魔法の世界とパソコン
異世界にとって、パソコンとはどんなものかという認識確認。
渡界管理施設の会議室にて。
アサとミィレ、そして各国の外交官が集まっていた。
ここで一度、パソコンというものについて、情報を整理しておこう。セルイ=アハシエの提案によるものだった。
アサもミィレも、タブレット型のパソコンは前々から使っている。翻訳機として使うのがメインではあるが、他にも画像や動画を記録し、見ることが出来る。そういう便利な機械だと、彼女らは認識していた。
どうしてこのようなものを作っているのか、どのような原理のものなのか? それは勿論、興味があったし聞いてはみたのだが、詳しく説明すると、長くなる上に難しくなるからと、後回しにされ続けていた。
実際、まずはパソコンの原理云々という細かい話よりも、お互いの世界がどんな世界か? 翻訳機はどうやって使うのかという、目の前の問題をどうにかする方が先だった。
とはいえ、セルイ=アハシエにとっては、やはりこれはいつまでも先延ばしにはしていられない問題だと判断されたようだ。ノルエルクという国は、一言で言えば商売っ気の強い国だ。効率を重視し、その上で優れた製品を生み出していく。
あの異世界の文明を支えているものが、パソコンであるということは、アサも報告書で伝えている。ノルエルクの人間が、その有用性、可能性を前に、いつまでも「待て」を我慢出来るはずが無い。
そして、ついにはその我慢も限界に達した。
魔法の研究にもパソコンを使うということになりそうだと分かった途端、彼女は嬉々としてサガミ=ヤコへと食らいついたのだった。
なお、アサも何度か止めようとはしたのだったが、もはや知識の猛獣と化したセルイはどうしようもなかった。更に言うと、知識欲という面では更に貪欲なアルミラ人、ディクス=レハンまで参加したのだから。
聞いた話によると、サガミは開放されてから復活するまでに、ほぼ丸一日を要したらしい。彼女の献身的な犠牲を思うと、涙が零れそうになる。
「というわけで、パソコン。もっとも、これは略語で正しくは英語でパーソナルコンピュータについて、話をしていきましょう」
セルイは、イシュテン語の文字を音で当てる形で『パソコン』と黒板に書いた。
「アサからの報告書にあった通り、これは要するに物凄く発達した計算機ね」
「書いた私が言うのも何だけれど、どういう理屈でああいう真似が出来るのか、さっぱりなんだけどね」
お手上げ。と、アサは肩を竦めた。
「それも無理ない話よ。アサが悪い話ではないわ。私も、サガミの他に何人か、あちらから来て貰った学者を頼って教えて貰って、それで分かってきたくらいよ。あちらの世界の人間も、パソコンがどういう原理で使えるのかまで、きちんと理解し、説明出来る人はそんなにいないんじゃないかしら?」
「原理を知らなくても、使う分には困らないから。そういうことかしら?」
「そういうことよ」
アサの問いに、セルイは首肯した。
なるほど。と、アサは納得する。あと、サガミの他に、科学者にも犠牲者が出たのか。いや、こちらは上手く対応して貰えたと思いたいが。
「それで、何故あれが計算機という扱いになっているのか? それが、理解する上での壁だと思うけれど。あれはやはり、計算機ではあるの」
「どういうこと?」
「パソコンは、2進数の計算機なのよ」
「2進数ということは、つまりはこういうことか? 内部的には、我々が使っているこの翻訳機も、0と1の数字のみで計算をしているのだと?」
「ええ、その通りよ」
ゴルンに向かって、セルイは頷く。
その説明は、アサもシラミネ達から聞いたことはある。
また、時間は60進数で表しているように、この世界もすべてを10進数で計算しているわけではない。今でこそ、統一されてはいるが、通貨の計算が6進数による国もあった。当時、宗教上の神聖な数字という理由で。
「0と1の表現については、表現するための部品。そこに電気が『通っているか』『通っていないか』で表現しているそうよ」
「いや? 待ってください? 理屈はそうだとしても、2進数ということは、同じ数を表現するにも、10進数に比べて遙かに多くの桁数が必要になるということですよね? だとしたら、相当に巨大なものになるのでは?」
ライハの質問。
「そうね。実際、パソコンというものが未発達だった当時は、それが理由でこの建物よりも遙かに大きな機械を用意して、その上で大した計算も出来ないという代物だったそうよ。それでも尚、あちらの世界の人間は、パソコンの可能性を諦めずにパソコンを進化させ続けたの。0と1を表現する部品は、極限まで小さくすることで、このサイズに収まるくらいに」
セルイは笑みを浮かべていた。
役に立つかどうかも分からないものを何十年、何百年と研究し続けて、ここまで社会の根幹を支えるものを作り上げるとは。ある種の狂気染みた執念だ。そこに、彼女は畏れを感じているのかも知れない。
少なくとも、アサは畏れを抱いた。
「そして、数の表現を行う部品だけじゃない。彼らは、計算する。つまりは、どのように命令を与え、制御するかという機械的な仕組みも極限まで精密に、小さくしてきた。命令の与え方も、プログラム言語と呼ぶ、人間にとって理解しやすい方法も用意したの。その結果が、これよ」
