月の間の報告会(1)
ゲートの向こうから帰ってきたアサ=キィリンは、屋敷の重臣達に向こうで何があったかを報告する。の巻。
異世界からの帰還。そして帰宅してそのまま、出迎えてくれたミィレとティケア、そして侍女長のシヨイ=サァクを伴い、アサは月の間へと向かった。
白状すれば、疲労感はある。しかし、ここで休憩を入れれば、そのまま動けなくなると彼女は判断した。
月の間の装飾は、華美ではない。壁に描かれた模様もシンプルで主張は控えめ、装飾品もさほど無い。応接間として使う星群の間に比べれば、殺風景な部屋だ。
それもそのはず、ここは会議室だ。『歓迎』は必要ない。落ち着いた思考と感情こそが求められる。故に、内装はそれを促すことを意識した造りとなっている。
部屋の中央に置かれた円卓に、彼女らは着席した。
「今日は三人とも、ご苦労様。疲れているとは思うけれど、もう少し、付き合って欲しい」
「水くさいことを仰いますな。むしろ、感服している次第にございます」
笑みを浮かべ、ティケアとシヨイは恭しく頭を垂れた。ミィレも、うんうんと頷く。
「ありがとう。では、早速本題に入りましょう。とは言っても、既に想像は付いていることと思うけれど。本題というのは今日の事よ」
「そうですな。ですが、どちらから話しましょう? お嬢様からにしますか? それとも、我々からでしょうか?」
「そうね。まず、私から話しましょう。向こうの世界のことを」
アサは円卓の上に、脇に抱えていた、薄い長方形の物体を置いた。長辺の長さが彼女の肩幅よりも少し短く、短辺の長さは伸ばした手のひらよりも少し大きい。
色は縁が黒く、そして一面には硝子のようなものが貼り付いていた。
「あの世界は、こういうものを作り上げる世界だったわ」
「はあ。でも、そう言われましても。これ、一体何なんですか? お嬢様を出迎えたときから、気にはなっていたのですが」
「詳細は私にも分からない。ただ、おそらくは向こうの言葉で"タブレット"というものらしい」
ミィレの問いに、アサは答えた。
「そして、これはこういうものよ」
アサは、向こう側で説明を受けたとおり、タブレットの縁にあるボタンを押した。それまで透明だった、タブレットに貼り付けられた盤面が発光する。
その光景に、彼女の目の前にいる三人は皆息を飲んだ。それはそうだ。このようなもの、こちらの世界には無いし、それを可能とする魔法も存在しないのだから。
やがて発光が収まり、透明な盤面の奥に、黒の背景に風を表現したような絵が浮かび上がった。
「そして、ここをこういう風に触れると」
続いて、アサは盤面の左端にある、小さな画像を指先で素早く二回叩いた。
盤面に浮かび上がった絵が切り替わる。黒の背景に、白地の文字。それが数秒続いた後。
「これは、お嬢様ですかっ!?」
ミィレが驚きの声を上げた。ティケアとシヨイもまた、驚いているようだ。目を見開いて絶句する。
タブレットから音声が流れ、アサがゲートの向こうで会談した相手との光景が映し出された。
「ええ、そうよ。そして、私の目の前に座っている方が、今日の会談相手。予定表にもあった通りよ。見ての通り話は通じなかったけれど、終始和やかな雰囲気で進めることが出来たわ」
数秒の沈黙の後、絞り出すような声がティケアから漏れた。
「確かに、敵意といったものは感じられませんな。ですが、気になるのはどのようなご身分の方なのか、です」
流石はティケアだとアサは思った。このようなものを目の前にしても、冷静な判断力は失われない。何を考えるべきかを理解している。
「私の見立てだけど、ゲートの向こうの国の国王、皇帝、法王。そのような位置にある人物だと思う。上手くは言えないけれど、この会談に使用した建物は、周囲のものと明らかに風格が異なっていたし、歴史もあるように見えた。あと、周囲にいた者達からも、お二人に対する崇敬の念が強く伝わってきたわ」
「そうですね。その見立てには私も賛同致します。私も随分と前に、一度しか拝顔したことはありませんが、この方の発する雰囲気はミルレンシアの皇帝陛下に似ておられます。そのようなものを纏うことが出来るお人は、そうそういないでしょうね」
続くシヨイの言葉に、ティケアもミィレも異論は無いようだ。
「では、そのような方との謁見をお嬢様に許したということは?」
