クムハの心配
アサ邸には、使用人達が事務仕事をしたりするための大部屋に隣接する形で、小規模な打ち合わせ部屋が儲けられている。
「あの? お話って何でしょうか? クムハさん」
クムハはミィレを呼び出した。彼女と対面で座っている。
「ああうん、お仕事中にごめんね。あんまり、こういう時間を使って話す内容ではないのかもだけど、気になっちゃった話があって」
むぅ、とミィレは顔をしかめた。
生真面目な性格をしている彼女にしてみれば、こうしてはっきりと仕事とは言えないような話題は不謹慎だとしか思えないだろう。まだ、何も言ってはいないのだが。
「そんな恐い顔しないでよ。なかなか、言い出す切っ掛けとか無くって。こういう形でもないと、聞きにくいのよ。お願い、なるべく手短に済ませるから」
クムハは頭を下げた。元々、ミィレはアサの側近となるべくこの屋敷に来たのだが。それでも最近は特に、ミィレはアサと一緒にいる時間が多い。こうしてアサがシラミネ達と会議をしている間くらいしか、二人きりで話をするのは難しい。
「もう」と観念したと、ミィレは嘆息してくる。
「分かりました。本当に、手短にお願いしますよ? それで、何の話ですか?」
「ありがとう。えっとね? 聞きたい事っていうのは、異世界の人達のお付き合いの感覚っていうか、そんな話なのよ」
途端、ミィレの視線がじっとりと冷たいものに変わった。
何か、この子すっかり私に対して遠慮が無くなったように思う。それはそれでいいんだけど、昔はもっと可愛かったと思うんだけどなあ。
「お付き合いって、どういう意味ですか?」
「色恋沙汰ということに、なるのかしら? いや、だから、あくまでも、真面目な意味で訊いているのよ? 異世界の人達とお付き合いしたいという人が出てきたとき、どんな風にお付き合いすべきなのかとか。どういう問題があるのかとか、そういう話。有り得るじゃない?」
「何でそんなことをクムハさんが気にするんですか? まさか、旦那さんがいるというのに――」
ミィレの視線が鋭くなり、慌ててクムハは首を横に振る。
「そんなわけないでしょっ!? 私は、ずっと、死ぬまで旦那一筋よ? 娘だっているんだから。そうじゃなくて、お客さんから訊かれたのよ」
「お客さん。ですか?」
こくこくとクムハは頷く。
「そうそう。何でも、異世界から来ている人に気になる人がいるらしくて?」
「誰ですか? その人は」
「それは、流石にお客様も秘密にしたい話だから、勘弁して?」
不満げに、ミィレは唇を尖らせた。
「分かりました。でも、そんな話私だって知りませんよ」
クムハは肩を落とした。
「そっかあ。ミィレだったらシラミネさんと仲よさそうだし、そういう話もしていたりしてないかなあって思ったんだけど。こう? これまであちこち案内したときに、雑談とかで」
「してませんっ!」
強い口調で、ミィレは否定してきた。
「えぇ? 何で? そういうの、興味無い?」
ミィレは唇を固く結び、顔を背けた。
そして、数秒後。小さな声で。
「ありません」
分かりやすいなあとクムハは苦笑を浮かべた。こういうところが、この子の可愛いところだ。あんまり、この手の話を突きすぎると怒るので、そういうからかい方はしないつもりだが。
「それじゃあ、シラミネさんの話でいいんだけど。あくまでも、参考ということで」
「はあ」
「シラミネさんって、ミィレはどう思う?」
「どう思うって言われても? 漠然とし過ぎてます」
「んっと? 手が早そうとか、女性に対して慣れていそうとか。今、好きな人がいそうとかそういう感じの話を教えて欲しいの」
ミィレは顎に手を当てて、首を捻った。
「そういう、軽薄な人には思えないです。あの人、基本的に真面目ですから。優しくて、誠実で、素直で」
「ミィレにしては、評価高いわね?」
「そうかも知れませんね。お嬢様と似たところが多いので、そういう意味でも接しやすい方だと思います」
ミィレは小さく笑みを浮かべた。
「ただ、これはツキノさんもそうなんですけど。女心はさっぱり分からないというか、子供っぽいところも多いみたいですよ。私から見ても、少し思い当たる節はあります。あちらの男の人って、みんなそうなんでしょうか? 何て言うか、見ていて心配になります」
ミィレは嘆息した。
「いやまあ、それはうちの旦那だって同じだし」
「え? そうですか? リンレイさん、いつもしっかりされているじゃないですか」
クムハは額に手を当てて、目を瞑った。
色々と説明してやりたい。あの旦那のあれやらこれやらのエピソードを教えてやりたい。確かに、自分には勿体無いくらいにいい旦那だとは思うのだけれど。そして、そんな一面も決して、嫌いではないのだけれど。
「何でそんな反応するんですか?」
「いや。まあ、それは。うん。色々と? 妻の目から見たらあるもので?」
