#4 取引をしよう
食堂を抜け出してもなおカポネファミリーは追ってきた。
「一体どうしようってんだい?」
「とりあえず武装します!」
廊下を駆け抜け1階のガレージへ。この施設の土地勘は無いが何か戦える武器のようなものがこっちにあるはずだ。武装してしまえば人数差はある程度カバー出来る。
しばらく逃げたのちガレージに駆け込み鍵をかけ電気をつけた。この施設で請け負っている自動車修理工房のようだ。探さなくても武器になりそうな鉄の棒が修理中の車の近くにある。
「よし、ここのものを使えば……」
「待ちな、うちの子が人質に取られてるんだ。これ以上下手な真似したら……」
「あいつらに従えば売られますよ⁉」
「売られ……る?」
昼間のアドラーの話の通りなら間違いない。
「子供を盾に言う事聞かせようって考えでしょう、そういう奴らだ」
自分で口に出して腹が立っている。
「じゃあ見殺しにしろってのかい!?」
ほぼ同時にガレージのドアがかなりの力で叩かれた。あまりお喋りしている暇はなさそうだ。
「だから倒そうとしてんですよ? 見たところ写真を持っていた奴は変わらず俺たちを追い続けた。この所内だけで手に入るようなものじゃないから枚数はそうない……今やれば丸く収まる」
「だからって……勝算はあるのかい?」
正直とっさの判断だ。もちろんだけれども
「今はありません」
「はぁ!?」
「だから取引しましょう、俺らに協力してください。代わりに……この施設の外に行けるようにします!」
逆転の発想だ。カポネファミリーはこの施設の管理者が合法的に外に出せることを利用して人身売買を行っている。そしてアドラーはこの収容所の管理者にカポネファミリーを逮捕させると言っていた……これには少なからず自分たちも管理者に言うことを聞かせる必要があるはずだ。不可能ではない。
我ながら滅茶苦茶なれども理にかなっている交渉だ。ただ、今の張作霖にとっては願ってもない条件だろう。
「本当に……そんなこと出来んのかい?」
「保証します」
ようやくヒントの意味を理解できた。
「……武装は捨てな、正面から挑むなんて馬鹿馬鹿しい」
張作霖、中国の遼東半島の海城県の馬賊の頭目から大元帥までに成り上がった武人。
その生まれ変わりが喧嘩が強いだけ……なんてことはあり得ない。
策略にも長けているのは当然だ。この場合、パブロより勝る。
ガレージの扉が開いた。するとパブロが単身カポネファミリーの男たちの間を突き抜けるように駆け出す。
驚いた男たちはパブロを凝視する。
「残念だったな! あの女はお前らに従う気はねぇってよ! 仕方ねぇよなその顔じゃ」
容姿を馬鹿にして喧嘩を吹っ掛ける。これに反応してくるあたり単純で助かる。
「この野郎……許さねぇぞ!」
逃走再開、中庭、廊下、手当たり次第に走り回る。
食後で皆個室にいるのだろうが人通りが少ないのは逃げやすくていい。
しかし追ってくる男たちの進行妨害にもならない……
パブロはとりあえず捕まらないようひたすら走った。
「きっつ……」
闘争開始からおおよそ4分、パブロもそろそろ息苦しくなっていた。
「手間かけさせやがってこの野郎!」
追いつかれるか? 流石に限界だ……
「はい終わり、写真も回収した。お疲れエスコバル」
過呼吸になったパブロの肩をたたいたのは張だった。
集団で走るとなると足の速い遅いが出てくる。当然そのうち遅れをとるものが出るはずだ。
過呼吸になり疲れた者を後ろから首に手刀を食らわせればほとんど再起不能になるはず。
遅れをとったものを気遣う集団ではない、一人また一人と数を減らせる。
パブロが走り続けることが出来る限りではあるが。
「もう……これは……二度とやりたくないです……」
「良い根性だったよ、エスコバル」
「ご苦労だったね、パブロ!」
満足げなアドラーがそこにいた。
「昼間ぶりだね張作霖」
登場人物の前世がどんな人物だったのか1話1人ずつ単に後書きで紹介します。
パブロ・エスコバル(1949 - 1993)
コロンビアの中流階級の家庭に生まれ1970年までに「メデジン・カルテル」を築きあげた。
「メデジン・カルテル」はボリビア、ペルーから仕入れたメキシコ、プエルトリコ、ドミニコにコカインを売り込む、1980年代にはアメリカにも輸出していた。その反面パブロ本人は1982年には与党である「コロンビア自由党」に属する上院議員となるなど政治活動も行っていた。
これに頭を痛めたアメリカはコロンビアにパブロ・エスコバルの引き渡し要請を受ける。するとメデジン・カルテルは政治家への賄賂工作やテロを行うようになる。1991年、テロ抗争に疲れたパブロ・エスコバルはコロンビア政府との合意の刑務所に懲役5年で収監された。しかし刑務所での暮らしぶりはサッカー場やディスコまであったという。しかしその暮らしぶりが露見すると世論が反発、コロンビア政府はこれに応え別の刑務所に移送を決めるもエスコバルは私物化していた刑務所の正門からどうどうと外に出て姿を消したという。その1年後、コロンビア特殊部隊チームにより息子とともに殺害された。