ミィレのお料理教室
BGM「キュー○ー3分クッキング」
月野の部屋。
その、会議室に使えそうなスペースに彼らは集まった。白峰や月野、ミィレの他に佐上や海棠、クムハといった面々も揃っている。
部屋には座卓と椅子が並び、彼らは適当に選んだ席に座っていた。
「さて、これから私はカレーとニクジャガの作り方を教えて貰うのと同時に、料理の作り方をシラミネさんに教えるわけですけれど。具体的に、何がよくなかったのでしょうか? 教えて貰えませんか?」
「全部や。何もかも」
すかさず、佐上がすっぱりと答えた。
「全部、と言われてもそれではまだ私にはよく分からないです。ええと、白峰さんは指を怪我しているようですけれど、包丁を使う事は出来ますか?」
「出来ません」
なるほど、とミィレは頷く。
「それでは、煮加減や焼き加減は分かりますか?」
「よく分からないです」
「味付けは、どうですか?」
「それも、ダメみたいです」
「作り方の手際はどうですか?」
「初めてというのもありますけど。時間は掛かりました」
言っていて恥ずかしくなるが、もう誤魔化しても仕方ない。白峰は正直に答える事にする。
一つ一つの回答に対し、うんうんと確認するようにミィレは頷いた。
そして、にっこりと微笑む。
「分かりました。それでは、一つ一つそういった問題を解決していきましょう」
「お願いします」
白峰は頭を下げた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
まずは、包丁の使い方について。
白峰は刃の無い包丁と、やや平べったい果物を模したようなものを手にしていた。
クムハの娘。シィノの物だそうだ。この世界のお飯事用の玩具らしい。
「まずは、これで練習です。いきなり刃のある包丁だと、危ないですから」
白峰は頷く。そして感心した。なるほど、こういう手があったか。単純な手ではあるが、思い付かなかった。
「そして、皮剥きのやり方ですけれど、右手は絶対に動かさない。そして、左手で持った食材を回して、そうして剥いていきます」
「分かりました」
その話は、月野達からも何度も聞いている。頭では、分かっているのだ。
白峰は深く息を吐き、呼吸を整え、手の先に集中した。
ぐっと力を込め、ぎり……ぎり、と左手の果物を回していく。けれど、どうしてもそれでは切れていない気がして、右腕を動かそうと――。
「そうやって、力を込めちゃダメですよ?」
不意に、背後から両腕に細い腕が絡みついてきた。手の上に手が覆い被さってくる。
「うわぁっ!?」
驚いて、白峰はビクリと体を震わせた。
集中して気付かなかったのか、音も無く近寄ってきたミィレが後ろにいた。というか、背中越しに抱きかかえられるような格好だ。
「お、驚かさないで下さい。集中しているんですから」
これが、本物の包丁でなくてよかったと思う。本物だったら、ざっくりと指を切っていた事だろう。
そして、横目で彼女を見る。顔が近い。始めて出会ったときの事を思い出す。こう、不用意に見詰められるとドキッとさせられるから勘弁して欲しい。
ああ、あと腕が柔らかいし指も細いし。
それに、この人何気にスタイルもいいから、ひょっとして背中に当たっているのって……か、考えちゃ駄目だこれ。
心臓が高鳴るのを必死で抑え込む。
「おーい、白峰はん? リラックスやぞ? リラックス?」
「は、はいっ!」
佐上の声に、我に返る。気を引き締めないと。
「大丈夫ですか? シラミネさん?」
「はい。もう大丈夫です」
深呼吸して、呼吸を整える。邪念を捨てて、集中しないと。
「いいですか? 左手の力を抜いて下さい。まだ固いです」
ミィレの邪魔にならないよう、左手を出来るだけ脱力する。
「はい。そうです。そんな感じで力を抜いて。こうやって……食べ物を回して」
くるりくるりと、左手を回す。
「凄いな。白峰はん、めっちゃ真剣な顔しとる」
「昨日、私達が教えていた時も、真面目にやっていたと思いますけど。ここまで真剣でしたかね?」
佐上と海棠の声が聞こえてくる。
