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未完結シリーズまとめ  作者: なおほゆよ
おっさんクエスト
65/77

おっさんよ、酒を飲め

「何か言うことはあるか?」


朝のオフィスの一角で神谷の目の前に座っていた30ほどの女性が眉間にしわを寄せながら神谷に尋ねた。彼女は神谷が働く部署の部長の間宮鈴華、神谷の上司であった。


「…どうしても、痴漢が許せなくて…」


そんな彼女に頭が上がらない神谷は申し訳なさそうにそんなことを述べた。


痴漢の容疑で事務所に連行された神谷はなんとかその誤解を解くことは出来たが、駅で暴れていたという話が彼の勤務する会社にまで伝わっていたのだ。


「社会人としてもっと規律ある行動を…などといちいち言わずとも、君ならわかっているだろう?」


「はい、反省しております」


「はぁ、気をつけてくれよ。君にこんなくだらないことでいなくなられたら困るのだ」


「はい、猛省しております」


「わかったなら、もう業務に戻り給え」


「はい」


朝から痴漢に間違われるわ、上司から説教されるわですでにお疲れの神谷はトボトボとした足取りで自分の持ち場に戻ろうとした。


だが、そんな彼の背中に上司の間宮は一声かけた。


「だが、痴漢を捕まえたということには一女性としてお礼を言おう、ありがとう」


「…どうも」


別に被害者の女性のために捕まえたわけではないが、お礼を言われて嫌な気持ちにはなる者もそういない。


そんな神谷に同僚の男の佐々木が話しかけて来た。


「痴漢を捕まえて轢き殺そうとしたとか…お前ってそんなマッドフェミニストだったっけ?」


「そんなんじゃねえよ、佐々木」


佐々木とは同期であったこともあり、よく二人で飲みに行くほどには付き合いがあった。


「じゃあなんでそんな奇行に走ったんだ?」


「もちろん、今は亡き西郷のためだ」


「なんで西郷?」


とりあえず二人は痴漢冤罪記念に今夜飲みに行くことにした。








「ははは、お前そんな理由で痴漢を捕まえたのかよ」


「笑うなよ、俺は真剣に悪党を捕まえようとしただけだぞ?」


酒の席で神谷の話を聞いた佐々木は笑っていた。


「でも神谷の言うことも一理あるわな。痴漢のせいで車内での俺たちの立場は低くなるばかりなのは事実だしな」


「俺なんて冤罪が怖くて毎日両手挙げながら通勤してるだぞ?。…まったく、なんで俺がそんな痴漢どものせいでそんな苦労をしなきゃいけないのか…」


「だからって痴漢ごときでひき殺そうとしなくても…」


「いや、これ以上俺たちおっさんの品格を下げないためにも痴漢には然るべき粛清を与えるべきだろ。奴らをのさばらせてたらますます俺たちの社会的地位は低くなるんだぞ?。最近じゃあ女性専用、男性禁制の施設も増えて来てるし、このままじゃあ俺たちおっさんの居場所がなくなって肩身が狭くなるばかりだぞ?」


「おっさんの肩身が狭くなる、か…」


神谷の言葉に思い当たる節があったのか、佐々木は焼酎を片手に神谷の言葉を繰り返すように呟いた。


「確かに神谷の言う通り、俺たちおっさんの肩身は狭いわな。限定品欲しさに女児向けアニメの映画を観に行った時とかほんと肩身が狭いしな」


「それはお前が不可侵領域を侵してるからだろ」


佐々木はオタクで、特に日曜日の朝にやってる女児向けアニメをこよなく愛しており、グッズなども集めている。…いわゆる大きなお友達の部類だ。


「いや、ほんと肩身が狭いのってなんの…特になにが嫌かっていうと、小さなお子様の視線じゃなくて、その子供を引率してる母親の視線が痛いんだよなぁ。俺だって子供と一緒で純粋に女の子達を応援しようと馳せ参じてるのにさ、奴らはまるで性犯罪者予備軍を見るような目を向けてくるんだぜ?俺はそこまでエロい目で見てないわ、ボケェ!!」


