異世界間結婚の壁
異世界間での結婚の壁について気になる佐上。
そして、佐上が異世界の男と一緒に食事していたところを見掛けてしまった月野。
思っていたより、ここに残ってやらないといけない仕事は多い。それが、佐上の実感だった。
翻訳機の調整だけなら、正直言って大阪に帰して貰ってもよかったように思う。それに、実際にそっち関係の作業をしているのは本社のメンバーだ。
じゃあ、こっちで何をしているのかというと、本社への外務省からの連絡だとか、逆に色々な報告を纏めて資料を作ったりだとか。そんな事をしている。
どうして自分も異世界に行かなければならないのかと思ったが、納得である。そのために色々と電話やメールを挟んでいると、コミュニケーションのロスが痛い。
それに、先日に会った異世界側の各国の外交官。彼らとも色々と協議や案内に同席する必要があるそうな。
月野や白峰は難しい専門用語はよく知っているが、それを今の翻訳機を通して分かりやすく伝えられる言葉に直せるかというとそれはなかなか難しい。頭が良すぎて、噛み砕いて説明して貰っても、まだ相手に対して理解のハードルが高いことがままある。
逆に、異世界側から発せられた用語についても、それは未知の概念である可能性はあるわけで。そういうときに、ハードルの低いところから説明を促せるような、そんなアプローチも必要で。そういうのも、佐上は力になっていた。
こういう役回りは、夏の間にしていたアサとの付き合いで、いつの間にか確立された。
本人としては、「アホなところが役に立っている」状態な感じがして、少し思うところはある。だが、適材適所としては、そうなのだろう。月野からも「助かっています」と言われると、気分はまあ悪くないわけだし。
それに、これからの協議もそうだが。ゆくゆくは国交を樹立するため。相互に認識相違が生まれない形で条約を結ぶため。翻訳機の精度を上げるためにも、まだまだやらなければならないことは多い。その場の微妙な雰囲気を感じ取るのも、精度上げには必要だ。
佐上はちらりと目線を上げ、斜向かいに座る月野を見た。
月野は今日も国会議員から要求されている資料作り。そして、佐上は皇共語の翻訳調整だ。今後は、皇共語の出番は増えそうなのだが、データ不足から、調整にはまだ不安がある。
白峰と海棠の二人は、今はアサの屋敷に行って、ゲノム解析関係の説明をしている。それから、大学にも行くので今日は終日不在だ。
そんなわけで、今日は近くの席にいるのは月野ぐらいなのだが。
佐上は小さく嘆息した。
何かこう、居心地が悪い。別に、二人っきりみたいなことはこれまでにもあったわけで、そういう状況にも少しは慣れたと思うのだが。
妙に、今日は月野から無言のプレッシャーを受けている気がする。いつも通り、何考えているのか分からない無表情に違いはないのだけれど。
とはいえ、いつまでもこうしていると、このまま一日が終わってしまいそうな気がするわけで。
佐上は意を決した。
「あ、あの。月野はん?」
恐る恐る、声を掛けてみる。
「何でしょうか?」
僅かな沈黙の後、月野は顔を上げてきた。声に抑揚は無いが、それがかえって恐い。
「いやあの。ちょっと気になることがあってな? 教えて欲しいんやけど」
「構いませんよ。ただ、あまり長くなりそうな話だと、後にして欲しいのですが。それとも、急ぎの話ですか?」
「あー、うん。そうやなあ。急ぎ、ではないんやけど」
佐上は唸る。どれくらいの話になりそうか、ちょっと判断が付かない。
数十秒ほど悩んでいると。
そんな様子を見て、月野は嘆息してきた。
「判断が付かないのなら、昼食時でもよろしいですか? 嫌なら、無理にとは言いませんが」
「あ、うん。それでいいです。お願いします」
「分かりました」
そして、再び月野は視線を落とし、仕事に戻った。
うち、何か悪い事した? 昼飯喉を通るか心配になるんやけど。
それでも、今雑談として訊くよりは、マシな気はするのだが。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
食堂で月野と向かい合って座る。
佐上はきつねうどんを注文したのだが、正直少し失敗した気がする。関西と関東のつゆの違いを忘れていた。でもって、関東のつゆは、どうにも違和感を覚える。
月野はハンバーグ定食を頼んでいた。そういえば、前々から、立派な店でもハンバーグを頼むことが割合多かった気がする。こいつ、ハンバーグが好物だったりするんだろうか? 何となく、そんなことを思った。
「それで、訊きたいことというのは、どのような話ですか?」
「ああうん。ちょっと気になったっていう話何やけどな?」
食事時ということもあるのか、ほんの少しだけ月野のプレッシャーも和らいでいる気がする。好きなもの食べて機嫌が良くなった? これなら、話しても大丈夫な気がする。
「異世界の人同士でのお付き合いとか、結婚とかって、どうなるんかなって。手引き書にも、書いてなかったように思うし」
途端、月野の目が細められた。怒らせたかと、佐上は戦く。
「い、いやっ? ほら、あれやろ? 有り得ない話ではないやろ? もうすぐ、異世界の記者の人達も何人もこっちに来て生活するっちゅう話やし? こっちからも学者の先生とか行くらしいやん? そうなると、そういう話も出てくると思うやろ?」
「確かにその通りですね。仰るとおりです。可能性としては否定出来ません」
