はじまり
登場人物
大仁田銀矢〈15歳〉
大仁田我聞
銀矢の父親〈56歳〉
大仁田結月
銀矢の母親〈50歳〉
金守満夏
銀矢の祖母〈89歳〉
金守飾志
銀矢の叔父〈44歳〉
金守吉八
銀矢の祖父〈49歳〉
金守辰流
結月と飾志の兄〈15歳〉
栗林大斗
辰流の同級生〈15歳〉
加納拳伍
銀矢の親友〈15歳〉
森永恵
銀矢の幼馴染で同級生〈15歳〉○大仁田邸(夜)
妻の大仁田結月〈50〉と、夫の大仁 田我聞〈56〉が、3LDKの自宅の マンションの、キッチンルームで話し 込んでいる。
陽はすっかり暮れていて、天井の照明 が、リビングルームの、ソファーも照 らす。
結月は、沸騰させたヤカンから、熱い お湯をカップに注いでいる。
結月は、優しい表情をして、長い髪を 頭の上で束ねた、身長が低い細身の、 シワが目立ち始めた、働いている主婦 です。
我聞は、妻の結月の話を聞きながら、 ソファーの上で、今朝の新聞を開いて 読んでいる。
我聞は、短い髪を立たせていて、少し 小太りな、威厳を感じさせる大黒柱で す。
結月「あなた、長崎のカアさんが倒れたから、 地元の病院に入院したじゃない? 今月、 その病院から退院することが決まったの。 だからもうカアさんが、家でひとりで生活 するのは難しいから、私、介護したいから、 この東京の家に連れてきても良いかし ら?」
ソファーにどっしりと埋まる我聞は、 一瞬、新聞をめくるのが止まり、少し 考えてから応えます。
我聞「俺たち日中、働いているんだぞ。誰が 面倒を見るんだ?」
結月は眉間にシワを寄せて、即答しま す。
結月「銀矢よ。あの子は高校生なのに、いま 学校に行ってないじゃない。私がパートの 時間を切り上げて帰ってくるから、それま での間、銀矢に見てもらうの」
○大仁田邸・銀矢の部屋(夜)
銀矢〈16〉は、今時の若者の髪型を していて、身長が170センチメート ル程度の、現状に不満を抱えている表 情をした男の子です。
明かりを点けた自分の部屋の中で、ベ ットに、横にのけぞったまま、携帯電 話をイジって寝ている。
○大仁田邸・リビング(夜)
大仁田夫婦が居るリビングで、新聞を 読みながら、難しい顔をしている我聞 が、洗った食器を丁寧に拭いている、 結月の案に反論する。
我聞「あの子はいま、難しい時期だろ。6月 から高校に馴染めずに、ずっと休んでいる んだ。幼い頃にお義母さんに可愛がられた からって、思春期の子が日中、外に出ずに、 面倒なんてみれるかな?」
洗い終わった手を、タオルで拭きなが ら、結月は応える。
結月「私からちゃんと、銀矢には言っておく から! それに母さんも、今でも、ある程 度は自分で出来る状態なのよ。だから良い でしょ?」
我聞は新聞を読むのを止めて、ソファ ーから、顔だけ後ろの台所の結月を覗 き込んで、愚痴を言う。
我聞「俺は良いんだよ。でもこんな狭いマン ションに連れてきたって、部屋だってどう するんだよ? 東京は、長崎の田舎とは違 うんだ。それに第一、お義母さん自身も、 都会に来るのを受け入れるかな? 銀矢 だって承諾すると思う? それにペロち ゃんだっけ? 飼っている犬もいるんだ よな?」
洗い物を終えて、ココアを入れたカッ プを持って移動してきた、結月は少し キレかかって言う。
結月「じゃあ、カアさんはどうすんのよ! 退院したけれど、病気で倒れたから、誰か に面倒見てもらわなくてはいけないのに、 田舎で、一人暮らしなんて、続けられるわ けないじゃない!? 弟の飾志だって、名 古屋で生活しているの。母さんの部屋は仏 間で良いでしょ。ペロは、母さんが入院し てから、お近所さんの、赤川さんのとこに、 預けているわ。来週に母さんを連れてくる から、家族みんなで迎え入れるのよ。わか った?」
この強気の発言に、我聞は渋々の表情 で、再び新聞を読み始めてから、口を こぼす。
我聞「いや、俺は良いんだよ、俺はね……」
○東京の電車の駅
人々の通勤手段である、電車に乗り込 むために、駅構内は、人間で溢れてい る。
駅長「3番レーン、長崎駅行き! 3番レー ンは、長崎駅行き! まもなく列車がまい ります!」
高速で、電車が行き交う。
3番レーンに、新幹線が停車する。
人がごった返している駅内から、結月 がほかの乗員とともに、新幹線に乗り 込む。
結月が乗った新幹線が、発車する。
新幹線が、高速でレールの上を走る。
○東京の高速道路の高架線下(夕)
銀矢の、ワル仲間が集まっている。
まだ光が残る夕暮れの空間に、ひとき わ明るい街灯の下に群がった虫みた いだ。
