広域破壊魔法兵器監査機構
アサ=ユグレイはソファに座り、前に置かれた長期に突っ伏した。
「うあ~~」
間延びした呻き声が漏れる。
「あなた、お行儀が悪いですよ」
妻のキリユから窘められる。
「うん。分かってる。分かっているけどさ。でも、今だけはちょっと許してよ。我ながらだらしないとは思うけれど、本当に疲れているんだよ」
帰るなり、ぐたぁっとだらけきった姿を晒すというのは、貴族に生まれた紳士としてはあるまじき振る舞いだとは自覚している。こんな姿の実家にいる使用人や娘に見られたら、さぞかし冷たい目で見られることだろう。
とはいえ、この王都にもプログラミング魔法実験の事故未遂報告が伝わってきてから、連日気の休まる時間がなかったのだ。
「そうね。本当に疲れているのは分かるから、自覚があるのなら私からはこれ以上何も言わないけれど。ここには私達しかいないわけですし」
「分かってくれてありがとう」
若い頃のキリユは、これでも容赦なく妻はお説教してきたと思うが、大分柔らかくなってきたように思える。ときどき、別の部分で扱いがぞんざいなところも増えてきたようにも思えるが。
「でも、取りあえずキィリン達から、向こうの考えとか、どこまでプログラミング魔法について安全に検証が出来そうかという情報が届いたのは助かった。『最善の未来』というものについては、各国でも共通認識が出来つつあるからね。ようやく、話が前向きに進みそうだ」
「その『最善の未来』というものを唱えたのがキィリンというのも、少し驚いたわね」
「まったくだ。僕達の子供ながら出来た娘だとは思っていたけれどね」
私信を読む限り、この点は少し自慢していて、褒めて欲しいような気配があったが。この点はまだまだ可愛い娘だなと思う。無論、その期待には答えて褒めてやるつもりだ。
「安全な実験や検証が出来るのなら、その範囲である限りは実験は許可するといった賛同は各国から得られそうなのも、悪くない傾向だと思う。あとは、ルテシア市の市民達に理解を得られそうかとか。もっと街から安全な距離を取った場所に実験場を作れないかとか、そういう話が残っているけれど」
「こればっかりは、こちらの見解を纏めてから返すしかありませんね」
「そうだね。遠く離れたこの王都で、事故に巻き込まれない安全なところから言っている話だと言われないようにしたいが」
とはいえ、一定の反発は覚悟しないとならないだろう。
「あとは、如何にして平和的に利用するか? そういう体制を作れるかですね」
「それなんだけどね」
ユグレイは大きく溜息を吐いた。
「ここはちょっと、壁が厚そうだよね」
「事故を起こしかけたプログラミング魔法は、そんなにも簡単に真似出来るものなんですか? その報告は私も少し読みましたけど。ちょっと信じられないわね」
「うん。でも、本当らしい。追加で伝えられた報告によると。実験に使われた魔法の魔法意思がどんなものかは、何人かの学者の間でも確認しているそうだ。こっちの世界の学者もね? 理屈はともかく、魔法意思がどんなものか真似ることは彼らにも可能だという話だった。つまりは、その気になれば誰もがそういう魔法を作れてしまえるんだよ。サガミ=ヤコ以外の人間にもね」
今のところ、誰が本当にその知識を持っているのかというのは外部者には不明であり、不用意に情報が漏れないように体制が作られているという話だが。
「もし、可能性があるとしたらミルレンシアがどう動くか? かなあ」
「どういう意味ですか?」
「広域破壊魔法兵器監査機構とその要。それに働きかけがあるのかというね」
キリユが息を飲む気配をユグレイは感じた。
「まさか? 皇帝陛下に?」
「そのまさかだよ。今のところ、そういう動きは察知出来ていないけれどね。ただ、場合によってはそうなる可能性もあるかなと。でも、少なくとも広域破壊魔法兵器監査機構は派遣する流れになりそうだ」
広域破壊魔法兵器に使われている魔法というものが、どのようなものかは保有国の間でも極一部の人間しか知らない。造幣に使われる魔法と同様に国家機密だ。
広域破壊魔法兵器の製造は厳しく制限されており、それを監査している国際的な組織が広域破壊魔法兵器監査機構だ。プログラミング魔法が広域破壊魔法兵器に通じるものであるというのなら、その監査対象となるのはある意味で当然だろう。
「あちらの世界の人達は、その派遣に応じますかね?」
「応じる。と、僕は考えている。既にあちらの世界から、同じような国際的な監査組織が送られてきているんだ。こちらが派遣してはいけないという道理も無いだろう。むしろ、広域破壊魔法兵器の監査という経験ではこっちの方があるんじゃないかな」
「それもそうかも知れませんね」
「あとは、皇帝陛下が動かれるのか? 動かれることで、問題が解決するようなものなのか? そこだね」
「ミルレンシアの神器は、プログラミング魔法にも通用するものなのでしょうか?」
「分からないね。その確認という意味でも、広域破壊魔法兵器監査機構が派遣される可能性は高いと僕は考えているけど」
古くから続いている国には、神器と呼ばれる宝物がある。これは、遺跡とはまた違った形で遺されてい神代の遺物だ。そして神代遺跡とは違い、使用者の意思によって魔法を扱うことが出来る。
ただし、これらの品の使い方は王族の、それも王位継承権の上位者のみに伝えられ、それ以外の人間は仮に手にしたとしても施された魔法を使うことは出来ない。また、王位を継承する際にこれらの品は新たな王に譲られるのだ。
ミルレンシアの神器は広域破壊魔法兵器を探知することが出来ると言われている。そして、故に秘密裏に広域破壊魔法兵器を製造しようとしたとしても、見付けられるのだと。
ちなみに、イシュテンにも神器はあり、その一つを王子が持ち出して家出したという歴史があったりする。その物語は後世に語り継がれ、アサ=キィリンのお気に入りの話となっている。
「何にしても、僕としても『最善の未来』か、それになるべく近い形でこの問題が落ち着いて欲しいと思うよ。つくづくね」
「そうね。同感だわ」
「そんな訳で、頼むからお茶淹れてくれない? もう、今日は何も考えたくない」
「はいはい。まったくもう」
苦笑を浮かべて、キリユはユグレイから離れていった。




