揃わない足並み
渡界管理施設の一室にて。佐上は一人、PCと向き合っていた。
翻訳機の調整はまだまだ先が長い。外務省に売り込んでから、ここに至るまでの翻訳用AIの成長速度を考えると相当のものだと思ってはいる。
それでもイシュテン語や皇共語特有の言い回しへの対応だとか、やることは山ほどある。というか、社長からの要望がどんどん増えていく。あれもやりたい、これもやれるようになりたいと。
ちょっと、いい加減にせえやと言いたくなるときもあるが。社長の思い入れも理解出来るし、アイデアの着眼点には、技術者の端くれとして興味も惹かれたりする。なので、何だかんだ、文句を言う気にはなれない。
なお、文句を言わない理由として、相手が社長という肩書きはあまり関係が無い。相手が社長だろうと、キレたら容赦なく自分がぶちまける性格だというのは理解しているつもりだ。マスコミに啖呵切ったのがいい例である。
そもそも、そんな肩書きで人を動かそうなどという態度の社長なら、こうして付いていこうなどとは思わなかっただろう。どこかで、見切って会社を出て行った気がする。
まあ、もし仮にそんな真似をしたとして、そこから思うような会社に再就職出来るかと考えると、出来ないような気がするが。この点、あまりサラリーマンに向いてない性格しているよなあと思う。
不機嫌に、佐上は大きく溜息を吐いた。仕事に集中出来ていないとは思うが。けったくそ悪い。
被害妄想かも知れないが。ここ最近、月野や白峰、海棠達に避けられているような気がするのだ。
彼らも顔を合わせればこれまで通りの態度で接してくるし、自分も今まで通りにしていたつもりだが。
佐上を除く三人が揃うと、高頻度で会議室へと移動し、何事かを話し合っている。今もそうだ。
内容が何か気になって訊いたり、自分も参加した方がいいのでは無いかと申し出たりもしたが、「佐上さんが気にするような話ではありませんから」とやんわり拒絶される。
「うち、何か気に障るようなことでもしたんやろうか?」
天井を見上げて、佐上はぼやいた。
子供の頃に、似たような経験はあった。それまでいつも一緒に遊んでいた友達が、急に疎遠になったのだ。喧嘩した訳でも、自分が何か悪さしたような覚えも無い。だというのに、彼女らは少しずつ離れていった。会って話をすれば、それまで通りに接してくれたのだけれど。
結局、それと時期を同じくして別の子達と遊ぶようになったので、孤独感は無かったが。今思えば、その新しい友達に対して、それまでの友達が何か思うところがあったのかも知れない。
でも、そうだとしても。寂しい思いをしたのには変わりない。あの子らが当時、何を思っていたのかは分からない。そもそも、思っていたことを言葉として表現することが出来なくて、ああなったのかも知れない。それでも、何か言って欲しかった。もっと、もっとずっと一緒に遊びたかったのだから。
こうやって、自分を仲間外れにして、追い出そうとしているんやろうか?
嫌な考えが浮かぶが、佐上は否定した。
繰り返しになるが、佐上自身にはまったく自分が何か気に障るような真似をした覚えが無い。
それに、もしそうだとしても、彼らがそんな陰険な真似をするような人達には思えない。
とすると、本当に自分には全く関係の無い問題について話し合っているのか。あるいは、自分を心配させまいとでも考えているのか?
まだ、そっちの方が有り得そうな気はする。
「でも、やっぱり仲間外れには違いないやん」
ひょっとしたら、うちを思っての真似かも知れないんやけど。本当に、こういうのは堪えるんやで?