不良グループは、みんなヤンキー座り をしている。
銀矢の親友の、ピアスを開けて、不良 ファッションをした、身長が160セ ンチメートル程度の、加納拳伍〈16〉 が、みんなに声をかける。
拳伍「なぁ、今週の土曜日に、俺たち、集ま って、バイクでつるまない?」
この提案を、不良グループは同意する。
しかし銀矢だけは、下を向いて不満そ う。
その表情に、拳伍は気づく。
拳伍「あっそうか、銀矢っちは、バイクを持 っていないからな、それじゃ俺のバイクの 後ろに乗っけてやるよ!」
銀矢はその発言に、曇っていた表情が 晴れて、顔を上げて乗り気になる。
銀矢「今度の土曜日ね。わかった。覚えとく。 でもカノケンの運転、荒いからな。事故る なよ?」
拳伍は、得意げな表情になる。
拳伍「あったりめぇだろ! 俺が事故したの って、過去一回しかねぇだろ!?」
そんなたまり場に、銀矢の幼馴染の、 女子高生で同級生の、清楚で、生活感 がある、森永恵〈16〉が通りかかる。
森永恵は足を止め、不良グループの中 に、銀矢の姿を見つける。
森永「あっ、銀ちゃん、久しぶり……。(一 拍空いてから)今日も学校に来なかったね。 最近、全然見かけないから、どうしている のかと、心配に思ってたよ?」
銀矢は、森永恵の姿を見ると、目を背 ける。
しかし不良グループは、可愛らしい顔 をした女の子を見つけて、発情する。
不良グループは、森永恵を囲む。
不良A「なんだ銀矢っちに、こんな可愛い彼 女が居たんだ。なんだ銀ちゃんも、隅に置 けないな~」
不良B「僕たち、銀矢っちのお友達です! だからあなたも、僕たちのお友達になりま せんか?」
不良C「ナンパしても良いですか? みんな で、この娘も、俺たちの仲間に入れましょ うよ!」
不良グループは、たまり場で、森永恵 を囲みながら、ワイワイと騒いでいる。
この不良グループの騒ぎに、怯える森 永恵。
その表情を見た銀矢は、たまらず止め に入る。
銀矢「やめろよ! みんな…、こいつは関係 ないんだよ」
この銀矢の発言に、不良の先輩がキレ る。
先輩不良「なんだよ銀矢、お前いつからそん なに偉くなったんだよ? 俺たちが仲良 くしようと言ってんだ、ありがたいことだ ろ。お前だけ、このグループから外したっ て良いんだぞ!」
先輩に対して無言で、銀矢は男らしく、 安全なところに、森永恵を連れて行く。
銀矢「恵、こっち!」
森永恵は、言われるがままついていく。
森永「銀ちゃ…ん、」
その行為に対して、不良グループは暴 言をかける。
先輩不良「ちぇ、あいつ獲物を逃がしやがっ たぜ」
その様子を、心配そうに見つめる拳伍。
拳伍「おいっ、銀矢っち、土曜の約束は忘れ んなよ!?」
○近所の公園(夜)
二人は、とりあえず公園に避難した。
その公園は、トイレもない、小規模の 公園で、広場を照らす街灯に、夏の虫 が寄り合っている。
森永恵は、高架線下から走って逃げた ので、息が切れている。
銀矢は、森永恵をベンチに座らせて、 追手が来ないかと、周りを見張る。
森永「はぁ、はぁ、危なかったー、助けてく れて、ありがと銀ちゃん」
銀矢は浮かない表情で、忠告する。
銀矢「俺がいたから助かったものの、こんな 暗い時間に、あんな危ないところをうろつ くなよ、それじゃ、ここからは一人でも帰 れるだろ?」
森永恵は、銀矢のことを心配する。
森永「銀ちゃんは、今、あんなグループに入 っちゃってるの? 危ないよ! 私は嫌 だな、あんな格好をして、群れている銀ち ゃんを想像するのは」
この告白に対して、銀矢は言葉もなく、銀矢「……」
森永恵は、スリルを楽しむ表情に変わ って、お礼を言う。
森永「銀ちゃん、ありがとう。家はここから 近いから、一人でも帰れるよ。それじゃ、 バイバイ。今でも銀ちゃんは、優しいまま だね❤」
銀矢は、森永恵の発言に、ハッとする。
森永恵は、それを言うと、公園から走 り去る。
銀矢は、公園の街灯の明かりの中で、 森永恵の姿だけを、目で追う。
○大仁田邸(夕)
銀矢が、リビングのソファーで、お菓 子を食べながら、寝転んで、テレビを 見ている。
そこに父親の我聞が、汗を垂らしなが ら、自宅に帰ってくる。
部屋の外からは、セミの音が聞こえる。
我聞「あ~ただいま」
我聞は汗をぬぐいながら、リビングを 通り、スーツを脱いで、ワイシャツ姿 になって、ネクタイを外しながら、銀 矢を見て一言いう。