「でも多少はエロい目で見てるんだな」


「そりゃあな。でも紳士だから決して手は出さないぞ」


その後、数十分に渡って佐々木のアニメ談義が続いたのち、二人は2件目にハシゴすることになった。


「ここだここだ、前々から行ってみたかったんだよ、ここ」


そう言って佐々木が指差したのは人通りの少ない裏路地にひっそりと佇む所帯感溢れる小さな居酒屋であった。


「隠れた穴場っていう感じがして前々から気になってたんだよ」


確かに佐々木の言う通り、目立たない看板で『おみや』という名を語るその静かな独特な雰囲気は知る人ぞ知る隠れた名店の匂いがした。


早速、引き戸を開けて二人が中に入ると店主が『いらっしゃい』と気さくに挨拶をして迎えてくれた。


カウンターが7席とテーブル席が2席、その間にはどれも仕切りという仕切りもなく、決して広いとは言えない店内であったが、落ち着いた佇まいと店主の気さくさが合わさり、独特のムードを演出していた。


「当たりかな」


佐々木が店内を見渡しながら小さな声でそう呟くと同時に、カウンターの一角でとある人物を見かけた。


「あっ…間宮部長」


佐々木が見つけたのは二人の直々の上司である間宮であった。


一人で飲んでいた間宮は自分の名前を呼ぶ声に振り向き、二人に声をかけた。


「なんだ、神谷と佐々木じゃないか」


「間宮部長、こんなところで一人で飲んでたんですか?」


「こんなところとはなんだ、こんなところとは。ここは私の行きつけのお店だ」


「へぇ、間宮部長ここでよく飲むんですね」


3人がそんな話をしていると、店主が会話に割り込んで来た。


「そうだよ、間宮ちゃんは毎週来てくれる常連さんだよ」


「…へぇ、そうなんですか」


自分より年上である間宮部長をちゃん付けで呼ぶ店主に神谷は年の功を感じていた。


「とりあえずお二人はそこのテーブル席に座ってくれるかな?」


そう言って店主が指差したのはちょうど間宮の真後ろにあるテーブル席だった。


「一緒に飲みますか?部長」


「いや、気にしないでくれ。私は一人で飲むのが好きなんだ」


「そうですか…残念ですね」


神谷達と間宮はしょっちゅう飲むような仲ではない。会社やチームで飲むような時は席を囲むことにはなるが、二人で話すような機会はほとんどない。


しかし、歳もそれほど離れているわけでもないし、なにより神谷は間宮を上司として、人として尊敬していたので、飲みを断られて残念というのは本音ではあった。


「間宮ちゃん、そうやってずっと一人で飲んでるからいつまで経っても男が出来ないんだよ」


「ほっとけ」


「せっかく美人なのに勿体無いよ、間宮ちゃん」


店主の言う通り、間宮は美人ではあったが、仕事一筋なのと隙が無いことが合わさってか、男がいるという話を神谷も耳にしたことはなかった。


「ところで部長、なに食べてるんですか?」


部長の目の前に置かれている見慣れない食べ物を目にした佐々木は部長に尋ねた。


「これは………この店のオススメだ」


なぜか言葉に詰まった部長は顔を伏せながらそう答えた。


「へぇ、じゃあこれと同じものを一つください」


「へい。…飲み物はどうしやしょう?」


「飲み物は…とりあえずビールでいいか?神谷」


「いや、俺はとりあえずビール否定派なんだ。甘口の日本酒のお冷やを頼むよ、店主」


「へい、少々お待ちを」


とりあえず飲み物の注文を済ました二人は間宮の真後ろにある席に座った。


「なんで神谷はとりあえずビール否定派なんだ?」


「純粋にビールが好きじゃ無い」


二人がそんな話をしていると店主がお手拭きと飲み物、そして例の料理を運んで来た。


改めてマジマジと運ばれて来た料理を眺めてみたが、なんの料理なのかはわからなかった。


何かのタレに漬け込んだそれは見た目からして何かの生肉であることはわかったが、それ以上のことは分からなかった。


見慣れぬ物体に少し警戒しながら口に運ぶが意外や意外、それは非常に美味であった。


甘辛いタレに肉の旨味が混ざり、そこにさらにコリコリとした歯ごたえが口を楽しませてくれた。恐らくは何かの臓物、しかも生であるというのに一切の臭みもなく、おまけに酒も進み病みつきになりそうな味である。


