異世界言語と翻訳機
異世界の言葉、やっぱり覚えないとなあというわけで、今回からは言語習得編となります。
新キャラが登場します。
朝の九時。いつもの出勤時間より三十分早い。白峰は、外務省内にある小規模会議室の中にいた。その理由は、彼の目の前に座っている女性だ。年齢は二十代後半か三十代前半くらいだろうか? 眼鏡をかけている。
連絡が入ったのは、昨晩の夕食を済ませたあたりのことだった。スマホにメールが入った。何でも、異世界の言語の解析に役立つかもしれないという。
そして、その詳細説明を打ち合わせのために、早めの出勤となった。
「ええと、朝早うからすんまへん。私、柴村技研の佐上弥子と言います。あ、こちら名刺になります」
「ああはい、どうもご丁寧に。こちらこそ、よろしくお願いします。自分は外務省の白峰晃太と申します。お名刺、頂戴致します」
白峰もまた、名刺を取り出して彼女と交換した。
「関西の方なんですか?」
「はい、大阪から始発の新幹線で来ました。夜中に部長や社長に事情を説明すると驚かれましたけど」
「それはまた、お疲れ様です。眠くありませんか?」
「いや~。正直言うと眠いですわ。でも、新幹線の中でちょっと寝ましたんで、大丈夫です」
そう言って、彼女は笑みを浮かべた。
「しかし、私も驚きましたわ。昨夜のニュースを見て、いてもたってもいられなくて、つい外務省さんにメールしたら、いきなり来てくれって言われますし。異世界に行ったっていう担当者の人が、白峰はんみたいな若い人やなんて。いやほんま。恐そうな人やったらどうしようかと心配していたんですよ? 私、緊張しいなんで。でも白峰はんなら話しやすそうで助かります」
「いえ、こちらこそ、はるばる来て頂いてありがとうございます。まあ、偉い人達もそれだけ言語解析については頭を抱えているんですよ。言語学者の先生達には、断られ続けていまして。自分が何故異世界担当になったのかは、まあよく分かりませんが」
言語学者には断られたが、その点、翻訳機の持ち込みであれば身の危険に晒される事は無い。技術畑の人間からアプローチが来たというのも、そういうところからだろう。言語の問題だから、言語専門の学者に依頼というのは、思い込みだった。
「そうですか? 案外とそういう、取っつきやすいところが、選ばれた理由ちゃいます?」
「さあ、どうなんでしょう?」
「おかけ下さい」と、白峰は席に手を促した。彼女が着席するのを見届けて、白峰もそれに続く。
「それで、何でも異世界言語の翻訳機を作ろうという話だと聞きましたけど。可能なんですか?」
柴村技研。聞いたことの無い会社だ。どうやら彼女はその会社の技術者らしいが。
「ええまあ。小さな会社で、下請けなんですが。それでも、うちらは大手の会社や言語関係の研究所の案件も請け負っているんです。確かな技術力はあると自負しています」
力説する彼女を見て、意欲的な目をしている人だなと、白峰は思った。
「可能かどうかと言われると、それはまだ分かりません。ですが、必ずや何らかの成果は出して見せます。せやから、ここはどうにか――」
まあまあ落ち着いて、と白峰は両手を前に突き出して振った。
「別に、ここまで来て頂いて、門前払いしようとかそういうわけじゃないです。そもそも、自分にそんな権限無いですし。偉い人達も、まずはやってみて欲しいと思って、佐上さんをお呼びしたわけです。ただ、どうやってそれを可能にしようというのか、原理や理屈を知りたいというか。多分、後でそれこそ偉い人達の前で同じ説明をすることになると思いますし」
「あ、そ、そうですね。すみません。うち、早とちりしてしまって」
気恥ずかしそうに、彼女は頭を掻いた。「偉い人達に説明」という言葉には、少し表情が引きつったように見えたけれど。
「ええと、まず翻訳機なんですが。見た目はこんな感じです」
彼女は机の上に「翻訳機」を置いた。
「タブレットPCですか?」
「ええ、まあぶっちゃけその通りです。内蔵のスピーカーと集音マイクはちょっと凝っていますし、色々と組み込んでいるので見た目ゴツいですが。あと、こう見えてスペックも大したもんなんですよ?」
彼女はそう言って、翻訳機を起動した。そして、その盤面をクリックする。
「こいつが、『翻訳機』を実現するソフトになります。どういうものかというと、一言で言えば言語を覚えるAIです。なので、まだこのままでは、すぐに翻訳するとか、そういうことは出来ません。まだ、頭空っぽやさかい」
「なるほど、AIですか」
「はい。その通りです。とは言っても、理屈は結構単純なもんです。ピジン言語って言葉、ご存じです?」
「いえ、すみません。自分は生憎とその手の分野には疎いものでして」