我聞「お帰りの返事もないままか……、どう せ今日も、銀矢は高校に行ってないんだ ろ? 学生はな、学校に行くのが仕事なん だよ」
それを聞いて、銀矢はいつもの表情。
銀矢「なんだよ、うっせぇな…」
我聞は、台所の冷蔵庫からジュースを 取り出して、缶を開けて一気飲みする。
我聞「まぁたまには真剣に、俺の話も聞けよ。 実は銀矢に、大事な話があるんだ。長崎の おばあちゃんが、病院に、入院した話はし ただろ? そのおばあちゃんが、うちに住 むことになったんだ」
この言葉にも、銀矢はテレビを見たま ま、動かずに聞く。
銀矢「なっんで、おばあちゃんが来るんだよ。 長崎の老人ホームとかに、入れたら良いだ ろ!」
我聞は、諭すように伝える。
我聞「もうおばあちゃんも、90歳だ。危な くて、一人では暮らしていけない歳なんだ よ。それに付き合いもない老人ホームに入 ったって、満足して暮らせないんだろ? おばあちゃんは、老人ホームに入るのを嫌 がって、ここに来るんだよ」
銀矢は突っぱねる。
銀矢「なんだよ、メンドくせぇな。そんな状 態のおばあちゃんが来て、誰が面倒を見る んだよ?」
我聞は厳しい表情に変わって通告す る。
我聞「お前だよ。だって君は、学校に行って いないから、介護する時間は、たっぷりと あるだろ? おかあさんの仕事が休みの、 日曜日以外は、お前に見てもらうからな。 でも平日は、おかあさんのパートの帰宅時 間を早めてもらうから、それまでだけで良 い」
これに銀矢は、ソファーから飛び跳ね て驚く。
銀矢「え、ちょ、っと、待てよ。勝手に決め んなよ!? 俺だって用事だってあるん だよ!」
我聞は、冷酷に伝える。
我聞「昨日からおかあさんがいないだろ。も う連れに行ってるんだ。金曜日の今日、長 崎から、東京に着く予定だ。だからお前も、 おばあちゃんには、優しくしろよ」
そう言うと我聞は、さっさと自分の部 屋に戻る。
銀矢「チョッと待てよ!? 話はまだ終わっ てないだろ!」
銀矢はリビングで、ふてくされた表情。
銀矢「なっ、んだよ、人の事情も考えないで、 ふざけんっなよ!」
そんな状況の大仁田邸に、銀矢の母親 の結月と、祖母の杖をついた金守満夏 〈89〉が、我が家に帰ってくる。
玄関のドアが、ゆっくりと開かれた。
結月「あ~、やっと着いた~。おばあちゃん、 ここが我が家よ。今日からここが、おばあ ちゃんの、えんち(我が家)よ!」
満夏ばあちゃんは、ゆっくりと玄関の 敷居を跨ぐ。
満夏ばあちゃんは、初らしく、伏し目 がちの表情。
結月「おばあちゃん、ただいまは?」
それを聞いた満夏ばあちゃんは、ふさ ぎ込んだように吐く。
満夏「ただい…、ふんっ」
満夏ばあちゃんは、杖を玄関口に無造 作に置いて、さっさと大仁田邸にあが り込む。
満夏ばあちゃんは、銀矢が居るリビン グに入り、そのまま立っている。
それと同時に、我聞もリビングに入っ てくる。
我聞「今日から満夏ばあちゃんが、家族にな りました。家族4人が揃ったところだし、 これから夕飯にしましょう!」
○大仁田邸・台所のテーブル(夜)
家族4人が、テーブルを囲む。
そこに、玄関から、寿司の出前を持っ てきた配達人の声が聞こえる。
配達人「出前を持ってまいりましたー!」
マンションの照明下の、玄関前には、 配達人が汗をかいて、大事そうに、丸 型の木箱を抱えている。
結月が玄関に向かい、料金を払って、 寿司が入っている大きなお盆を、テー ブルの上に持ってくる。
その寿司を、なに食わぬ顔で見つめる 満夏ばあちゃん。
その満夏ばあちゃんに、声をかける結 月。
結月「おばあちゃん、この寅子寿司さんのお 寿司は、ほかのお店の寿司とは違って、絶 品なんだから、一度食べたら、病みつきに なるわよ」
我聞も同意する。
我聞「まぁ、とりあえず食べてみてください。 何貫でもいけますから」
銀矢は、我先にと、自分が好きなネタ の穴子を、お盆の中から取る。
我聞や、結月も、お盆からネタを取り 出して、一気に食す。
最後に満夏ばあちゃんも、お盆の中か ら、鮪を取り出す。
満夏ばあちゃんは、一旦、醤油を入れ た小皿において、躊躇して食べてみる。
満夏ばあちゃんは、一瞬その味に驚く、 しかしいつもの無愛想な表情に戻っ て、突っぱねる。
満夏「味は良かばってん、脂が濃か」
その場にいる人は、一瞬、箸が止まり、 満夏ばあちゃんのことを凝視する。
T「土曜日の朝」
我聞は、職場に行くための身支度をし ている。
結月はもう起きていて、台所で朝食を 作っている。
そこに今起きたばっかりの、銀矢が目 をこすりながら、台所に入ってくる。