感情の籠もらない月野の声。
しかし、間違ってはいないと、佐上はうんうんと頷いた。
「せやろ? せやから、外務省としてはそういう問題はどう考えているんかなって。いや、月野はんの個人的な見解でもいいんやけど」
尻すぼみになりながらも、佐上は言い切った。
月野は息を吐き、眼鏡のブリッジを押し上げた。説明するときにこうして眼鏡を押し上げるのも、こいつの癖な気がする。
「そうですね。外務省の見解としては、当分はそのようなお付き合いは自重して欲しいというところです」
「あー、やっぱりそうなるんか」
「ええ。決して止めることは出来ませんけどね。人の感情をどうこうすることなど、不可能ですから。ただ、それとなくあちらから来る人にも、こちらから行く人にも伝えることになるかと」
「やっぱり、それはあれか? まだ国交が樹立されていないとか、そういうところが関係するん?」
月野は頷いた。
「その通りです。国籍の問題や戸籍の問題など、未解決の問題が残されている状態では、何かあったときにどうするかが後手後手になります。一応、この問題もこれから話し合っていく予定ではありますが」
「時間、掛かりそう?」
「そうですね。決して、いつまでも放置していい話ではないと思いますが。しかし、もっと優先度が高い話があるので」
なるほどなあと、佐上は頷く。
「現状では、仮にお付き合いに至ったとしても。では正式に結婚して法的にも夫婦として認められるかというと、そうもいかない状態になるかと思います。それが、いつまで続くかも分かりませんし」
「あー。そりゃ大変そうやな。あれやろ、いくら一緒に住んでいても、内縁の妻とかそんな感じになるっちゅう?」
「そうですね。それに近い形になるのではないかと。ただ、それ以前にそういう真似が許されるのかどうかも、確かまだ未確認ですし」
「色々と、揉め事が起きそうなところも多いっちゅうことやな?」
「そういうことです。現時点でも、あちらの人達に来て貰うために、法解釈とかかなり無茶をしているという話ですからね」
ああ、と。佐上は頷く。
そういえば、異世界の大勢のマスコミに在留してもらうにあたって、そこの法的根拠はどうだこうだと野党と一部マスコミが騒ぎ立てているのをニュースで見掛けた気がする。
自分達は異世界に行けないのに、異世界からは来る。という状況がさぞかし不満らしい。自分達がしでかしたことは棚に上げて。
「ここからは、私の個人的な見解になりますが。そういう訳なので、異世界の方同士でお付き合いするのはお勧め出来ませんね。当事者になったとき、何か問題が起きたとき、人生の負担は相当に大きいと言わざるを得ません。愛さえあればなんて、そんなロマンで片付けられない現実が待ち受けることになる可能性が高いと思います」
「せやなあ。それに、揉め事が起きたときや起きるときなんて、そんな愛も続かなくなるときやしなあ」
夢が無いと言われればその通りだが、現実は見ないといけないわけで。そこまで、佐上も子供ではない。
「それに、お互いに子供が出来るのかどうかも、正直難しいと思いますし」
「何で?」
訊くと、月野は半眼を向けてきた。
「いや、何でって。姿形は似ていますが、我々とあの人達は別世界の人間なんですよ? 子供が生まれるとしたら、DNAが同じでないといけないわけです。そんな事、有り得ると思いますか?」
月野はこめかみに人差し指を当てた。相当にその可能性は低いと考えているらしい。
「揉め事に成り得るという意味では、そういった子供云々の件もそうです。子供が出来ないのでは、そもそも婚姻を認めない親族というのも多いでしょうから」
「まあ、それもそうかも知れんけど」
佐上は頭に手を押し当てた。
理屈の上では月野の言っていることはもっともなのだが、佐上の勘は違うと言っている。説明が出来ないから、反論はしないが。
「それじゃあ、もしも。万が一やけど? 子供とか出来たなら、どないなるん?」
月野は、押し黙った。
「え? そんなに、ヤバいん?」
今日初めて、月野が表情を見せた気がする。それもどこか、沈痛な面持ちで。
「いえ、そういう訳ではないのですが。個人的に、ふと気になりまして」
「うん?」
佐上は首を傾げた。
「あの? 怒らないで聞いて欲しいのですが」
「それは、内容による」
そう言うと、月野は露骨に視線を背けた。
「おいこら? おどれ、何を言おうとした?」
そういう態度を取られると、かえって気になるやろが。
佐上は月野を睨む。
数秒後、観念したと月野は口を開いた。
「ああいえ。そういうご予定でもあるのですか? 気になるのは分かりますが、佐上さんからこういう質問というのは珍しいように思ったので」
「あん? ご予定? 何の?」
「いえその。例えば、だいたい十ヶ月後にはそういう体制が出来ていないと問題が起きる身の上という可能性は、無いですよね?」
十ヶ月後? 十ヶ月後に何があるっちゅうねん?
数秒、その意味を考える。
そして、目を吊り上げた。
「アホかっ! あるわけ無いやろっ! うちはそんなふしだらな女ちゃうわ。アホンダラっ!」
食堂に、佐上の怒声が響く。
「失礼しました」と、月野が頭を下げてくるが。やっぱりこいつ、ほんまもんのドアホやっ!!
当初はオチで佐上によって月野が平手打ちされる予定でしたが。
それは流石に可哀相だと思い、取り止め。
あと、この騒ぎでまた密かに二人の仲は色々と噂になるのかも知れません。