白峰は首を横に振った。
「いえ、大丈夫です。ピジン言語いうのはですね? 要するに、ある言語とある言語が混じったり、改造したような言語のことです。例えば、古い漫画とかで中国人を表現するとき、語尾が『~あるよ』とかしている作品あるやないですか? 他にも、ソロモン諸島の共通語とか、英語の文法を崩したものですし。そういう具合に、正確な文法には沿っていないけれど、何となく現地で意味が通じるようにした言葉のことです」
「ああ、なるほど。そういうものなら分かります。自分も、言葉を覚えるときは、最初はそんな感じで『とにかく口に出して話せ』でやっているものなんで。文法が無茶苦茶でも、取りあえず単語を並べるだけで、案外と通じるものなんですよね」
「そう、まさにその通りです。なんで、まずはピジン言語を作ろうとします」
「どうやってですか?」
「はい、まずは名詞を中心に単語をひたすら覚えさせます。この辺、赤ん坊が言葉を覚えていくのと同じですわ。ただ、人間と違って忘れはしないのでその分覚えるスピードは速いと思います」
「なるほど」
「次に、その単語を主語、動詞、補語、目的語に分類して、特定の構文のパターンを探りながら並べていきます。これが、どんな感じが正しいのかは、うちが、というかデータを本社に送って、うちらがAIを調整していきます」
ふむふむと白峰は頷いた。
「あ、でもひょっとしたら他の人から聞いたかも知れませんが、あちらの言葉って構文的には日本語に近いかも知れませんよ? 言葉の始まりと語尾のパターンが割と一定だった気がしたので。それぞれ日本語の『私は』『これは』とか、『です』『~だ』に相当しているんじゃないかと感じただけなんですが」
「ほんまですか? いや、それが本当なら、それだけでもうちら大助かりです。白峰はん、天才やないですか?」
「いや、どうですかね? 当たっていたら、いいんだけど」
満面の笑顔を浮かべてくる佐上に、白峰は苦笑した。
「まあ、こんな感じで、AIに単語を覚えさせて、まずは文法は滅茶苦茶でもいいから言葉を話させて学習させていくんです。勿論、辞典機能も付けているんで、人間が後で学習するのにもお役立ちですわ」
使い方も、簡単なんですよと、彼女は続けた。
「それは、凄いですね。でもこれ、そんな直ぐには作れないと思うのですが。ひょっとして、ゲートが出てくる以前からこういうものを作ろうと研究していたんですか?」
「ええ、うちの社長。元は研究者やったんです。でも、理論の衝突で学界を追われてしもうたんですわ。万能翻訳機みたいなもん、作れるわけないやろがと。夢物語も大概にしいと散々叩かれたそうです。もう、随分と昔のことになるそうなんですけど」
その悔しさ、悲しさを彼女も分かち合っているのか、彼女は軽く俯いた。
「せやけど、社長は夢を諦めなかったんや。こつこつと長年かけて翻訳機の研究を続けていたんです。仕事の合間や休日、自分の給料を使って。その話聞いていたら、なんや面白そうや思いまして、うちの社員も暇があったら手伝うようになったんですわ。ビジネスに繋がるかどうかは一旦置いておいて。まあ、研究開発っちゅうやつです。実際、この研究が請け負った仕事するんに役だったこともありますし、特許も取ってます」
彼女もまた、その社長の夢に魅せられた一人ということなのか。と、白峰は理解した。だとすれば、社長にとっても彼女ら自身にとっても、幸せな職場なのだろう。人と人との間に好意的な繋がりが無ければ、そういう理解や雰囲気は生まれない。
「IT技術の発達は凄いです。ちょっと前まで出来んかったような事が次々と出来るようになってます。それで、ようやく社長の理論が実現出来そうなところまで来ましてん。実を言うと、うちが昨夜に外務省さんに連絡する前から、職場で噂にはなっていたんですわ。異世界と話通じるようにするんに、この翻訳機は使えないかって」
そうして燻っていた思いが、昨夜になってついに溢れ、こうして彼女は行動に出た。コネも何も持たず、直接的に。
「なるほど。興味深い話をありがとうございます。ただ、一つ気になることが」
「何です?」
「昨日の会談などもそうですが、異世界に関する情報は極力世界に拡散しています。この問題は世界規模で考えるべき話であり、日本が情報を独占するのは、国益にも人類の利益にもならないというのが、政府の考えです。なので、これから集める情報は研究資料として重要と思いますが、世界各国にも広めなければいけない。その点は、企業としてはどのようにお考えでしょうか?」