結月は、台所で支度をしながら、銀矢 に頼む。
結月「あんた今日は、おばあちゃんのことを よろしくね」
銀矢は、不機嫌そうに応える。
銀矢「あーぁ、わかったよ。母さんが帰って くるまでな」
それを聞くと結月は、安心した笑顔に なって、仏間に寝ている満夏ばあちゃ んを起こしに行く。
我聞は朝食を食べている。
結月が、満夏ばあちゃんに寄り添いな がら、台所まで連れてくる。
満夏ばあちゃんはテーブルに座ると、 結月が朝食のお皿を、満夏ばあちゃん の前に置く。
満夏ばあちゃんは、素直に朝食を食べ 始める。
朝食を食べ終わった我聞は、銀矢に対 して忠告する。
我聞「おばあちゃんは倒れたばっかりなんだ。 だから銀矢が、ちゃんとおばあちゃんのこ とを、見ていてくれよな」
銀矢は軽くうなづく。
結月も身支度をして、玄関から出る前 に、もう一度確認する。
結月「銀矢、頼むね」
我聞と、結月は、職場に向かった。
満夏ばあちゃんは、まだ朝食を食べて いる。
○大仁田邸・リビング
銀矢はソファーに寝転びながら、テレ ビを見ている。
満夏ばあちゃんは、リビングで、座布 団にちょこんと正座すわりをして、ボ ーとしている。
銀矢は、満夏ばあちゃんのことは、気 にもとめない。
銀矢は無言で、ただテレビを見ている が、満夏ばあちゃんを、横目で確認す る。
すると満夏ばあちゃんは、窮屈そうに、 座布団に座っている。
それを見た銀矢は、ソファーから起き、 満夏おばあちゃんが座るスペースを 空ける。
銀矢「お、ばちゃん、ここに座る?」
するとテレビの中で、バイクでツーリ ングする映像が流れた。
その映像を見て、銀矢ハッとする。
銀矢「そうだ! 今日土曜日は、バイクに乗 っけてもらって、遊ぶ約束をしていたんだ っけ!?」
銀矢は、飛び起きて焦る。
銀矢は思い出す。
銀矢「おばあちゃんの面倒を見なきゃいけな いから、拳伍に知らせなきゃ!? でもあ いつ、携帯電話を持っていないから、自宅 に電話をかけてみよう」
銀矢は、急いで自分の携帯電話から、 加納拳伍の家に電話をかける。
銀矢「プルプルプルプルッ、……もしもし、加 納拳伍くんの自宅でしょうか? あのー 大仁田です、大仁田銀矢ですが、カノケン、 い、いや、拳伍くんはいらっしゃいます か?」
すると電話口から、拳伍の母親の声が 聞こえる。
加納母「あら、大仁田くん、久しぶり。拳ち ゃんね、今さっき、バイクで遊びに行った わよ」
これに銀矢は、
銀矢「ああ、しまっ、わかりました。ありが とうございます。失礼します」
ますます焦る銀矢。
銀矢「やっべぇ、約束破っちまうわ…」
満夏ばあちゃんは、だまって正座で座 っている。
銀矢は思いつく。
銀矢(M)「おばあちゃんは、ほっておいて も、このまま何もすることないだろう。も う大人なんだし、俺がいなくても、自分の ことは、自分でできるさ」
銀矢は、満夏ばあちゃんに、言い聞か せる。
銀矢「おばあちゃん、俺はこれから、ちょっ と外出するから、このままおとなしく、テ レビでも見てて、お留守番しててね」
満夏ばあちゃんは、座布団に座りなが ら、しっかりと銀矢の目を見ました。
満夏「ぁあ…」
その返事を確認すると、銀矢は急いで 玄関から飛び出します。
○約束の場所
銀矢は、都会の人ごみが激しい道路沿 いを、裂くようにして走る。
多数の車が、道路をひっきりなしに移 動する。
銀矢はワクワクしながら、息を切らし て、約束の場所に辿り着く。
しかしそこには、バイクも人もいませ ん。
銀矢は、ますます焦りだす。
銀矢「やっべぇ、時間をオーバーしてたんだ。 後でどやされるわ!?」
約束の場は、銀矢が一人で困惑する姿 が残る。
○帰り道
銀矢は、人が楽しい表情をしながら行 き交う帰り道を、下を向きながらトボ トボと歩く。
行きとは違って、帰りは、ドンヨリと した足取りで、歩く一歩一歩が重い。
そんな事情もつゆ知らず、行き交う車 は活発に、人々は浮かれて話しながら 歩いている。
○大仁田邸
太陽がサンサンと降り注ぐ外から、自 宅のマンションに帰ってくる銀矢。
銀矢はぐったりとして、玄関のドアを 重苦しく開ける。
セミの鳴き声が、暑苦しさを物語る。
銀矢はうつむき加減で、悲痛な子声を 出す。
銀矢「ただいま~」
家の中からは、返事がない。
リビングに入る銀矢。
しかしそこには、祖母の満夏ばあちゃ んの姿はない。
テレビの電源が切られている。
銀矢「ん、自分の部屋で寝ているのかな?」
銀矢は、仏間を開けてみる。
