帰郷:ミィレ=クレナ(2)
ぼうっと、ミィレは自室で天井を見上げる。
でも少しすると、それも億劫に感じて、うつらうつらと目を閉じた。
思いっきり朝寝坊だが、今日くらいはいいだろう。あらかじめ、両親には「明日はゆっくり寝させて欲しい」と伝えている。
家族から、シラミネについての質問攻めを躱し続けるのにも疲れたのだけれど。それはそれとして、こうして実家に帰ると一気に気が抜けてしまいそうな気がしてならなかったのだ。
そして、その予想は当たった。
体に妙に力が入らない。決して、不快なものではない。どちらかというと、お風呂に入ったりして、その心地よさに動けなくなるような。そんな感覚だ。
アサ家のお屋敷を第二の故郷だと思ってはいたものの、ここまでだらけられるかというと、なかなかそうはいかない。どうしても、仕事から離れ切ることは出来ないように思う。
とはいえ、それはそれで、自分の中に緩みきらない緊張感があるような気がして、悪くないと思っている。
「でも、やっぱり気を遣っていたかなあ」。とか、そんな事を内心で思いながら、ミィレはむにゃむにゃと息を吐く。
この部屋も、家を出た当時のままだというのは理解している。けれど、帰ってみると狭く感じるようになった。ここでも、時間の流れというものを意識させられた。
この家を出て、アサ家に仕えるようになったのは、弟が理由だ。
ルホウは生まれつき胸が悪かった。運動をすると、すぐに息が切れ、顔が真っ青になるほどだった。医者の見立てでは、確証は無いものの心臓か肺に小さな穴が空いているのではないかという話だった。
どれほどの効果があるのかは分からないものの、血液を滑らかにすると言われている薬や、心臓の働きを抑制、安定化させると言われている薬をルホウは飲むように勧められた。
最低限は行うものの、運動はなるべく控えるように心がけ、食事にも気を遣っている。
その効果がどれほどだったのかは分からないが、こうして今も彼が生きているということは、治療方法として間違ってはいなかったのだろう。
けれど。それでも完治する見込みはほぼ無いだろうというのが、現実だ。
その診断結果を医者から聞かされたとき、夜通し両親が啜り泣いていたのをミィレは覚えている。
あと、問題は薬代だった。ルホウに使う薬は貴重で高い。町では裕福な方とはいえ、それでも両親の稼ぎでは厳しいものだった。財産を切り売りするのにも限界がある。
そんな折、アサ家に父が窮状を相談した結果、ミィレが屋敷に仕えその給金を実家に仕送りするという話になったのだった。
弟の命を救える提案を出してくれたアサ家には、家族全員が深い恩を感じている。
「それにしても、参ったなあ」
シラミネとのことは、単に色々と彼から聞く異世界の話が興味深かったからで、それ以上の感情は無いつもりだ。
何故なら、この家を出てアサ家に仕え始めたときに誓ったから。
この身はすべて、アサ家と弟のために使うのだと。恋愛? 結婚? 家庭を築く? そんな幸せは願わない。その分、彼らに少しでも幸せな人生を歩んで欲しいのだ。
けれど、やっぱり書けるネタは多いので、ついついシラミネのことは手紙に書きすぎてしまっていたらしい。家族から変な邪推を招いてしまったものだと思う、今後は自重する方向で考えた方がいいかも知れない。
「そういえばあの人、今頃何しているのかしら? ちゃんと、食べているといいんですけど」
どうにも、あの男はちょっと目を離すと自炊とか疎かになりがちなので、そこが心配だ。今は若いからいいものの、こんな調子で外交官という体力勝負の仕事を続けられるのかと。
「――って、だから、そういうのじゃないんですってば」
自重しようと考えたそばからこれである。これではまるで、本当に意識しているみたいではないかと。
「まったく、みんな好き勝手に煽るような真似を言うんだから」
それが理由だと、ミィレは結論づけた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
くあぁ。と、大きく欠伸をしながら、ミィレは居間へと向かった。
「おはようございます。母さん」
母は、いつものように仕事をしていた。テーブルの上には色々な書類が積み上がっている。もう数日で仕事納めではあるが。