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
もはや、ここまでか。
月野は大きく溜息を吐き、観念した。
暁の剣魚亭にて、月野は佐上と互いに向かい合って座っているのだが。
佐上はというと、目が据わっている。滅茶苦茶睨んできている。答えによっては、絶対に許さないと言わんばかりの怒りが宿っていた。
これはもう、完全に拗ねて我慢の限界に達したと。そう判断していいだろう。
今日の仕事も終わり、渡界管理施設を出たところで、待ち伏せしていた佐上から「飲みに付き合え」と強引に拉致された。その時点で、薄々覚悟はしていたが。
女性からの飲みのお誘いって、もうちょっとロマンチックなものであってもいい気はするのだが。そこは、もう佐上に対しては諦めている。と、同時にある意味で安堵している。
「最初に言っておきます。すみませんでした。ただ決して、佐上さんを除け者にしようだとか、そんなつもりではなかったことを分かって頂けないでしょうか」
「おどれら、最近うち以外の三人だけで集まっていること多いみたいやけど。何でか話して貰おうか」。そんな佐上の質問に、月野はまず謝罪した。
「ほなら、何なんやいったい」
佐上から拗ねた口調が返ってくる。
「私達は、佐上さんが見つけたプログラミング魔法と、科学者の先生達の足並みについて話し合っていたんです」
「どういうことや?」
「はい。プログラミング魔法については、佐上さんの希望もあって、誰が見つけたのかは当分ぼかす方針を採りましたが」
「ああ、うん。それは正直、助かったと思うわ」
「どうもこれが、白峰君達から聞くに、科学者の先生達の間で疑心暗鬼を生む原因になってしまっているらしくて。先生達、自分達の誰が見つけて隠しているのか。あるいは、見つけた研究成果も政治的判断で握り潰されるんじゃないかと。そういう感じでピリピリしちゃっているんですよ。で、結局共同で研究して貰いたいのですが、いまいち足並みが揃わないと」
「何で、そないなことになるんや?」
「知的好奇心がまず第一ですが、彼らにも多かれ少なかれ功名心というものはあります。ましてや、彼らもその地位に上り詰めるために、象牙の塔の中で政治的な戦いを繰り広げてきた人達だって少なくありません。誰が共同研究者として組むのに有益か、信用出来るのか見極めないといけないわけです。出し抜き、出し抜かれないために」
「何か、学者先生の世界もめっちゃドロドロしてんのな」
佐上が半眼を浮かべてくる。
「どこの世界もそうですよ。多かれ少なかれ。まあ、私も色々とあって出世コースからは縁遠い感じになってしまったので、そういう派閥だとか組織内の争いみたいなものはあまりピンとこないのですが。佐上さんの会社でも、無いですか? そういう話」
「あー。あるんかも知れないけど、うちもいまいちよう分からんなあ。そんなデカい会社でもないし。うちも、所詮はただのヒラ社員やし。出世とかも考えとらんしなあ」
ぼやきながら、佐上は剣魚の刺身を口に運んだ。桜野が釣り上げたものだが、実に美味い。これ以外にも、色々と剣魚を使った料理が並んでいる。
「そういう訳で。例えば、彼らの間では誰がプログラミング魔法の発見者で、実はその人物が既に色々と研究データを隠し持っているんじゃないかと。そんな腹の探り合いが繰り広げられている訳です」
そこまで説明すると、佐上はばつの悪そうな顔を浮かべた。
「それ、やっぱりうちのせい?」
佐上の問い掛けに、月野は答えられなかった。沈黙は肯定と同じだと理解しつつも。
数秒、時間を掛けて言い回しを選ぶ。
「下手に言うと、佐上さんはそんな風に考えて責任を感じてしまいそうな気がしてたもので。そうすると、佐上さんの希望というか、約束を破ってしまう形にもなりそうで。なので、何とか穏便に話をまとめられないものだろうかと、そういう話し合いをしていました」
「なるほどなあ。そういう訳やったんか」
理解と安堵が混ざったような嘆息を佐上は吐いた。
「取りあえず、うちが何か悪い事して嫌われた訳やないってのが分かって、そんだけでもよかったわ」
すん。と、佐上から鼻を啜る音が聞こえる。
グビグビと、佐上は一気に酒を煽った。でもって、「ぷはぁ」とかおっさんくさい声を上げた。
「でもなあ。もう、こういう真似はせんといてくれへんか? うち、結構こういうの気にするっちゅうか。堪えるんや。うちが悪かったのも、おどれらが気を遣ってくれたんも分かるけど」
「そうですね。私もそう思って、反省しています。もっと、佐上さんのことを信じて、早くに打ち明けておくべきだったと思います。変に見栄を張ろうとして、すみませんでした」
佐上に向かって、月野は深々と頭を下げる。
うっすらと、佐上の目尻には涙が浮かんでいたような気もした。だからだろう、余計に申し訳ない真似をした気がしてならない。普通、女の涙ってもう少しムードのあるシチュエーションで使って、それで効果が出るものだろうにとも思ったが。
社内政治とか、派閥闘争とか、よく分からないです。
そういうのを題材にした漫画や小説とかもあるけど。