そこにも、満夏ばあちゃんの姿はない。
銀矢「おばあちゃんは、どこに行った、トイ レかな?」
銀矢は確認のために、トイレに行って みる。
しかしトイレの電気は点いていなか った。
銀矢「いないっ!」
銀矢は自宅のマンションを、隅なく、 全部確認する。
しかしどこにもいない。
銀矢「おばあちゃんが、外に出た!?」
○自宅マンション外
銀矢は急いで、都会の人でごった返し た外を、自転車で探す。
老若男女の中、目に飛び込んでくるの は、高齢者だ。
しかし古めかした格好をしている老 人の近くに行って確認しても、満夏ば あちゃんではない。
銀矢は、自宅近辺を、隈なくさがす。
しかし見つからない。
そこで銀矢は、携帯電話で、母親にメ ールを打つ。
携帯の画面には『おばあちゃん行方不 明』の文字。
銀矢は、そのメールを送信する。
銀矢「俺がおばあちゃんを、見てなきゃいけ なかったのに、俺が」
銀矢は探し疲れて、線路沿いにある、 銀矢の好きな場所でもある、水道局の 麓にある、都会のオアシスの、水緑園 (すいりょくえん)に辿り着く。
銀矢「ぁあ、水でも飲もう」
銀矢は自転車を押し歩いて、水飲み場 に行くと、水緑園のベンチに、満夏ば あちゃんが、杖を地面に置いて、ちょ こんと座っています。
それを確認した銀矢は、安堵した表情 に変わり、事情を尋ねる。
銀矢「お、おばあちゃん、なにしている の!?」
孫の到着に気づく満夏ばあちゃん。
満夏「ぁあ、休んどっとたい」
銀矢は、お婆ちゃんを促す。
銀矢「おばあちゃん、帰るよ!」
しかし満夏ばあちゃんは、厳しい表情 になって断る。
満夏「あぁ、えんち(自宅)さ、帰っとさ!」
銀矢は連れ戻そうとする。
銀矢「おばあちゃん、えんちは東京になった のさ」
満夏ばあちゃんは、頑固に動かない。
満夏「おい(私)は、畑さ、せんばいかんと」
銀矢は説得する。
銀矢「もうおばあちゃんは、歳だから、畑は 誰かにやってもらえば良いじゃない? も う一人では、えんちでは、暮らしていけな いんだよ!?」
しかし満夏ばあちゃんは、急に立ち上 がり、顔を孫に背けて、杖を線路先に 指して、
満夏「この線路ば、スーと行ったら、えんち さ、帰れるとやろ?」
ちょうどそんなところに、職場から駆 けつけた結月が、車でやってくる。
車が水緑園に急停車して、結月が車か ら降り立つ。
結月は、急いで満夏ばあちゃんの下に 駆け寄る。
結月「おばあちゃん、なんばしよっとね!? さ、家に帰るわよ」
結月には、素直に従う満夏ばあちゃん。
結月は、おばあちゃんを車に連れて、 自宅に帰ります。
銀矢は自転車を掴みながら、その車が 自宅に帰っていくのを、静かに見守る。
T「その日の夕方」
○大仁田邸(夕)
おばあちゃんの家出事件で、嵐渦巻く 大仁田家。
銀矢は自宅のリビングで、結月に叱ら れる。
結月「あんた、ちゃんとおばちゃんを見てお きなさいって言ったわよね? なんでお ばあちゃんが家出をしているの? お母 さんは、仕事を抜け出してきたんだから ね! 今度はちゃんと、お留守番するの よ!」
銀矢は、下を向きながら、渋々の表情。
それを立ちながら、心配そうに見る満 夏ばあちゃん。
○大仁田邸・リビング
銀矢は、ソファーに行儀良く座り、テ レビを見ている。
満夏ばあちゃんは、座布団にちょこん と正座すわりをしている。
そのことに銀矢が気づいて、声をかけ る。
銀矢「おばあちゃん、ソファーに座って、テ レビでも見たら?」
満夏ばあちゃんは、不機嫌そうに言う。
満夏「おい、東京に来たけんて、何もしたか ことなかと。おいは、じきに帰るつもりで 来たとさ。老人ホームに入りたなかったけ ん、こっちさ来たったい。東京は、来たな かったと」
おばあちゃんの気持ちに、銀矢は同情 する。
銀矢「でも、もう一人では生きていけないん だって」
銀矢は、ふてくされているおばあちゃ んを、気遣う。
銀矢「おばあちゃん、ゲートボールでも、し に行くね?」
満夏ばあちゃんは、
満夏「ゲートボールはしよったんばってん、 最近はしようごとなかと」
銀矢は、リビングに飾っている野球の グローブを指さして、ボールをグロー ブに入れる振りを見せながら、
銀矢「じゃぁ、野球でも見に行くね?」
しかし、満夏ばあちゃんは、
満夏「野球は、好かんと!」
○大仁田邸・台所のテーブル(夜)
大仁田家の4人の家族が揃って、テー ブルを囲んでいる。
みんなが夕飯を食べている。
結月「おばあちゃん、今日は、私の料理を食 べてね」
満夏ばあちゃんは、無言で、ゆっくり と箸を動かしている。