そりゃあ、真剣にもなるというものだ。この感覚を脳に刻みつけないといけないのだから。こんな機会は、そうそうあるとは思えない。
「それじゃあ、私は手を離しますよ。この感覚で、続けてみて下さい」
「はいっ! 分かりました」
白峰は大きく頷いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
数十分後。
部屋には歓声が沸いていた。
「し、白峰はんがジャガイモの皮むきに成功しよった」
「それだけじゃないです。人参まで、皮を剥いて。しかもきちんと程よい大きさに切れています。凄い進歩ですよ」
月野も眼鏡をブリッジで押し上げ、小さく笑みを浮かべていた。まるで「よくやりました」とでも言いたげに。クムハも感心したように頷いている。
そして、ミィレは笑みを浮かべて拍手をしてくれていた。
何だか、照れくさい。白峰は顔を赤らめた。凄く、嬉しいのだが。
「では、次は味付けの問題ですね」
「これは、どうするんですか?」
「はい。まずはそれぞれの調味料の味を舌に覚え込ませるんです」
「舌に?」
「はい」
ミィレが頷く。そして、小皿にそれぞれの醤油、塩、砂糖、酒、味醂といった調味料を入れた。
「最初に聞きますけど、シラミネさんって味覚に問題があったりはしないんですよね?」
「無い。と、思います。美味しい、美味しくないは分かりますから」
「私からも念のために確認しますけど、あれは美味しいと思って作っていたわけじゃないんですよね?」
「違います。自分でも、不味いとは分かっています」
恐縮しながらも、月野に答える。
多少、贔屓目に見たところがなかったかと聞かれると、あったとは思うけれど。
「それなら、この調味料の味をきちんと覚えて下さい」
「何故ですか?」
「調味料の味を覚えておくと、混ぜたり薄めたりしたときも、どんな味になるのか、今どんな味になっているのか想像しやすいんです。その、味の調節加減をする力を付けるためです。まずは、元のままの味を覚えて、次は半分に薄めたものとかを覚えて貰います」
「なるほど」
レシピの比率通りに混ぜても、どうも足りなかったり多かったりして上手くいかなかったりしたのだが。これなら、その補助が出来るのかも知れない。
「あと、つゆは多めに作っておいた方がいいですね。ちょっと薄いと思ったときに、すぐに足していくことも出来ますから」
白峰は頷き、小皿の調味料を口に運んだ。目を瞑り、舌先に神経を集中して味を、覚え込んでいく。これまでも、調味料の味を知らなかったわけではないのだが、こうしてきちんと覚えていたかというと、そうは言えないかも知れない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
今度は白峰とミィレ、そしてクムハは台所に立っていた。
流石に、台所に大人数で集まるのは圧迫感が強いのと、大勢が集まって何が出来るわけでもないので、人数を絞った形になる。ちなみに月野と佐上、海棠は別室でイシュテン語の勉強である。
白峰はイシュテン語に翻訳したレシピをミィレとクムハに渡して。読んで貰っている。現地で代用が利く食材があれば、それで広まる可能性も考慮して、カレールーは買っていない。その分、少し難易度が上がっているようにも思えるのだが。
そして、驚いた事にミィレもクムハも、この世界で、日本から持ってきた調味料の代用となるようなものに心当たりはあるようだった。
「大丈夫です。全然難しくない料理ですから、多分初めて作る私達でも、上手くいくと思います」
頼もしい言葉だった。
「まずは、ニクジャガから作りましょう」
「熱を与えよ」とミィレが調理用熱板に対して唱える。そして、一匙の油を鍋にいれ、温まった頃合いを見計らって肉を入れた。
焼き加減や煮え加減は、これで直に見て覚えること。そういう話になった。
そして、外から見て分からないのなら、直接串で刺して火が通っているかどうかを確認する。揚げ物だったら、切って確認すればいいのだと。
