佐上弥子の不機嫌
渡界管理施設の秋葉原側。その、外務省用の仕事部屋に海棠は佐上と入った。もう日も暮れているので、電気のスイッチを入れる。
文字通り、突貫工事の急拵えの施設ではあるが、なかなかに様になっているように思う。
今日の日中に、業者に机を初めとした諸々は運び込んで貰っている。そのうちの、適当な席に彼女らは腰掛けた。ちなみに、盗聴器の有無はきちんとチェック済みだ。
そんな訳で、明後日からは、ここがメインの仕事場だ。これで、外務省へわざわざタクシーを使って通うことも、減ることだろう。
「それで? 佐上さんは何に悩んでいるんですか? また、月野さん絡みだとは思いますけど」
「ああうん。別に、大したこっちゃないんやけどな?」
結局、日中には佐上に「何があったのか?」を訊くことは出来なかった。どういう訳か、お昼過ぎから不機嫌さが悪化したように思えたので。
下手な切り出し方をしようものなら、事態は悪化すること間違いなしである。なので、仕事が終わって外務省を出て、二人きりになったタイミングを見計らって切り出したのだった。今日は月野も白峰も、結構遅くまで残業になるらしい。
強引に押していくような聞き出し方はしていない。「何かあったんですか?」と訊いて、「いや別に」と返されたときに「何か話したくなったら、聞きますよ」と返しただけである。無理に押せば、恐らく意固地になって話さないだろうと。
それだけで、佐上は「そう言ってくれるなら」と乗ってきた。つくづく、分かりやすいというか、素直な人だと思う。何で月野は佐上に対してこういう扱い方が出来ないのかと。これが海棠には分からない。
そして、同じ雰囲気のただ中にいるにも関わらず、平然としていられる白峰の神経も分からない。心臓に毛が生えているのかと。いつか訊いたときは「いつものことですよ」と、にこやかに答えていたけれど。
佐上は自嘲気味に嘆息し、口を開く。
「ちょっとなあ。うち、月野はんにどういう顔したらいいんか分からんのよな。いや、元はといえばまたあのアホがアホなこと言うてきたんが悪いんやけど」
「『そういうご予定でも?』の話ですか?」
訊くと、佐上は目を細めた。
「何でそこまで知っとるんや? 月野はんから聞いたんか?」
「それもありますけど。その前に、噂を聞いたもので。昨日、佐上さんが月野さんに食堂で怒鳴ったって。それで、お昼に少し月野さんに事情を聞きに行きました。余計なお節介とは思いましたけど、やっぱりみんな仲良くやっていきたいですから」
「そっかあ。やっぱり、記者って耳が早いんやなあ。全部お見通しか」
「いえ、流石にそんなことないですよ? 私が噂を聞いたのは、ただの偶然ですし」
でも、月野と佐上の間に漂う緊張感から、どのみち「何かあった」とは、察してはいたと思う。
「というと、やっぱり佐上さんは月野さんのことまだ怒っているんですか?」
佐上は微妙な表情を浮かべた。
「どうなんやろな? あいつがアホ言うのはいつものことやし。一応、もう謝ってもらっとる訳やし。それは、もう怒っても仕方ないやろうしなあ。多分、悪気があって言うた訳じゃないとは思っとるし」
「月野さんが言うには、思わず心配して出た言葉だったらしいです」
佐上から、心底疲れたような笑いが漏れた。
「あー。やっぱりか。ちょっと落ち着いて考えて、薄々そんな気はしとったんよなあ。でも、言い方ってもんがあるやろ。流石に」
「それはそうですよねえ」
そこは、心底同意する。
「んで、そこんとこ、ちょっと確認出来たら、うちも言い過ぎたかと謝ろうと思ったんよ。せやけどあいつ、朝からずっと不機嫌な顔しとるやん」
「ええ、まあ。確かに?」
「その態度がムカつくわ。うちのこと、心配したっちゅうのは分かる。言い方アホなのも、まあええわ。せやけど、謝っただろうがみたいな態度取られて、こっちもどないせえっちゅうんや。そこまでうちを責めんでもええやろ? 元々悪いの、あっちやろ?」
「うん?」
声に熱が籠もる佐上に対し、海棠は首を傾げた。
「大体、あいついっつもそんなんや。本気で反省しとるんかと」
「あー?」
海棠は天井を見上げた。
「それ、多分誤解ですよ?」
「何が?」
どこから話せばいいのやらと、海棠は頭を掻いた。
「あの人、相当に落ち込んでましたよ。また佐上さんを怒らせてしまったって。不機嫌っていうのなら、多分自分自身を責めていたからじゃないかと思います」
途端、佐上が口をつぐむ。
そして、数秒後。
「マジで?」
「マジです」
キッパリと、言い切る。
その一方で、佐上は何とも悩ましい表情を浮かべていた。
「ええ? じゃあ、あの人、うちのこと怒っとった訳ちゃうん?」
「違いますってば」
海棠は肩を落とした。