満夏「……」
そこで我聞が、金守家の話を聞き出す。
我聞「そうだ、母さんの弟の、飾志はどうし ているんだ? ちゃんと働いてんのか?」
結月は応える。
結月「働いてるわよ。大人なんだし。昨日も 電話したわよ」
我聞は思い出す。
我聞「そういや、金守家は、3人兄弟だった よな」
その発言に、満夏ばあちゃんは、気に する。
結月「そうよ、本当は3人兄弟だったの」
結月は、しみじみと思い出す。
銀矢は、だまって夕食を摂る。
満夏ばあちゃんも、黙々と夕飯を食べ る。
T「いつもの日曜日」
○大仁田邸(夕)
炎天下の下、ラフな格好をした銀矢が、 自宅のマンションのドアを、勢いよく 開ける。
外に出かけていた銀矢が、クーラーが 効いている天国の我が家に帰ってく る。
銀矢「ただいまー、今日はお母さんが仕事が 休みだから、おばあちゃんの面倒を見なく ても良いからな」
台所に居る結月が応答する。
結月「おかえり~、銀矢、どこまで行ってた の?」
銀矢は、靴を脱ぎながら、母親の質問 に答える。
銀矢「コンビニだよ」
銀矢は自室に入る。
そこに、父親の我聞が帰ってくる。
我聞「ただいま。ぁあ、今日も疲れたぞ」
我聞は靴を脱いで、スーツを脱ぎなが ら、手で顔を扇ぐ。
我聞は、台所に居る結月の下に向かい、 聞く。
我聞「おかあさん、銀矢は?」
結月は、当たり前に応える。
結月「あの子は部屋にいるわよ。でも学生は 夏休みに入ったから、銀矢が外出してもお かしくないわね」
続け様に、質問する。
我聞「じゃ、おばあちゃんは?」
結月は、夕飯の下ごしらえをしながら 言う。
結月「おばあちゃんは、リビングで、テレビ でも見ているんじゃないの?」
しかし我聞は、
我聞「えーっ、居ないよ!?」
これに結月は、
結月「やだっ、また家出!?」
結月と、我聞は、必死で大仁田家を探 し回る。
しかしどこにも居ない。
そこで自室にいる銀矢にも、探しても らうように頼む。
結月「銀矢、またおばあちゃんが居なくなっ ちゃたの。私たちも外で探すから、あなた も一緒に、探して頂戴?」
これに銀矢は、
銀矢「なんだよ、またかよ。メンドくせぇな。 うぅん、わかったよ、探してやるよ」
銀矢と、結月と、我聞は、着の身着の まま、外に飛び出す。
3人は、必死で、近所を探す。
○高速道路の高架線下(夕)
太陽が沈み始めることを合図に、人々 が自宅に帰ろうと、移動する光景が広 がる。
そこを満夏ばあちゃんが、腰を曲げな がら、杖を立てて歩いている。
そこは、人影が少ない、夜の道だ。
街灯がないうす暗い歩道を、僅かな自 然の光りを頼りに、満夏ばあちゃんが 通る。
満夏ばあちゃんは、停めているバイク に接触する。
そのバイクが、転倒する。
バイクが、破損する。
それを、加納拳伍が目撃していた。
拳伍「あぁっ!?」
○マンションの近所(夕)
結月と、我聞と、銀矢は、丁寧に近所 を捜索している。
休憩しそうな場所や、目的場所にしそ うなところを隈なく捜索する。
結月「おばあちゃ~ん!」
我聞「おばあちゃーん!」
銀矢も、夜の街道を、小走りで、満夏 ばあちゃんを探す。
銀矢「おばあちゃんー! 戻っておいで ~!」
銀矢は探し疲れて、歩きながら、高架 線下に辿り着く。
すると、街灯の下で、銀矢が所属して いる不良グループに、満夏ばあちゃん が、絡まれている。
満夏ばあちゃんは、不良に、胸ぐらを 掴まれている。
不良A「ババァ、弁償せい!」
怯える満夏ばあちゃん。
満夏「すいません」
しかし暴言はやまない。
不良B「おい! 自分がやったこと、わかっ てんのか?」
不良は、金品を探る。
不良C「バアさん、バックを持ってないよう だから、家に帰って財布、用意してくる か?」
先輩不良も、怒り狂って言う。
先輩不良「ババァ、目撃者がいるんだよ、な ぁ、拳伍? この婆さんが、倒したんだよ な? ほら、貴様が壊したバイクを弁償し ないなら、警察に行くぞ」
不良グループは、満夏ばあちゃんを、 睨み潰している。
満夏ばちゃんは、動揺しながら、
満夏「はい、すいませんでした、許したって ください……」
そこに駆けつけた銀矢が、安堵と、哀 れの感情を抱き、事の成り行きを聞く。
銀矢「おばあちゃん! 何があったんです か!?」
親友の拳伍が、事情を話す。
拳伍「なんだ銀矢っち、集会に参加しに来た のか? ああ、この婆さんだろ? この老 ぼれが、先輩のバイクを倒して、壊しちゃ ったんだよね。だから揉めてんの。制裁も のだよこれは」