この情報の独占は、許されるのなら企業にとっても、また研究者としても譲りがたい点のはずだ。企業人である以上、彼女も彼女の会社も、ただのボランティアでこんな真似を名乗り出たわけではあるまい。ビジネス的な投資を目論んでいるはずだ。成果が確認出来るまでは、あくまでも「お試し」扱いになるが。
だが、彼女は小さく笑った。
「『損して得取れ』ですわ」
「というと?」
「うちら、小さな会社です。それこそ、いくら大手の企業さんや研究所のお手伝いさせて貰っているいうても、名前は売れてません。なんで、ちょっとでも大きなところと拘わっているいう実績が必要なんです。その点、外務省さんとお近付きになれるいうんはうちらにとってもチャンスです。ひょっとしたら、歴史にうちらの名前を残せるかも知れません。それに――」
「それに?」
「世界各国に情報が渡るいうんなら、それこそ結構。世界からも、うちらに情報提供して貰いましょう。それでこそ公平や。人類益っちゅうもんやありませんか? 負ける気はありません。一日どころか、半日かも知れませんが、その分の長っちゅうもんを見せてやります。そして、各国から頂いたデータをうちらも有効利用させて貰います」
佐上弥子は不敵な笑みを浮かべてきた。なるほど、ここでこういう考えが出来るからこそ、外務省にも売り込んできたのかも知れない。
「分かりました。それなら、自分としても安心です。よろしくお願いします」
「はい。うちこそ、よろしゅうお願いします」
正直、昨晩に連絡を受けたときは、少しだけ勘弁してくれと思った。だが、今は早起きした甲斐はあったと白峰は感じた。
新キャラ。佐上弥子。
何で関西人にしたかって?
特に理由は無い。というか、自分でも分からない。いいのだろうかこんな事でキャラ作って。でも、あとでこれでまたエピソード作れそうかなとか考えていたりする。
というか、関西弁これでおかしくないかな?
以下、もしも柴村技研を下町ロケットにするならという駄文です。
先にこうやっておいて、本編には使えないようにするという戒めでもあります。
だって、柴村技研って設定的にまんま下町ロケットになっちゃうし。
◆ ◇ ◆
【この翻訳機をよろしく】
「プロローグ:失意」
「そんな馬鹿げた研究は止めろ」
「無理に決まっているだろう。どれだけの処理能力と容量が必要になると思っているんだ」
なじられ、怒鳴られ、柴村は研究室を後にする。
「絶対に、出来るはずなんだ。いつか、自分の理論が正しいと証明される日が、きっと来るその日まで。私は――」
「第一話:外務省への売り込み」
研究費を稼ぐために始めた企業だったが、柴村技研はそこそこ食っていけるようになった。
酒の席で話した万能言語翻訳機だったが、仕事の合間の趣味のような形で、社員からも手伝ってくれるようになった。雰囲気の良い会社が作れて、小さな幸せをかみしめる柴村。
そんなある日、異世界とゲートで繋がって、佐上弥子が暴走気味に外務省へと翻訳機を売り込んでいった。
興味はあったが、何のコネも無いので諦めていた柴村技研は、その行動力に驚きつつも、彼女に任せてみることにした。
「やった。うち、やったで。まずは様子見でこれからの成果次第やけど、手伝わせて貰えるって」
その報告に、柴村技研は沸き立った。
「第二話:燃え上がる士気」
若干の不安もあったものの、異世界言語の解読も順調に進み、成果が上がっていく。
東京に出張している佐上弥子も、アサ=キィリンと上手くやっていけているとのこと。
外務省にも成果が認められ、正式に発注を受けることが出来た。
毎日が充実していく中で、一つ懸念事項がわき上がる。機材が足りない。それを準備する資金も足りない。
あちこちの銀行を探すが、あまりにも急なため、資金繰りに苦悩する柴村。
「ゼニの匂いがしよるでえッ!!」
そんな折、ミナミで金貸しをやっている萬田が現れた。
「第三話:暗雲」
「何……だと?」
突如として、柴村技研はNTCから契約を打ち切られる。更には、言いがかり以外の何ものでもないとしか思えない理由による、料金の減額請求。
「どういうことだ? これは一体?」
「風の噂ですが……どうやら、NTCはうちらが外務省とコネ作ったんが気に食わんらしいですわ」
更には、次々と別の会社からも契約が打ち切られる。NTCから手が回されたとしか思えないような状況。
「NTCの野郎。ここまでするというのか」
「社長、大変です。NTCがうちらを翻訳機の特許侵害で訴えると」
「馬鹿な。特許は取っている! 勝つのはうちらや」
「しかし、それも裁判費用があっての話です」
「第四話:銭の鬼」
更なる資金繰りに苦慮する柴村。しかし、この事態で金を貸そうというところはどこにも無かった。