「おはよう。クレナ。本当によく寝ていたわね。もう昼前よ。よっぽど疲れていたのかしら?」
「ん~。まあね。特に、昨日は母さん達からの追究も大変だったから」
「そんな事言われてもねえ? 今まで、全然そういう浮いた話が無かったのよ? それが、異世界の人とはいえ、同世代の男の人の話題が手紙に書かれていたり。男の人の料理の好みとか聞いてきたり。これはとうとう? みたいに期待しても仕方ないでしょ? あなたもいい歳なんだもの」
「母さんが父さんを攻略したときに使った料理とか? ちょっと興味本位で訊いただけじゃないですか」
「普通は、そういう話ももっとこう? 思春期の頃に訊いてくるものだと思うのよねえ。少なくとも、私はそうだったんだけど。あなた、無かったから残念に思っていたのよ?」
「どれだけ、そんな話に飢えていたんですか」
ミィレは半眼を浮かべ、呆れた声を出す。
「でも、親ってそういうものよ?」
「母さんだけだと思います。――って、あ~?」
「何?」
「いえ? そういえば、お屋敷でもクムハさんに、似たようなこと言われたなあって」
「でしょう?」
「『でしょう?』じゃありません!」
ミィレはむくれて見せた。そんな彼女を見て、母親はやれやれと肩を竦める。
「でもミィレ? ときどき、私達も心配になるの。あなた、ひょっとして私達のためにあなたの幸せを犠牲にしようとか。そんな事を考えていない?」
「まさか。そんなこと、考えていません」
さらりと、ミィレは答えた。
覚悟はとっくに決めている。犠牲だとは思っていないのだから、当たり前だ。
「そう? ならいいんだけど。お父さんも、今日あたり、見合い相手の釣書を持って帰ってくるだろうから」
「それは全然よくないですっ! 私、まだそういう気はありませんからね?」
「そう? それなら、仕方ないわね。こういうのは、本人の気持ち次第ではあるから、無理強いも出来ないのも確かだし」
「そうです」
「でも、出来ればやっぱり、お父さんも私も、ルホウにもあなたの花嫁姿を早く見たいっていう思いはあるのよ? 特にあの子は、あなたに対しては決してそんな素振り見せないと思うけれど。この先どれだけ生きられるか、不安に思っているみたい」
母親の言葉に、ミィレは小さく呻いた。
「あの子の体、そんなに悪いんですか?」
ミィレの問いに、母は首を横に振る。
「いいえ? そんな事は無いわ。ただ、皆目見当も付かないというのが、本当のところ。このままずっと、安定していくようにも思えるし、かと思ったらいつ容態が急変してもおかしくないの」
「そう」
ミィレは俯いた。
そして、少し悩んで、意を決する。
「母さん。ごめんなさい。言っても苦しめるだけかも知れないって思って、黙っていた話があるんです」
「何かしら?」
「あの子の病気。いつか、治せるかも知れません」
「どういうこと?」
「私が、パソコンやインターネットっていう技術を使って、仕事をしていることは手紙にも書いたと思います」
「ええ。書いてあったわ」
「それで、母さん達も興味は有ったと思うんだけれど。私もそれで、異世界の医学知識について調べてみました」
「それで?」
「お医者様の見立てに従って、心臓や肺に生まれつき穴が空いてしまう病気は無いか? その場合の症状や治療法も調べたんです。そうしたら、あの子の症状によく似た病気がいくつかあって。穴の大きさや場所によって、大分変わるけれど、ひょっとしたらこれかもっていうのがありました」
「その病気は治せるの?」
ミィレは頷いた。
「あっちの世界なら、治せます。一時的に、心臓の代わりをする機械とかもあって。そういうのを使いながら、胸を開いて心臓や肺を縫って、穴を塞ぐみたい」
「そんな真似が」
母の声は震えていた。
「でも、そんな真似をお願い出来るようになるのが、いつになるのか分からないから。黙っていました。でもっ! あの! だから、お願いだからその日まではみんなにも頑張って欲しいの。私も、仕事頑張るから。そうしたら――」
母は答えなかった。ただ、この顔を両手で覆い、むせび泣く姿を見せるだけだった。
その姿を見ながら、ミィレは。本当にそんな日が来たなら、そのときは。彼らが望むような幸せを考えてもいいのかも知れないと思った。