孫の姿を見た満夏ばあちゃんは、一旦、 胸をなでおろし、張り裂けんばかりの 顔で、救世主の銀矢に助けを求める。
満夏「あんち~(兄ちゃん)、助けてくれや、 おいは、怖かとさ~」
事情を知った銀矢は、先輩不良に素直 に謝る。
銀矢「先輩、許したってください。ちゃんと 修理代は払います。だからここは、許した ってください!」
親友の拳伍が、聞く。
拳伍「なんだ銀矢っち、この婆ちゃんのこと、 知ってんのか?」
満夏ばあちゃんが、銀矢の顔を向いて、 何度も呼びかける。
満夏「あんち~。あんちー」
その場が静まる。
銀矢が小声でつぶやく。
銀矢「家族…」
拳伍が聴きなおす。
拳伍「あ? 家族? 銀矢っちに、こんな家 族って居ったけ?」
銀矢は、おばあちゃんへの仕打ちを肌 身で感じ、家族としても絆が芽生えて、 怒りがこみ上げてくる。
しかし先輩不良の怒りは収まりませ ん。
不良C「修理代を払うとか、そういう問題じ ゃないんだよ! 自分がしたことに対し て、責任を、どう取るかという問題なんだ よ。金の問題じゃないんだよ! 銀矢、こ のバアさんのこと、知ってんのか? お前 は、土曜日に集まる約束を無視して、ドタ キャンしやがったなぁ!? この質問の 答えによっちゃ、銀矢にも責任が伴ってく るだろうな。この婆さんと、お前はどんな 関係だ!?」
この先輩に発言に、銀矢は怯えること なく、堂々と言う。
銀矢「家族だよ!」
その孫の言葉に、満夏ばあちゃんは、 ハッとする。
銀矢は殴られる。
『ビシッ!』
○帰り道(夜)
太陽が、完全に光を絞り終えたあと。
殴られた箇所をかばいながら、満夏ば あちゃんに寄り添って、自宅のマンシ ョンに戻る二人。
銀矢は、殴られた箇所を押さえて、も うひとつの手で、おばあちゃんの手を 取り、支えている。
銀矢「痛ってぇ…」
満夏ばあちゃんは、殴られた銀矢のこ とを心配する。
満夏「あんち、すまんのぉ~」
銀矢は、前だけを向く。
銀矢「良いよ、俺が殴られるだけで済んだし ……それよりおばあちゃん、怪我はなかっ た?」
そこに、結月と、我聞が合流する。
結月「ああ~、おばあちゃん、どこに行って たのよ? 心配していたんだからね~」
我聞は、息子の傷跡に気づく。
我聞「銀矢、何だその傷?」
銀矢は、嘘をつく。
銀矢「いやぁ~、おばあちゃんを必死で探し てたら、こけちゃって……」
息子のその発言に、父親は感心する。
我聞「お前、そこまでしておばあちゃんのこ とを…、お前、良い方に変わったな」
銀矢は恥ずかしそうに、
銀矢「へへっ」
そのライトが照らす歩む道は、家族4 人が、同盟体として、一つに結束する 明るい未来が描かれている。
その家族で満ち溢れている道には、満 夏ばあちゃんの杖の音が響いている。
○大仁田邸・電話口
玄関近くに置いている固定電話は、メ モ帳や、伝票で埋まっている。
結月が、弟の飾志と、電話で話し込ん でいる。
結月「あら、そう、あんた仕事辞めて、カア さんちに、帰るのね!? 私たちも、カア さんには、結構手を焼いていたのよ。結局、 田舎暮らしのカアさんには、東京暮らしは 酷だったのよ。本人に聞いても、やっぱり 都会に馴染めなかったらしいの。飾志が長 崎に戻ってくれば、あなたが、おばあちゃ んの面倒を見るのね? うん、わかった、 また連絡するから、それじゃぁね」
電話を切ると結月は、我聞の下に駆け 寄って、報告する。
結月「あなた~、名古屋の飾志が、長崎に帰 ってくから、おばあちゃんの面倒も見てく れるって!」
この報告に、一家は一憂する。
我聞「そうか! それじゃ、おばあちゃんに も、説明しなくちゃな」
そのことは、銀矢の耳にも入る。
我聞「銀矢、おばあちゃんはな、長崎に帰る ことになった。やっぱ、田舎の人間は、都 会のゴミゴミした空間よりも、空気がきれ いな、緑がある景色の方が良いからな」
怪我の痕がなくなった銀矢は、複雑な 様子。
銀矢「あ、そう、良かったじゃん、うん」
一人になった銀矢は、一言こぼす。
銀矢「せっかく、家族として一つになってた のに。おばあちゃん孝行が、できると思っ たのにな。」
○大仁田邸
銀矢がリビングで、探し物をしている。
リビングには、まだ祖母の満夏ばあち ゃんが居て、おとなしく座布団にちょ こんと座っている。
銀矢は、台所に居る母親の結月に聞く。
銀矢「ねぇ母さん、ここに飾ってあったグロ ーブを知らない?」
結月は、洗い物を拭きながら答える。
結月「あ~、そこのボロボロのグローブなら、 虫が湧いていたから、処分したわよ」