絶望に目の前が暗くなる柴村。そこに、萬田が現れる。もはや、タイムリミット。気付けば、期日はもう経っていた。
涙ながらに柴村は萬田に事情を話す。
「えげつないのお。ワシ、いい弁護士しっとるわ」
「弁護士を紹介? 金貸しが?」
「金は、取れるところから取らんとなあ」
「第五話:逆転裁判」
「異議あり!」
「ぐえ~。やられました~」
バッサバッサと、萬田の用意した弁護士に論破されるNTC弁護団であった。
さらには、NTCの脅迫と営業妨害に話が移り、その和解金が手に入る。
萬田にはその和解金で借金返済となった。
「第六話:立て続けの嵐」
「AIを特許ごと買い取りたい?」
「外務省もその意向だと?」
佐上弥子から、外務省のそんな話を聞かされる。
買収しようというのは、日本の中でもトップクラスで大手の三石工業だった。
元々、防衛産業などでも政府とコネがあり、その働きかけもあるらしい。
至急、東京に赴いて佐上と外務省に話を聞きに行く柴村。
そこで聞かされたのは、外務省の冷徹なリスクマネジメントだった。
「もし、万が一この翻訳機のせいで外交上の損失が出たとき、その責任が取れるのかという話です」
「国民の生命財産を預かる立場として、その責任をあなた達に負わせるわけには、いかない。最悪、命に関わりかねない」
「それに、裏社会との繋がりを持つ金融会社にも金を借りたそうですし」
大手であれば、「あそこでダメなら」とまだ国民も心情的に諦めも付く。しかし、中小であれば、その怒りの矛先はそのまま向かいかねない。
決して、技術力を認めていないわけではないのだと慰められながらも、柴村は言い返せない悔しさに歯がみした。
「第七話:決裂」
共同開発。その手は無いのか?
そんな案が社員の一人から提案され、早速三石に向かう柴村。
しかし、その話も決裂するのであった。
「金の問題じゃないっ! 馬鹿にすんなや!」
「飲めるかこんなもん。このAIは、社長の子供と同じや。うちらがここまで育てたんや。子供取り上げられようとして、黙っとれるか」
「第八話:アサ襲来」
外務省からのあの手この手の粘り強い交渉が行われ、柴村技研もその交渉になびきかける。
そんなある日、佐上が帰ってくる。隣にはアサ=キィリンが立っていた。
なんでも、抜き打ちで視察がしたいという話だそうだ。
「何でまた?」
「何でも、異世界に行っている若いのが、向こうの方と喧嘩しちゃったらしくて」
「でもって、その原因が翻訳機の翻訳によるものらしくて」
「何でこうなったのかって、佐上にアサさんが聞いた結果、こうなったそうです」
気品溢れる佇まいで、柴村技研を視察するアサ。
『悪くはないわね』
それが、彼女の評価だった。
「第九話:対決」
「三石と対決だと?」
「せや、今の時点で同じAIをコピーして、それからどこまで育てられるかっちゅう話や」
それが、アサからの提案だった。これまでの仕事や誠意は彼女にも届いていた。それを無下に切り捨てるというのも、判断が難しいという話だ。
仕事相手は、異世界側にも見極める権利があるだろうと。
「ここが、意地の見せ所や」
「馬鹿野郎。外交用だぞ。そっちを重点的に言葉を覚えさせるべきだ」
「いいや違う。それもこれも、普通の会話が出来てこそや。何と言われても、うちはこっちを覚えさせる」
様々な方針の対立は見せつつも、柴村技研は一つになった。
勝っても負けても、彼らとなら今後もきっと、仕事を続けていられる。自分には新しい夢が、既にここにあったのだと柴村には熱いものが込み上げた。
「第十話:決戦」
「柴村技研にお任せするのが、よいと思います」
「な、アサさん。それはどういうことですか? 外交用語も深いレベルで意思疎通が出来ると仰っていたじゃないですか」
「ええ、ですが。強いて言えば厳密すぎます。決して悪くはないのですが、『どうとでも取れる柔軟性』にやや欠けています。あと、交渉は卓上で行う物だけではなく、雑談もまた重要。その点で、柴村の方が使い勝手がよいと思いました」
「とはいえ、資本の問題は如何ともしがたい」
「なら、三石としてはこういう提案を致します」
「エピローグ:この翻訳機をよろしく」
三石の提案は、彼らが柴村技研の後ろ盾となり、また柴村技研に技術協力をするというものだった。
「結局、共同開発になるのなら、最初からそれでいいじゃないかって話だろうが」
「まあ、でも資本金の差は如何ともしがたいわな」
「そうそう、それに一度本気で衝突し合わないと分からないこともあるってことよ」
「せや。三石はんもAIを愛してくれてることは分かって、何か嬉しいわ。って、何泣いとるん社長?」
柴村は涙をぬぐった。
「みんな。ほんまおおきに。これからも、この翻訳機をよろしゅうな」