「うまいな」


「そうだな。…すみませーん、これってなんの肉なんですか?」


「豚だよ」


佐々木の質問に店主は笑顔で答えた。それと同時に、何人かの客が心なしかニヤニヤしていたのがうかがえた。


「へぇ、豚肉か…。豚のどこの部位ですか?ホルモンとか?」


「いや、睾丸」


「へぇ、睾丸かぁ。…え?睾丸?」


「うん、睾丸」


「え?睾丸って…あの…」


「うん、要するに…キンタマ」


美味しいと思って食べた物の正体を知るや否や、神谷と佐々木が血の気が引いていくのが見て取れた。


知らず知らずのうちに睾丸を食べていたという現場の一部始終を見ていた他のお客の何人かがうっすらと笑みを浮かべていた。


「なんで教えてくれなかったんですか!?部長!!」


「私はここのオススメだちゃんと教えてあげただろ」


「あんまりだ!!こんなに可愛い部下にキンタマ食わすなんて!!」


「これはパワハラもんですよ、部長」


「別に強要なんて一切してないだろ」


そうは言いつつも二人がキンタマを美味そうに食べる様を楽しんで見ていた間宮。


いっぱい食わされた神谷はそんな間宮に復讐すべく、こんなことを尋ねた。


「…っていうか、部長ってここの常連さんなんですよね?」


「そうだが?」


「なるほどなるほど…で、行きつけのお店のオススメがキンタマだと…」


ここで神谷の意図に気がついた佐々木がすかさずアシストをする。


「つまり部長は夜な夜な一人でキンタマを食い荒らしてるってことですね」


「部長…いくら人間の男に相手にされないからって豚にまで手を出さなくとも…」


「はははは…他所に飛ばしてやろうか?お前ら」


顔は笑っていたが、間宮の目は笑っていなかったとさ。









「…加齢臭ってなんで出るんだろうな」


キンタマをつまみに酒が程よく回って来た頃、唐突に神谷が呟いた。


「それは…確かなんかが頭皮と混ざってノネナールっていう物質を…」


「違う、そうじゃない。俺は加齢臭のメカニズムが知りたいんじゃない。生物として生存、及び繁殖をする機能として、生理現象のひとつである加齢臭がどういう意味を成すのかを知りたいのだ。物理的なメカニズムなどの至近要因ではなく、生物の機能としてそれがどんな役割を果たすかという究極要因を問いているのだ」


「つまりは加齢臭の役割ってことか?」


「そういうこと。わざわざ発生させるからには何かしらの役割があるってことだろ」


「加齢臭の役割ねぇ…」


神谷の質問にしばらく悩んだあと、佐々木が一つの結論に達した。


「普通に考えたら、種の繁栄のためにはいろんな個体が交わる必要があるし、そういう意味で歳を取った個体がいつまでも異性にモテるわけにはいかないから嫌な臭いを出して異性を遠ざけようとしてるんだろ」


「そうだな、俺も自分で考えた結果そういう結論に至った」


佐々木の回答にウンウンと頷きながら神谷は同意した。


「その結論で言うと、生物学的に繁殖に必要なくなった個体をその競争から省くために作られた機能だということだ。つまり…加齢臭が出たっていうのとは…生物学的にお前はもう子孫を残す権利は無えよっていう死刑宣告なわけで…」


