仙人
「仙人ん〜?」
木下雄大は友人の多田野淳にオカルト話を持ちかけられ、話を聞いているうちにバカらしくなった。
––––水を歩く仙人がいるところがあるんだってよ!
多田野は心底楽しげな声色で話していた。
バカバカしくて電話を切ろうとした程だ。
『マジだって! 見たって人が何人もいんだってよ!』
多田野はこういう話題が好きなので、時々付き合っているが木下はそれと相性が悪かった。オカルトの類いは一切信じていないからだ。
「どーせ旅館側が仕掛けたトリックか何かだろ? 宣伝だって」
『宣伝なら宣伝……本当なら本当かどうか、お前が解いてくれよ! 刑事だろ?』
そう。木下は去年、念願の警察官になった。動機は刑事ドラマが好きだからああいうスリリングな日常を送りたいというアホなものだった。しかし、勤務時は真面目で今年ついに試験に合格し交番勤務を終え、捜査一課強行犯係に配属された。毎日事件が起きて刑事ドラマみたくかのシャーロック・ホームズのような名推理を組み立て、真犯人をバシバシと捕まえていく……そんな理想な毎日を夢見ていたが、実際は地味な書類整理などで、そんな毎日とはかけ離れていた。平和なことは良いことだが、刺激がないと体が鈍りそうだった。
「はぁ……まあ、いいけどさ、いつ行く?」
『俺のデータでは、どうやら週末に仙人が目撃されやすいことがわかった』
こういうことはよく行動する奴だ。
木下は鼻でフーと息を吐いた。
「はいはい、週末ですね」
半ばやけっぱちになる。
『いつ休める?』
「有給の申請がなぁ……今週はむりぽ。来週……再来週なら多分」
多田野は「よーし!」と返事をした。ガッツポーズをしている光景が目に浮かぶ。
「でもさ、どこにあるんだ?」
『ん?』
「旅館だよ」
『ふっふー……聞いて驚け! 長野だ! 軽井沢だぜ』
………………。
話にならなかった。
マンガならここで頭の上でもじゃもじゃが出ているところだ。
「今何月だと思ってんだよ。冬だぞ? スリップしたらどうすんだよ」
『大丈夫大丈夫。俺、大学の時スキー部でよく長野までみんなを運んでたりしてたから。慣れてるよ』
「そういえば長野はスキーが有名だからな」
『おう。色んなゲレンデ巡ってパウダースノーを食い尽くしてやったぜ』
木下は「そう」と関心がなさそうに答える。子供の頃両親がスキーをしていて、よく冬にスキー場に連れていかれて滑らされたが、転んでばかりの痛い思い出しかなくスキーは苦手だった。
「わかったわかった。じゃあ来週の週末行ってやるから」
多田野はまだ何か言いかけていたが、正直絡んでいるのに疲れたので無意識の内に通話を終了していた。
木下はその後、アパートの布団に寝転んだ。
あいつのオカルト話は面倒だ。
首に違和感を感じ、顎に手を置きながら首を曲げるとボキッと骨が鳴る音がした。続けて左も曲げ、骨を鳴らす。
両腕を伸ばし大きく伸びをすると、スマートフォンをポイとその辺に置き、布団を被る。
仙人がいる旅館を調べる。
簡単なことだが、木下はまだ知らなかった。
この旅館で悲しい悲しい殺人事件に巻き込まれてしまうことを––––。