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多忙極まる彼女

 佐上弥子はデスクに突っ伏して「うぁ~」とか呻いていた。

 そんな彼女の様子を眺め、月野は人差し指の先を額に当て、嘆息する。いくら、自分と彼女以外にこの部屋に人がいないからといって、気を緩めすぎではなかろうかと。定時間近とはいえ、業務時間だというのに。


 が、それを咎める気にもなれない。彼女の多忙さは、月野もよく理解しているつもりだ。僅かな隙間時間を縫ってこの部屋に戻ってきて休憩しているのを邪魔するのも、酷というものだろう。今日も恐らく、彼女はこのまま残業だ。

 なお、月野も残業である。しばらくしたら、白峰達も戻って来て残業だろう。


 と、不意に佐上の視線が月野へと向いた。

「おいこら? さっきから何やねん? じっと人の顔を見て。何か言いたいことでもあるんか? って、露骨に目ぇ逸らすなっ!」

 月野は反射的に顔を背けたが、ばっちりと見咎められてしまった。渋い顔を浮かべながらも、彼女に視線を戻す。


「いえ、すみません。決して疚しい事を考えていた訳ではなく。本当に、お疲れなのだなと。そう思ったまでです」

「ほんまか? 仕事中に何をサボってやがるとか、思っていたんとちゃうんか?」

「思いませんよ」

 途端に、疑わしいと言わんばかりの視線が佐上から突き刺さってくる。


「あ、いえ。すみません。白状するとほんの少しだけ思いました。しかし、それ以上に佐上さんの大変さも分かるので、それを咎める気はありません。なので、少し心配になったというか、気になっただけです。邪魔してしまったようで、すみません」

「ふ~ん? なら、ええけど」

 佐上は両手を組んで天井へと腕を伸ばし、大きく伸びをした。

 どうやら、許して貰えたらしい。月野は軽く安堵する。


 月野は机の引き出しから飴の入った袋を取り出した。

「お詫びといっては何ですが。飴、いります?」

「何やねん急に? 貰うけど」

 だが、佐上は動かない。


「取りには来ないんですか?」

「持ってきてくれへん? 今のうち、本気で動きたくないんや~」

 そんなことを行ってくる佐上に、月野は微苦笑を浮かべる。駄々っ子のような言い草だが、これが彼女の甘えなのだと考えれば、不思議と悪い気もしない。


 「はいはい」と、月野は席を立って、飴の入った袋を持って佐上の席へと向かった。

 袋の口を向けると、彼女は鷲掴みで飴を何個も取り出し、そのうちの一つを小さな袋から取り出して口に入れた。

 はふぅ。と、息を吐いて。心なしか佐上の顔が緩んだように思える。

 海棠から「仲良くしたいのなら、まずは餌付けからです」というアドバイスを貰い、デスクに格納していたものだったが、役に立ったらしい。


「おどれ、少し変わったな」

「何がですか?」

「最初に会った頃のおどれなら、うちがこういう真似をするとぎゃいぎゃい口うるさく言ってきたんとちゃうか? あと、こうして差し入れとかする気遣いなんて無かったやろ」

 月野は首を傾げる。


「そんなことは無いと思いますが? アサさん達の前では、流石にそこはきちんとケジメをつけて欲しいと思いますが。私が本当に疲れている人や事情も慮れない人間だったなら、寝不足で出てきたあの日に、問答無用で佐上さんを大阪に追い返していますよ。それが、アサさんに悪印象を与えるとしてもです」

 そう言いつつも、飴を差し入れするというところまでは、至っていなかったと思うが。だが、そこは「佐上さんには私からのアドバイスというのは絶対に秘密ですよ」と釘を刺されているので、言わない。


「まあ、そうかもしれんけど」

 佐上は唇を尖らせた。

「せやけど、あの言い方は無いやろ。『期待しているのは技術だけ』とか『下手に話すと色々と台無しになりかねない』とか。あれ、うち滅茶苦茶腹立ったんやで? 絶対にこいつだけはぎゃふんと言わせてやるって、誓ったんやからな?」


「そんなこと、私言いましたっけ? あまり、よく覚えていないのですが? いえ、関西弁を多用するのだけは気を付けて貰って、佐上さんの専門分野に集中して欲しいみたいな事は言った覚え有るんですが?」

「おどれ、ほんまに覚えとらんのかいっ!? このドアホっ! 言うたっ! 絶対に言うたっ! うち、絶対に忘れへんからな?」

 バシバシと、佐上は机を手の平で叩く。


「おかげで、あの日は徹夜で翻訳機の調整してしもうたし。寝不足やったのも、全部おどれのせいなんやからな?」

「つまり、あれも私を見返そうとした結果だと?」

 ふんっ! と佐上はそっぽを向いた。どうやら、そこで彼女からの印象を大きく損ねていたらしい。月野は呻いた。


「でも、私から見れば佐上さんの方こそ、少し変わったように見えましたけどね」

「何がや?」

 再び佐上が顔を戻してくる。


「それこそ、私が何を言っても噛み付いてきたじゃないですか。さっきのように、下手に佐上さんを見ようものなら『何を眼を付けてる? 文句あるのか!』みたいに返していませんでたか?」

「うちは狂犬かっ!? うちのことをなんやと思ってたんや?」


「いやでも? 最初の頃はそんな感じでしたよ? あくまでも、私から見た印象ですが」

「言っておくけど、それもこれもおどれのせいやからな?」

「まあ、そう言ってくるだろうとは思いましたけど」

 佐上が小さく嘆息する。


「せやから、おどれがうちのことを少しは認めてくれるっちゅうんなら、うちも少しは大人しくしたるわ」

「とっくの昔に、私は認めているつもりなんですけどね」

 月野は苦笑を浮かべた。それに対し、佐上は半眼を向けてくるが。


「それをもっと態度で示してくれたなら、うちも、もうちょっとは信じたる」

「と言われても? 何をすればいいですか?」

「せやな。取りあえず、ちょっと愚痴に付き合え」


 そして、佐上のマシンガントークが炸裂する。どうやら、疲れの他に相当に鬱憤が溜まっていたらしい。

 広域破壊魔法兵器監査機構という、地球の言語にもIT知識にも全くの初心者からプログラミングを教える苦労。様々な検証実験の為に用意するプログラミング魔法の用意。遅れる翻訳機の調整作業と、それに対する会社からのプレッシャー。

 正直、技術的なところなどは付いていけない部分もあるので、そこは分かったふりをするところも多いが。それでも、こうして愚痴を聞かせてくる彼女を眺めるのは、悪くない気がした。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 日も暮れてそれなりに時間が経った頃。白峰がゲートを通って戻ると、渡界管理施設の外務省用の部屋の前で、海棠が立ち尽くしていた。

 白峰は小首を傾げる。


「あの? 海棠さん? どうかしました?」

 訊くと、とっさに海棠が口の前に人差し指を立ててきた。

 声を潜めて言ってくる。


「私の記者としての勘が告げているんです。今、この部屋の中に入ったら大変なことになります」

「大変なこと? ですか?」

 神妙な顔をして、海棠が頷く。


「ですから、私達は少しだけ離れましょう」

「はい?」

 問答無用と、海棠は白峰の腕を掴んできて。

 白峰は、何が何やら分からないままに、再び異世界側へと連れ出されてしまった。

「ソルの恋」の後書きでも書きましたが、来週はちょっと私用によりお休みします。すみません。

再来週も、場合によってはお休みです。

ぶっちゃけ、仕事の都合と遊びの都合です。それくらいで、一山越えると思います。

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