アサ=キィリンの異変
これは、結構由々しき事態なのではないだろうか?
ティケア=ルエスは、主の近頃のご機嫌を伺うにあたり、そんな風に思い始めてきた。
まず、屋敷に帰ってきてからの食欲が落ちている。ニホンに続いてイシュテンと、夏を続けざまに過ごしているのだがら、それは不思議でも無い。
ただ、これまではサッパリしたものをお出しすれば、快食されるのが常であった。
しかしそれも最近は、ややもすると面倒くさそうに、無言で出されたものを飲み込んでいるような。そんな態度を見せている。
ミィレの報告書は一度、ティケアも確認してからアサに最終確認をお願いしているのだが。そのチェックも妙に細かい。それも、細かいだけならばまだいいのだが、果たして本当にそれでよいのかと、素直には頷きがたい指摘が混じってくる。納得のいかない、途方に暮れるミィレと共に、アサを説得しに行くことも度々ある。
帰宅し、休憩を取られているときも、顎に手を当て、眉間に皺を寄せていることが増えた。
庭園の木陰で見掛けたときは、空を見上げて大きく溜息を吐いていた。
朝のお目覚めのときなど、寝起きが辛いのか、眠そうな顔をしている時間が長い。
こういった事例を挙げていけば、キリが無いのだが。
総じて、アサから笑顔が減っている。ご機嫌がよろしくない時間が増えているのだ。
月に一度の女性の事情という可能性も考えたが、彼女の場合はそんなにも重くないようだ。いや、訊いたことは無いので、実際のところは伺い知りようも無いのだが。
ともあれ、そんな彼女の様子が、ティケアには気になった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ミィレはティケアに呼び出された。
「ティケア様。参りました。どのようなご用件でしょうか?」
机の上で軽く腕を組んで、ティケアは頷く。
「ああ、私には近頃のお嬢様のご様子が少し優れないように思えてね。君からも話を聞きたい」
「お嬢様のご様子ですか?」
う~ん? と、ミィレは小首を傾げる。
「確かに、最近ちょっとピリピリしているときは多いように思いますけれど。でも、そんなに不機嫌っていうお姿は見てませんし。普段と、それ程お変わりないのではありませんか?」
「それは、そうなのだがね。なまじ、君はいつも近くにいるから変化に気付きにくいというのもあるのかも知れないが」
ティケアは唸る。
「ときどき、頬がぴくぴくと痙攣したり、眉が跳ね上がったり。そんな真似をされていることもある」
「それはお屋敷の中での話でしょうか? お仕事中には、見掛けませんし、そのような話も聞いていないのですけれど」
「屋敷の中での話だ」
軽く頭を掻いて、ティケアは続けた。
「お嬢様は、常に上に立ち、人々を導く者としての責任感がとても強いお方だ。世のため人のためとあらば、ご自身の力の限り尽くそうとされる」
「そうですね。ご立派な方だと思います」
うん。と、ティケアは頷く。
「しかし、その一方でご自分の心を犠牲にして、我慢を溜め込みやすいところもあるのだよ」
「つまり、お嬢様は仕事のストレスをかなり溜め込んでいらっしゃるのではないか? そういうことでしょうか?」
「そういうことだよ」
少し間を置いて、ティケアは更に続ける。
「大人になられたので、流石に今は早々あのような真似はされないと思うが。子どもの頃は、お嬢様は我慢をし過ぎた結果、ちょっとした事件を起こされたこともあったのでね」
「事件ですか?」
「うん。お嬢様は非常に活動的な性格をしていらっしゃる。なので、屋敷の中でじっとしているよりも、外に出て駆け回って遊ぶのがお好きだった。その話は、君も聞いたことがないかね?」
「あります。それで、脱走も何度かされたと聞きました」
「脱走だけで飽き足らず、部屋で大暴れしたことも何度もあるのだよ。あれは、うん。まさに溜め込んだ感情を爆発させたとしか言いようが無い騒ぎだった」
ティケアは遠い目を浮かべた。どこか、懐かしげでもあったが。
何があったんだろう?
ミィレは興味が湧いたが、敢えて訊かなかった。知らない方が、身のために思えたから。
「それでだ。どうも、近頃のお嬢様を見ていると、色々と溜め込んでいるときのご様子と被って見えるのだよ」
「なるほど」
自分が来るよりも前からアサを知っている人間の言として考えると、その内容は重いものに考えられる。
「そこで、何かそうなりそうな原因が無いかと考えてみたのだが。そういえばお嬢様は、ここのところずっと働き詰めだ」
「そうですね。しかも、異世界の各国との折衝で最前線に立ち続けておられます」
ティケアは顔をしかめた。
「それも、お嬢様にはかなりの重圧だと思うのだが。具体的なスケジュールはどのようになっていたか、確認させて貰えないかね?」
「分かりました」
懐から手帳を取り出し、ミィレはアサのスケジュールを読み上げていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
約十分後。
ミィレは背筋を伸ばし、直立不動の姿勢を取った。
緊張に顔が強張る。
目の前で、ティケアは視線を落とし、机の上に置いた両腕をわなわなと震わせていた。まさに怒り心頭。といった具合である。
「ミィレ」
「は、はいっ!」
重苦しい雰囲気に違わない厳しい声色に、思わずミィレの声が上擦る。
「こういう事態は初めてだろうから仕方ないとはいえ。お嬢様のお世話が君の仕事だ。ましてや、お嬢様の一番近くにいるのが君だ」
「はい」
「お嬢様の立場、お嬢様の事をよく考え、ご無理をされていないか。気を付けなさい」
「肝に銘じますっ!」
「よろしい」
改めて確認してみると、アサの仕事は超過密スケジュールのハードワークであった。アサが仕事に集中し、態度に見せなかったからというのもあり、大丈夫なのだと判断していたが。感覚が麻痺していたかも知れない。
「このティケアにしても、不覚だ。報告書などから、もっと早く気付いて然るべきだった」
自責の念に駆られ、ティケアは拳を机に叩き付けた。
「だが、許しがたいのはあの連中だ。お嬢様が何も言わないことを良いことに、扱き使いやがって。幾ら各国を代表する外交官とはいえ」
「あ、あの? ティケア様」
ティケアが顔を上げる。
ひぃっ。と、思わずミィレは息を飲んだ。彼の目は完全に据わっていた。
「これは、厳重に抗議しに行かねばなるまいな」
「お止め下さい。ティケア様あああああああああああああぁぁぁぁぁぁっ!?」
こんな状態のティケアを送り出そうものなら、下手をすれば戦争に成りかねない。そんな恐怖に駆られ、悲鳴を上げながらも、ミィレは必死にティケアを止めた。
ティケアの怒りモード。
「ヒトラー 〜最期の12日間〜」を元にした、総統閣下シリーズの動画をイメージしながら書いてました。




