迷走
取り調べを終え、木下と多田野は自室に戻った。さすがに朝食を食べる気力がなかった。しかし、脇田のあの態度と一条が気になっていた。一条は父親を殺されたと言っていた。動機は充分にある。しかし、逆にそれが木下の推理に影をさしていた。怪しすぎるが、これはミスリードなのではないか? という考えと犯人なのでは? という考えとかグルグルと堂々巡りをしている。その気持ちを忘れるように、木下は頭を振り回し、スマートフォンで撮っておいた証拠を確かめる。死体はさすがに撮るのは抵抗がありできなかったが、事件に使われたらしき証拠は保存しておいた。写真のアプリをタップし、それをスライドしつつ再確認する。紙コップからは甘酸っぱいアーモンド臭がした。あれに入れて飲ませたのだろうか? しかし、ベッドに吊るされていた釣り糸の使い道は? 床についていた水の跡は?
推理を巡らせるが、やはり謎が解ける気配がなかった。
「なぁ、倒れている紙コップ、吊るされているタコ糸、床についている水の跡ってさ、事件に関係あると思うか?」
猫の手も借りたいほどで、木下はなんとなく多田野に聞いてみる。
「それ、事件に関係あること?」
「多分」
「それ、被害者が飲んで苦し紛れに落として転がったってことは?」
「それならその落としたところに水の跡があるはずだ。だけど、跡はベッドの下に広がってたんだぜ?」
「うううぅん––––」
どうやら多田野にもわからなかったようだ。そう。この事件のキーワードは水の跡だ。恐らく、あの紙コップには初めから何かの液体が入っていてそれをベッドに置かれていたと考えるのが自然だ。何が入っていたのか? これが恐らく事件解決のヒントになるはず。
「ふ、と思ったんだけど、被害者って毒殺されてたんだよな?」
「ああ。シアン化化合物を含まされてな」
「それって、吸わせて殺すことってできる?」
「は?」
「だから気体状にしてさ、ドアの隙間から注射器か何かで噴出するの。それならわざわざ部屋に入らなくてもできるんじゃないかな?」
そうか!
多田野の一言に、木下の推理が一歩前進する。しかし、すぐにそれは自惚れていたということを思い出させる。
「いや、だめだ。人間の毒に対する致死量は二百ミリグラムから三百ミリグラムといわれている。注射器で霧状にすればもっと必要かもしれない。それにそれではタコ糸などの説明はできない」
「うーん、いい案だと思ったんだけど」
「俺、もう一度現場を調べてみようと思うんだ。現場百辺っていうだろ?」
「俺も付き合うよ」
「お前は来るな」
木下は一人で金塚が殺害されていた現場に行った。中に入り、きちんとドアを閉める。
––––何かあるはずだ。密室殺人を可能にする……何かが。
木下は床に頭を擦り付けて目ざとく何かを見つけようとする。しかし、目立つのはベッドの下にある紙コップなどだ。
犯人め、一体どういう手を––––。
ハンカチを紙コップの上に置き、指紋がつかないようにしてコップを手に持ち、それを見ながらあれこれ試行錯誤する。しかし、いい解決法は見つからなかった。気分を変えるため、大きく息を吸い込んだ。その時、何だか香酸柑橘系の匂いがした。捜査をしていた時には気づかなかった香りだ。出所を調べると、かすかにコップから漂っていた。どういうことだろうか? 揚げ物でも食ったのか?
何か新しい手がかりがつかめるかと期待したが他には見つからなかった。