「というか、佐上さん。月野さんのこと恐がりすぎじゃないですか? そりゃあ、基本無表情で何考えているのか分からない不気味な人ですし。私も白状すると。初めて会ったときは、外務省から送り込まれた殺し屋かと勘違いしましたけど」
佐上はうろんな目を向けてきた。
「殺し屋って? そっちの話がうち、興味あるんやけど?」
「では、その話は後ほど。で、話を戻しますけど。どうしてそこまで月野さんのことを恐がるんですか? そんなに、佐上さんを怒鳴ったり、怒ったりしたんですか? 私も知り合ってそんなに長いわけじゃないですけど。そんな風にはあの人、見えないんですけど?」
「ん。まあ、そうやな。実際、うちは何度もアホな真似やらかしているけど、それでキレたりとかは、せんかったわ」
ばつが悪そうに、佐上は唇を尖らせた。
「いや、せやけどなあ。どうも何か恐いんや。育ちが違うっちゅうのは分かるけど、何か一緒におるだけで緊張するっちゅうか。嫌われたら、そういうのは嫌やなって」
「その割には、結構月野さんにちょっかいも出してますよね?」
「だって、何かムカつくんやもの。もっとこう、うちのことを馬鹿にすんなやみたいな。変な反発心が湧くんや。絶対に、うちのことを認めさせたるみたいな」
「でも、媚びはしないんですね」
「せんわ。あくまでも、うちはうちのままで認めさせたいんや」
あれ? と、海棠の頭の中で何かが閃く。
佐上の感情というものは、結局のところ無茶苦茶だ。
一緒にいるだけで緊張してしまうくらい、嫌われるのが恐いくせに、その相手にはありのままの自分を認めて欲しい。受けれて欲しい?
「なるほど。ちなみに、佐上さんって結構、そういうことあります? 認めさせたい。認めて欲しいって、相手を想うこと」
「いや、無いわ。今のところ、あのアホだけやな」
「でもって、別に嫌いではないんですよね? 念のために訊いてますけど」
「ああうん。別に嫌いではないで? 初めて会った頃は大嫌いやったけど。せやけど一緒におって、あいつがアホやけどええ奴ちゅうのが分かるくらいには、うちも人を見る目はあるつもりや。本気で嫌いやったら、とっくに愛想尽かして異世界になんて来んわ」
「はあ。そうですかあ」
思わず、口角が上がった。随分とまあ、執着していることですねえ。意識しすぎじゃないですか?
「なんやねん? うち、何かおもろいこと言ったか?」
「いえいえ、前途多難ですねえと。そう思っただけです。すみません」
昼に月野に言ったことと同じ事をもう一度言う。これでますます、このネタは面白くなってきた。きっちり、記録しておかないと。
意味が分からん。と、佐上は首を傾げたが。
「でも、あまり深く悩まなくていいと思いますよ?」
「というと?」
「別に、月野さんは佐上さんのこと嫌ってませんし、むしろいい人だって認めてます。怒ってませんから。これまで通りにするだけで、大丈夫だと思いますよ?」
そう言うと、佐上は少しホッとしたような表情を浮かべた。
「そうか? それなら、ええんやけどなあ。でもなあ、こんなにぎゃいぎゃい怒鳴る女とか、呆れてなきゃええんやけど」
どうやら、こっちもこっちで自責の念で不機嫌を振りまいていたクチらしい。似たもの同士か。理屈が分かれば、特に恐れるような話でもない気がした。というか、白峰が平然としている理由が、分かった気がした。
「そういや、実を言うと、うちも昼に海棠はんが月野はんと話しているの、見掛けたんやけど」
佐上がじっとりと湿った視線を向けてくる。
「あれ? 何を話しとったん? あのアホがあんな風に笑うの、うちは見たこと無いんやけど?」
「えっ!?」
あ、これやばい!? 海棠の頬が硬直する。
お昼から佐上の不機嫌な視線が、自分にも向いていた理由が、今分かった。
すみません。
なるべく頑張りますが、一月ほど投稿が不安定になるかもです。
土曜日に更新が無ければ、その週は締め切りに間に合わず、原稿を落としたみたいな感じかなあと。
でも、せめて二週間に一度は投稿したい。
理由は、去年とほぼ同じです。
一つは、来年分のプロットを用意しておきたいためです。
実を言うと、去年に用意したプロットの半分も物語が進んだか微妙なところなので(滝汗)。大まかなネタは残っているんですが。色々と今年になって新規に話を書き足していた分、未消化分のプロットの見直しが必要になりました。
あと勿論、伏線回収用に追加のプロットも用意しないとなので。
もう一つは、別に考えていながらも詰め切れていない物語のネタがあって、そろそろケリを付けたいという思いもあります。
来年の年明けからは、これまで通りのペースに戻ると思います。
ただでさえ週一という遅さで、お待たせして恐縮なのですが、今後とも「この異世界に」をよろしくお願いします。