クムハは乾いた笑いを浮かべた。
「まあ、うちの旦那の話は脇に置くとして。それじゃあ、シラミネさんが女性に対してだらしないとか、そういう感じはなさそうってことでいいのかしら?」
「無いと思いますよ? そういえば以前に、市議会の人達はシラミネさんと話したとき、誰か意中の人がいるのかも? みたいなことも言っていましたけど」
「それ、ひょっとして今こっちに来ている人かしら?」
「違うと思いますよ? サガミさんもカイドウさんも、引っ越しされる少し前に教えてくれましたけど。今は全然、そういうお相手はいないそうですから。サガミさんは、ティケア様のような方がお好きらしいですけど」
「え~? どんな趣味よそれ?」
失礼だとは思うが、ちょっと信じられなかった。
ミィレも苦笑を浮かべる。決して、否定はしてこない。
いやまあ、ティケアもいい人だとは理解しているのだが。
「あとカイドウさんは、今は仕事に打ち込むのが楽しいようですよ」
「なるほど」
とすると、イルの報告。つまりはシラミネとカイドウが付き合っているという可能性は、何かの誤りだった可能性が高そうだ。
「それじゃあ、あとは実際にお付き合いするとなった場合の壁よね。やっぱりこれは、難しいわよね」
ミィレは小さく、肩を落とし、息を吐いた。寂しげに笑う。
「そう、ですね。難しいと思います。お嬢様に詳しく聞いたわけではありませんけど、何しろ正式に国交が樹立されている訳ではありませんから。いつ、問題が解決するのかも分かりません。そのお二人の間に子供が出来るのかも分かりません。だから、それを分かった上でお付き合いするというのなら、相当な覚悟が必要になるのだと思います」
「それもそうね」
クムハは肩を竦めた。
「それじゃあ、お客さんにはそう言っておくわ。ああ、それと――」
「何ですか?」
「実を言うと、私もちょっとミィレのことを心配していたのよね。実はシラミネさんがとんでもない女たらしで、ミィレのことを弄んでいないかとか思っちゃって。だったら、気を付けるように、私がミィレに言っておかないとって?」
「何を馬鹿なことを言っているんですか? そんなこと、有り得るわけ無いでしょう?」
心底呆れたと、そんな声色がミィレの口から漏れた。
「まあ、ね? 私もそう思っていたんだけど。ミィレとシラミネさんって、仲がいいって噂を私も何度か聞いたし」
「だっ!? 誰がそんなことを?」
狼狽した声をミィレが上げる。完全に無自覚だったのか、この子。
「それは秘密。でも、この前のお料理を教えるときも、シラミネさんには随分と気を許しているんだなあって。後ろから、抱きかかえるようにして包丁の使い方を教えたり。あの人、顔真っ赤にしていたわよ?」
「ええっと? あの? そんなつもりは? ただ、私は教えるのにはああした方がいい、お互いの交流のためにも最善を尽くそうと一生懸命なだけでっ!」
「そうかも知れないけど、ミィレらしくないかなって。本当に、色々と見ていてミィレは心配になるのよ。今まで、色恋沙汰の話って全然出てこないし。ようやくそれっぽい噂が出てきたかなあと思ったら、異世界の人だし。それが、真面目なお付き合いだったなら、私も応援するつもりだったんだけど」
「どれだけ妄想豊かなんですか。まったくもう」
頭を抱えつつ。ミィレは顔を真っ赤にした。
大きく息を吐いて、彼女は顔を上げる。
「大丈夫ですから。私とシラミネさんがそういう関係になるとか、有り得ませんから」
「それもそれで、ちょっと残念なのよねえ」
クムハの口から嘆息が漏れた。
「本当に、私のことを心配しているんですか? 面白がっているだけなんじゃないですか?」
非常に疑わしいと、ミィレが頬を膨らませてくる。
「分かったわよ。変な事言って、本当にごめんね」
「そうですよ。シラミネさんにも失礼です」
クムハ微笑みを浮かべた。
「でもね? ミィレ?」
「はい?」
「もしも、あなたが本当に誰かを好きになったとき、それで困ったときは相談してね? 出来るだけ、力になりたいって思っているから」
その言葉に、ミィレは目を細めた。伏し目がちに、遠い視線を浮かべる。
「そうですね。そのときは、お願いします。ありがとうございます」
ミィレはこの屋敷に来た頃からの、長い付き合いだ。色々と助けたり、助けられたりもしている。別に宣言したわけではないが、不出来でも姉貴分のつもりに思っている。
だから、この子には幸せになって欲しいのだ。
「ところで、クムハさん?」
「何かしら?」
「参考までに。という話でしたけど、シラミネさんについて何かあったんですか?」
「えっ!?」
にこやかにミィレが訊いてくる。しかし、その目は笑っていなかった。
やべぇ。
まーた、ミィレの暗黒面が?
脳内で「私にそんなものありません」「変な属性付けないで下さい」って怒ってるけど。