初心者向けの手順ではあるが、確かな方法だと実感する。
背伸びして粗悪な物を作るよりは、身の程を弁えた方がよっぽどいい。
「火の加減は、強火、中火、弱火用の熱版を切り替えて行っていきます」
ミィレの一挙手一投足を白峰は覚え込む事にした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
そして、小一時間後。
部屋にはいい匂いが立ち上っていた。
人数が多いので各自の量は少なめだが、カレーと肉じゃがが皿に盛られ、机の上に並べられている。
「それでは、いただきます」
手を合わせ、白峰は箸を肉じゃがにのばす。まずは、ジャガイモからだ。
はふり、ほふほふ。
程よく味が染み込み、煮えたジャガイモが、口の中でほろりと崩れていく。
次は人参。こちらも美味い。柔らかく滑らかな歯応え、そして人参の甘みが滲み出てくる。
玉ネギも絶妙な煮え加減で、玉ネギの旨味が舌の上で踊る。
そして、つゆだ。これもまた甘辛さが絶妙に調和している。濃すぎる事もなく、薄すぎるということもなく。このつゆだけで、ごくごくと飲み干せてしまいそうな代物。
完璧。その一言に尽きる。
続いて、カレーを匙で掬った。
これも、美味い。旨味とコク、辛味が調和して食欲を刺激して止まない。カレーとは、こんなにも美味しく作れるものだったのかと、初めて知る思いだった。
「美味しい。美味しいです。ミィレさん」
涙が出るくらいに、美味い。箸が、匙が止まらない。
「本当に、美味しいですね」
隣に座る月野からも、感慨深い声が聞こえてきた。横目で見ると、眼前を左手で覆っていた。
「おーい。ちょっと男子~? お前ら、感激しすぎとちゃうか~?」
「いくらなんでも、この人達。チョロ過ぎませんか? 私、ちょっと心配になってくるんですけど」
佐上と海棠から呆れたような声が聞こえてきた。ジト目を向けてくる。そんな事を言われても、美味いものは美味いのだから仕方ない。
それに、そんなことを言いながらも、彼女らも美味い美味いと箸を止められてないのだ。
「何で男の人って、こうカレーと肉じゃがに転ぶ人多いんですかね?」
「日本の男の人、この料理が好きな人多いの?」
クムハの質問に、海棠は頷いた。
「シラミネさんとツキノさんも、好きなんですか? この料理」
「そらそうやろ。見てみい。この食べっぷり。この人ら、もう、空にしよったで?」
ミィレの質問には、佐上が答えた。
特別に好きというつもりもなかったのだが。
「なあ? 実際のところ、なんで男ってカレーと肉じゃが好きなの多いんや?」
佐上の質問に、白峰と月野は互いの顔を見合わせる。
「そんなこと言われても?」
「何故なんでしょうね?」
強いて上げれば、家庭というものを強くイメージさせる料理だから? なのだろうか?? 答えとしては言わないが。
けれども、面白そうにミィレは笑みを浮かべていた。
「さて、それじゃあシラミネさん」
「はい、何でしょうか?」
「今度は、シラミネさんが作ってみて下さい」
「はい。分かりました。ありがとうございます」
ミィレの手際は覚えた。これなら、自分でも作れる自信はある。
「明日から、毎日ですよ?」
「え? 毎日ですか?」
まさか、そうくるとは思わなかった。流石に、毎日カレーと肉じゃがは辛いんですけど?
「あの、食材の残りとか――」
「当たり前じゃないですか? たった一日で、料理を覚えることが出来る訳ないじゃないですか。料理の道は奥深いんです」
にっこりと、しかし有無を言わさない笑顔だった。
「大丈夫です。ちゃんと、練習として代わりになるような食材も、この世界にはありますから。買いに行きましょう」
「あ、はい」
「サボっちゃ駄目ですよ? シラミネさん、言ってましたよね? 言葉を覚えるのも、毎日続けないとダメだって。私、ちゃんと勉強しているんですよ? それと同じです。私、様子見に来ますからね?」
「え? そうなんですか?」
「はいっ!」
ミィレが頷いてくる。
なら、いいのかも知れないな。とか、ふとそんなことを思ってしまった。