「やめろよ、神谷。…悲しくなるだろ」


30という大台を目の前に迎えた二人の男はそれだけ言うと酒を飲む手を止めてうつむきながら深いため息をついた。


「…嫌だよな、歳を取るって」


「ほんとだよ。歳を取ってもろくなことねえよ」


「嫌だよぉ〜、俺おっさんになんかなりたくねえよ〜」


残酷な真理に辿り着いてしまった二人は酒の席だというのにも関わらず、お通屋のようにどんよりとしていた。


そんな二人の話を先程から小耳に挟んでいたのか、すぐ隣のカウンター席に座っていた間宮が話しかけて来た。


「…お前ら、いつもそんなくだらない会話をしてるのか?」


「くだらないとはなんだ!!部長に俺たちおっさんの気持ちが分かるか!?」


「そうだそうだ!!生物としての死刑宣告を待つ死刑囚の気持ちが女の部長に分かるか!!」



間宮のくだらない発言に涙を流しながら反論するおっさん二人。そんな二人を見かねた間宮は呆れるようにため息を吐きながら会話を続けた。


「はぁ…女だって加齢臭が出る人もいるわ」


「そうかもしれないけど、統計的に圧倒的に男の方が加齢臭は出やすいだろ!!」


「あのねぇ…確かにそう考えたら男には賞味期限があるかもしれないけどまだマシよ。…女には消費期限があるからね」


「…消費期限?」


「さっさとしないと子供を産めない身体になるってこと」


「…あー、そういう」


間宮の言葉に納得したのか、ようやく神谷も佐々木もおとなしくなった。


「おっさんもおばさんも辛いのは一緒ってことだな」


「おばさん扱いはやめろ。私はまだアラサーよ」


「…女性はいいですよね、そうやってアラサーって言葉で逃げられるから」


「なんのこと?」


神谷の発言に間宮は疑問の声をあげた。


「既におばさんって呼ばれてもおかしくない歳なのに、アラサーとかアラフォーとかって言葉でおばさんから逃げられるんですよ」


「…確かに、既に『女の子』って歳でもないけど『おばさん』って呼ばれたくない人からしたらアラサーとかアラフォーっていうのは言われてみれば便利な言葉だな」


神谷の言葉に同意するように佐々木はそんなことを呟いた。


「『女の子』ではない、でもまだ『おばさん』扱いされたくない。アラサーとかアラフォーっていうのは俺にはそういうおばさん達の逃げ道として作られた言葉にしか思えない」


「…確かに神谷の言う通りかもね」


意外にも神谷の言葉に同意するかのように間宮はそう呟いた。しかし、彼女はさらに言葉を続けた。


「でも逃げ道とは人聞きが悪い。アラサーとかアラフォーっていう立場はね、女達が必死で声をあげて、恥を忍んで戦ってようやく手に入れた戦果よ。あなた達みたいに歳を取ったと嘆くだけしかできないおっさんとは違うのよ。あなた達は抗うことすら諦めて、黙って素直に受け入れるだけ…」


間宮はそう言って席を立ち上がり、お会計を済ませて店を出て行こうとした。


「だからあなた達はいつまで経ってもおっさんなのよ。…それじゃあ、お疲れ様」


手を軽くひらひらを振りながらそのまま彼女は去って行った。


「…おっさん、か…」


その様子を見送った後、神谷はぼそりとそう呟いた。そんな神谷を見ていた佐々木は酒を手にしながらこんなことを尋ねた。


「結局お前はさ、どうなりたいわけ?」


「ん?」


「おっさんってだけで差別されないように酔いつぶれたおっさんに手を差し伸ばして、おっさんが虐げられないように痴漢を捕まえて、なんとかおっさんの地位を確保しようとしてるけど、結局お前はそれでどうなりたいわけ?」


「どうなりたいって言われたら…」


酒も進み、ほろ酔い気分の中で唐突にそんなことを聞かれた神谷はぼうっと上の方を見上げながらこんなことを呟いた。


「多分……主人公、かな」


「はあ?おっさんのくせにか?。…まぁ、酒の勢いってことにしといてやるよ」


こうしてこの日の飲みはお開きとなった。


神谷の言う通り、今現在、おっさんを取り巻く環境はよろしくはない。ただ、それでもおっさんの良いところを強いてあげるとするならば…こうして愚痴を肴に酒が飲めるということなのだろう。


果たしておっさんは主人公になれるのか?それとも西郷と同じ道を辿るのか?。


神谷に待ち受ける運命とはいかに?

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