ミィレが首を傾げた。
「あ、あの? ごめんなさい。私、全然話についていけてないんですけど。でも、これ、普通に10進数で数を表示してくれているようなんですけれど?」
「ああそれはね。単に、その翻訳機は内部的には2進数で計算しているんだけれど、結果は私達人間に分かりやすいように10進数に直して表示してくれているっていうだけなのよ。同時に、10進数で命令を与えても、内部的には2進数に直して計算しているの。それすらも、自動的にね」
「は、はあ」
全然分からない。という表情をミィレが浮かべる。
一方で、セルイは笑みを浮かべた。
「まあ、細かい理屈は理解出来なくてもいいわ。重要なのは、結局、このパソコンという機械は物凄い計算能力を持っているということ。そして、その高い計算能力によって、様々な仕事が出来るということよ」
「あの~? ごめんなさい。やっぱり分からないんですけれど、高い計算能力があるから、例えばこんな風に私達とあの人達が話せるようになったり、写真を記録したり、それを見ることが出来たりするという。そういう事なんですか?」
「そうよ」
「でも、これは『計算』何ですか? どうして計算でこういうことが出来るようになるんですか?」
しばし、セルイは虚空を見上げた。
そして、黒板に方眼図を書いていく。さらに、それぞれの行と列に番号を書いていく。
「例えば、写真についてだけれど。その翻訳機の盤面は、実はこういう方眼図が物凄く細かいものだと思って頂戴」
「は、はい」
さらに、セルイは黒板の方眼図に、マスを色塗りして四角形を作った。
「この四角形を表現したい場合は、色を表示したい行と列の番号を記録すれば、数字で表現が可能よ。祭や競技のパフォーマンスで、似たようなものを見たことが無いかしら?」
「あっ!?」
ミィレだけではない。恐らく、既に説明を受けていたであろうディクスを除いて、その場の全員が思い至った。
「つまりは、この写真一つで、言うなればそんな精密なパフォーマンスを実現させている。数で表現している。そういう事なんですか?」
「そういう事。他にも、色、文字、音。それらをすべて数字に置き換え、置き換えた数字をまた元に戻しているの。すべて、計算によってね。数学的に表現出来る手段さえ見つければ、彼らはそれをパソコンによって実現出来るということなのよ」
沈黙が降りた。
改めて、あの世界の文明の力というものが、如何に脅威なのかと。身が引き締まる思いがした。
その静寂を破り、ライハが口を開く。
「ということは、彼らがパソコンを使い、魔法を数字、数学に落とし込むことが出来れば、それは魔法の更なる理解や発展にも通じる可能性は大いにある。そういうことですか?」
セルイは頷く。
「あくまでも、可能性は、ですが。ただ、どうも彼らの雰囲気的を見ていると。それにもまだどうやって数字に落とし込むか。魔法意思と脳の活性領域の関係はどうなのか。人の思考が電気の信号だとして、それが魔法の起動の切っ掛けとして正しいのか。もし正しいのであれば、人間以外に思考の再現は可能なのか? 様々な問題が山積みのようですから。直ぐに状況が変わるということは無いと思うわね」
可能性はある。か。
アサは軽く息を吐いた。
あちらの世界と比較して、自分達の世界の文明は長く停滞していたように思える。
多少の小競り合いはあれど、世界大戦のような出来事が無かったという意味では、精神的には満ち足りた歴史だったとも言えるのかも知れないが。
世界の優劣を競うつもりは無い。それぞれに良い点、悪い点が有り、競っても仕方の無いことだ。
魔法が、解き明かされるというのは、こちらの世界にとっても悲願であり喜ばしいことだ。だが、同時にある種の畏れも感じる。
人が、その分を過ぎた力を付けてしまわないか。そのとき、何が起きるのか?
だが、それにはまだ時間はある。慎重に、ゆっくりと人類は成長していけばいい。その時間があるのだと。だから、アサは安堵した。
「というわけで、私達もパソコンを購入しようと思います」
鼻息荒く、セルイは黒板を叩いた。
「これは、私達の仕事にも絶対に役立つ、お買い得な商品です。あちらのことを知るのにも、仕事を効率よく片付けるのにも、買っておいて損はありませんっ!」
「えっと? それ、私達にも使えるの?」
「サガミに聞いたところ、まだイシュテン語の文字を入力して使うしか無理みたいですが。それでも、どんなものかを体で覚えることが出来ます」
「ということは、販売の許可はあちらにも確認済みということですか?」
「その通りですっ!」
深く、セルイは頷いた。
まあ、パソコンはあちらの世界にとって、危険物には成り得ないレベルの日用品のようなので、許可が出るのは不思議では無いのだが。
「問題は、その使い方を覚える時間、ありますかね? 私達」
ライハがぼやく。
ふと、アサはミィレを見た。
それに釣られるように、他の面々もミィレを向く。
というか、考えてみればこの渡界管理施設で留守番をし、事務仕事等で、パソコンを使う機会が多くなりそうなのは、彼女だ。
「え、あの!? 何で、皆さんそんな目で私を見るんですか?」
ミィレの表情が強張った。
アサは、励ますように、彼女に笑顔を向ける。頑張って、ミィレ。あなたならきっと出来るわ。
頑張れ、ミィレ。