「そうね。あの国と呼んでいいのかしら? 何にしても、私達が出会った人間達は最大限の誠意を持って接しようとしている。これは、その宣言でもあるわ」
「それはつまり。こっちも国王陛下か皇帝陛下に、あちらの方とのご会見をお願いしないとまずいということでしょうか?」
「いえ、ゆくゆくはその必要もあるかも知れないけど、早急にという話ではないでしょうね。後であなた達に訊くつもりだったけれど、あちらから来た折衝役から、そういう要求があったの?」
「いえ、無かったように思います」
ミィレは首を横に振った。
「でしょうね。ゲートの位置的に都合がついたからこそ、彼らもそれが実現出来たという形でしょう。友好的な態度と誠意を見せる人間が、それをいきなり、事情も把握せずにこちらに要求するような真似をしてくるとは思えないわ」
だからといって、いつまでもそれに甘えることは出来ないが。いつかは、その実現を考えなければならないし、事情を説明する必要もある。そう、アサは考えている。
「まあ、何にしても、あちらに友好と誠意の意思があることは確認出来たわ。それを証明するためにも、私に証拠としてこれを渡したのでしょうし」
「なるほど」
と、ミィレが頷いた。
「しかし、それにしてもこのタブレットというもの、見れば見るほど不思議ですな。どのようにしてこのようなものを作り上げたのか。さぞかし、貴重な品なのでしょうな」
「いいえ、ティケア。恐らくそれは違うわ」
「と、言いますと?」
「あの世界には神がいない。マナが存在しないのよ」
「何ですと!?」
再び、ティケアの目が大きく見開かれた。
「つまり、魔法が存在しないということですか?」
「その通りよ。魔法が存在しない。この髪飾りを着けていったけれど、全くマナを感知しなかったわ。でも、だからこそでしょうね。機械的機構を高度に発達させたんじゃないかしら? そして、その結果がこれよ」
アサはタブレットを指さした。
「他にも、信じられないようなものだらけだったわ。それを考えると、これもありふれた日用品の一つと考えた方が、いいでしょうね」
「信じられないようなものといいますと?」
「まず、移動は鉄の車だった。馬も牛もいない。しかも、馬よりも速い」
「え? ひょっとしてあの予定表に書いてあった、車輪の付いていたあれですか? あれ、後から馬を用意して引かせるとかじゃなかったんですか?」
アサはミィレに頷いた。
「その通りよ。御者と思わしき人物が、あれの中にいてね。何事か操作することで、自ら動くのよ」
「そんな、何という力を。そんな動力をどこから用意しているんですか?」
「全く分からない」
アサは首を横に振った。
シヨイが、神妙な面持ちで唸る。
「少なくとも、こちらに現存する魔法では不可能ですね」
そう、だからこそこの世界では重いものの運搬には馬車や牛車が使われているのだ。人の意思によって発動し、動力を生み出す魔法は存在している。しかし、その力は弱いし制御が利かない。
いや、発想としては当然あったし、小型であれば近いものも存在している。しかし、作るためのコストとパフォーマンスが見合わない。故に、そういった乗り物は馬車や牛車に取って代わることはなかったのだ。
「そして、これもおそらくだけど、あの世界では金属が豊富よ。鉄の車などというものが用意出来るくらいだしね。それに、そのタブレットにも金属が使われている。我々が魔法で文明を築いたように、彼らは金属の加工技術によって文明を築き上げたのでしょうね」
「『神のいない鉄の国』ですか。まるで、古代神話の一節ですな」
「まったくね」
呆れも混じったようなティケアのぼやきに、アサは苦笑した。
「他にも、会談の後は。ああうん、多分あれは医者でしょうね。誘導役の女性と一緒に、そして女の医者にだけれど、薄着にされて色々と調べられたり、少し血を抜かれたりしたわ。私の骨格の描いた精密画を即座に作り上げたり。本当に、とんでもない力を持った世界よ」
そして、そういう話は尽きないのだ。
本当に、こういう世界とは、友好的な関係を築きたいものだと、アサは思った。
異世界側で存在しない概念で、こちらの世界にしか存在しない物を説明しようというのは、結構難しい。
どうして馬車や牛車が輸送の基本手段になっているのかは、後のエピソードでまた詳しく説明します。
まだあんまり表に出ていないけど、魔法の設定バランスもまたなかなかに難しいなあ。