暫定対応
プログラミング魔法の実験による事故未遂から三日後。
白峰と月野は、渡界管理施設の外務省用の部屋へと戻ってきた。
「ただいま戻りました」
「お帰り」
「お疲れ様です」
留守番をしていた佐上と海棠が、着席したまま彼らを出迎える。
白峰と月野の二人は、少しくたびれた表情を浮かべ、各の席へと着いた。
「戻って来たばっかりで悪いけど、うちらにもどうなったか教えてくれんか?」
「勿論です。お二人が気になる気持ちも、よく分かりますから」
月野は頷いた。
白峰と月野、異世界側の各国の外交官。そして実験に参加した科学者の代表数名。参考にと異世界に行っている国際原子力機関(IAEA)、化学兵器禁止機関(OPCW)の人間。彼らは外務省の本館へと出向いて、事の詳細の報告。そしてこの件に対する暫定的な処理対応について話し合ってきたのだった。
この話合いの内容については、各国にも伝えられ、そこから更にフィードバックが反映されるものになる。
「まず、事故が起きたこと自体は正直に、世界各国含めて国民に正直に報告します」
「つまり、情報の隠蔽は行わない。そういうことですか? マスコミの人間である私が言うのも変な話かも知れませんけど。大丈夫ですか? こんな事件があったって知られたら、不安と混乱を招く可能性が高いんじゃないですか?」
「仰ることはもっともです。しかし、どれだけ隠蔽をしようとしても、いずれ明らかにされることでしょう。そのときに招くだろう不安と混乱は、正直に開示しなかった場合よりも何倍も大きくなる。そうして、取り返しの付かないほどに落ちた信用では、もはやその混乱は収拾が付かなくなるでしょう。今ならまだ、情報の制御も可能であり、可能な状態を維持すべき。そのように、判断されました」
「つまりは、信用第一っちゅうこっちゃな?」
「そういうことです。不安や混乱を招くのは、もはやどうしようもないことでしょう。では、そういった影響をどれだけ小さくするか? それは理性的に、理論的に説明し理解して貰うほかないでしょうね。具体的に、何をどこまで開示するかについては、まだこれから話し合いが続きますが。現時点での開示範囲については、概ね固まりました。追って、メールでもこちらに詳細な説明がくるとは思いますが」
「どこまでを報道に載せるのですか?」
「まず、どのような事故があったのかということ。事故を未然に防ぐために様々な防止策を施していたこと。その防止策によって、大事には至らなかったこと。防止策の見直しを行うこと。原因については不明ではあるものの、既に仮説はあり、慎重に検証を行っていく所存であること。その仮説については、兵器転用の可能性を封じるため、知るのは極一部の人間に限られること――」
「極一部の人間に限られるということは、私達にも秘匿義務があるということですね?」
海棠の問いに、月野は首肯する。
「その通りです。今ここにいる人間と、異世界の外交官の方達。そして研究に参加して頂いている学者の先生方以外には、決して口外してはならないものだとお考え下さい。例え、ご家族や親しい友人相手でもです」
「分かりました」
「確かにな。そんなところから話が漏れて、大量破壊兵器がどこかで生み出されるかもとか、堪ったもんやないしな」
月野は目を細めた。眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げる。
「この件については、絶対厳守であると、くれぐれも気を付けて下さい。単にこの仕事に携われなくなるとか、そういうレベルの話ではなく、最悪、社会から消されることもある。そんな風に認識して下さい」
月野の冷えた、真剣な口調。
佐上と海棠はごくりと喉を鳴らした。
「わ、分かりました。気を付けます」
「ああ、絶対に言わんわ」
こくこくと、二人は頷いた。
「また、我々を含め関係者の行動も少し制限されます。制限と言うには少し大袈裟かも知れませんが、警備が手厚いものになりますね。ルテシア市の警察の人達には、負担をかけてしまうことになりますが」
「それはつまり、私達を攫って、秘密を聞き出そうとか。そういう危険な目に遭うのを避けるためということですね?」
「その通りです。ですので、基本的にはこれまでと変わらない生活は出来ると考えて下さい」
ほっと、佐上と海棠は安堵の息を吐いた。
「そして、情報の開示範囲の話に戻りますが。あとは、仮説が明らかになり、安全に運用が出来る見通しが立った際には、公開するつもりでいること。当面、実験については計画を見合わせること。今後の計画や目的、防止策については開示すること。異世界から来て頂いている記者や、これまで続いていた警察官の方達による渡界については、禁止させて貰う事。そんなところでしょうか」
「異世界から来て貰っている記者の人達、帰れないんですか?」
海棠が驚いた声を上げる。対して、月野と白峰は沈痛な表情を浮かべた。
「我々も、彼らに対して非情に気の毒に思います。しかし、こちらの世界ではITの知識は本でもネットでもいくらでも手に入れられます。仮説については伏せますが、正直言って即座に推測が付けられてしまうでしょう」
「まあ、うちみたいな人間でも仮説が思い付いてしまう程度のもんやしなあ」
佐上はぼやいた。
「それでも、不確かな推測としたままに留めておく必要があります。また、そんな仮説を理解した人間が異世界に知識を持ち帰ると、それもまたあちらの世界で兵器転用に繋がる可能性が生まれてしまうんです。そして、とてもではありませんが、彼ら全員が帰ったときに監視の目を行き届かせる方法というのもありません。ごく短時間の、一時的なものであれば、警察官の随伴とかで対応出来ないかと検討はされていますが」
「あくまでも、暫定の対応ではあるのですが。彼らのためにもなるべく早く、この状況は打開出来るようになって欲しいですし。出来ることがあればやっていきたいと、そう思います」
そう、白峰は月野の言葉に続いた。
「でも、実験とか研究は見合わせるっちゅう話やったな?」
「はい」
「それ、いつまで続きそうなんや? 再開の見込みはあるんか?」
佐上の問いに、月野は顔をしかめた。
「正直なところ、全く分かりません。世論やルテシア市の人達の反応と、上の判断次第ということになります」
「昨日おどれも言ったけれど、『人類がこの新しい知識にどのように向き合うか?』。それ次第っちゅうことか」
「はい、つまりはそういうことです」
佐上は天井を仰いだ。
何が正解か何てものは分からない。けれど、よりよい未来に繋がって欲しいと彼女は思った。




