ過ぎる。だいたい、判断の理由はそんなところだ。
ただ、よくよく考えると奇妙に思えるところも見つかってくる。
ここに来るまで、おおよそ金属の類いを見かけていない。紙。木材。石材。プラスチック。ゴム。セラミックス。硝子。そういうものは存在している。しかし、金属だけが見当たらないのだ。
"まさか? 金属が存在していない?"
馬鹿げた発想だとは思うが、そんな可能性が白峰の頭をよぎった。
学生時代に受けた歴史の授業を思い返すに、金属加工の歴史は人類の歴史、文明の発達に密接に関わっていたはずだ。
にも拘わらず、この世界は「近代的に見える」程度には文明が発達している。あのゲートを生み出す程度には、高い技術力を持っている可能性も高い。
仮に、金属が存在していないとして、そこまで文明が発達するということは有り得るのだろうか?
"いや、待てよ?"
白峰は天井を見上げた。
この部屋もまた、電灯や燭台の類いが存在していない。あの待合室も、ここに至る廊下までもだ。
文明の発達に金属が関わっていないというのなら、逆に「それ以外の何かが存在し」「その役割を果たしていた」という可能性は無いのか?
「シラミネ=コウタ?」
ミィレに呼びかけられ、白峰は我に返った。
気付けばまた考え込んでいたらしい。顎に手を当てていることに気付いた。
くすりとミィレが笑みを浮かべ、眉間を人差し指で挟み、皺を作って見せてくる。「こんなに皺を作っていましたよ?」と、そう言いたいようだ。
「ごめん」
そう言って、後頭部を掻きながら白峰は頭を下げた。
だが、それでも一度よぎった考えは拭えない。
「ミィレさん。あれは?」
白峰が天井を指さすと、ミィレは小首を傾げた。戸惑いながらも、翻訳機を見せて言ってくる。翻訳機には、これまで登録した単語の一覧表示機能もある。
その中にある言葉なのだから、恐らくそれは「天井」だろう。彼女が言いたいのは、「もう既に登録しましたよ?」と、つまりはそういうことだ。
しかし、白峰は首を横に振った。
今度は手のひらを開いて、天井に向ける。そして、口元に手を近づけ、開閉した。
僅かに、ミィレの表情が強張った。ような、気がする。気のせいか? 彼女は、これを説明することに何か抵抗がある?
だが、それも一瞬の事だった。
彼女は昨日に見せたように、天井に手のひらを向け、唱えた。
そして、昨日の通りに、天井は音も無く発光する。
白峰はイシュテンの言葉で「これは何ですか?」と訊いた。
彼女の答えはきっと、これから先とても重要な言葉になると、奇妙な確信を抱きながら。
白峰とミィレの初めての共同作業。
二人は視線を交わすだけでお互いの意思疎通が可能に。
とか、考えると何か嫉妬がね。いや、作者としてはこういう感情は切り離さないととは思うけど。
金属縛りでどんなことが出来るのか、出来ないのかについては、一応調べてはいるし、このエピソードに出した素材は用意出来ると思うけど。結構不安。