これに銀矢はキレる。
銀矢「ちょ、っと、処分って、そんな俺に勝 手に捨てるの!?」
この反応に、結月は戸惑う。
結月「そんな、大事なものだったの!? ま ぁ良いじゃない、お母さんが、また新しい 物を買ってあげるから?」
銀矢は断る。
銀矢「要らねぇよ! 俺はあのグローブが大 事だったのに! せっかく必要にしてい たものだったのに、ふざけんなよ!」
銀矢はふてくされて、勢いよくドアを 閉めて、自室に帰る。
この反抗に、結月は唖然とする。
このグローブ事件で、満夏ばあちゃん は、回想で、過去の手作りのグローブ を思い出す。
(回想)○グラウンド
細身の体をした金守辰流〈15〉が、 いじめっ子の、恰幅が良い、栗林大斗 〈15〉に、悪口を言われている。
辰流はただ、手作りのグローブをはめ て、下を向いている。
大斗「そんな手作りのグローブで、野球ばや ろうとしとる! はっはっはっはっ! 貧乏人! 貧乏人! 貧乏人!」
辰流は、怒りを必死に抑えて、ただ下 を向きながら、プルプルと震えている。
○金守邸
ボロボロの、古びた木造の自宅に帰っ てきた辰流。
手には、外した手作りのグローブが。
家には妹の、金守結月〈10〉と、弟 の金守飾志〈4〉が、もくもくと食事 をしている。
病状のやせ細った、父親の吉八〈49〉 は、布団で寝込んでいる。
辰流は、家に居た母親の金守満夏〈4 9〉に、今日の悪口を愚痴った。
辰流「カアちゃん、おい、こがんカアちゃん の、手作りのグローブじゃ嫌かとさ! こ がんグローブ、おいだけとさ。そいぎん友 達に虐められたとよ」
これに堂々と、満夏は応える。
満夏「うちは、お金無かと! 父ちゃんかて、 病気で寝込んどっとやし、そんグローブで、 我慢せんね」
辰流は反発する。
辰流「おい、野球ばやりたかと! バットは 無くてもよかばってん、グローブは一人一 つは必要かと。でもこがんグローブじゃ出 来んとさ! そいけん、新品のもんば買っ てくれんね? そがんせんば、また友達に 虐められるとよ」
その駄々っ子に見えた満夏は、半ギレ する。
満夏「わいは、男やろが! そがんこと、気 にすんな! 無かより、あったほうがよか。 そがん、そんグローブ要らんとやったら、 捨てたらよか! 長男やろが、虐められと っとやったら、やり返してこんね!」
辰流は肩を落として、下を向く。
それを、結月と、飾志が、心配そうに 見つめる。
辰流の手には、満夏の手作りのグロー ブが。
○濁流が流れる川の橋の上
辰流が、橋の欄干の上に立っている。
辰流の下には、二足の新しい靴と、手 作りグローブが。
辰流が寂しくつぶやく。
辰流「カアちゃん、ごめん」
そう言うと辰流は、身をゆだねて、川 に飛び込む。
激流は、人っ子一人くらい、軽く飲み 込む。
その様子を、夜景を眺めていた近所の おじさんが目撃して、驚く。
○大仁田邸
満夏「っひぃぇぇ!?」
モヤがかかっていた過去の出来事か ら、現実に戻った満夏ばあちゃんは、 ハッとして、決意した表情に変わる。 満夏ばあちゃんは、銀矢が言った「家 族だよ」というフレーズが、耳に響く。
満夏ばあちゃんは、銀矢の部屋の前に 行く。
満夏ばあちゃんは、銀矢に声をかける。
満夏「あんち、グローブば欲しかったとね? そがん大事かグローブやったとね? お いが買うたるけん、部屋から出てこん ね?」
銀矢は、電気も点けない真っ暗な部屋 で、ベッドの上で、寝転びながら枕に 顔をうずめて、無言でいる。
○大仁田邸(夕)
台所のテーブルに、帰ってきたシャツ 姿の我聞と、結月と、満夏ばあちゃん が座っている。
みんな気難しい様子が、顔に滲む。
そこに銀矢の姿はない。
我聞は、銀矢の部屋に声をかける。
我聞「お~い、銀矢、夕食だぞ!」
結月はもう、夕飯を食べ始めている。
結月「もう良いわよ、だってまだあの子、子 供なんだから」
我聞は、結月に対して事情を聞く。
我聞「銀矢に一体、何か気に障るようなこと でもあったのか?」
結月は、深刻な表情をしながら応える。
結月「私がね、虫が寄っていたグローブを、 捨てちゃったのよ。それであの子が、怒っ ちゃってるの」
我聞は聞きなおす。
我聞「グローブぐらいでか?」
その時、銀矢が部屋から出てきた。
そのまま、トイレに行く。
その銀矢に、我聞は促す。
我聞「銀矢、夕飯だぞ!」
しかし銀矢は、
銀矢「いい、母さんが作った料理はいい」
これに、我聞はキレる。
我聞「お前、親に向かってその発言はなん だ!? 母さんがせっかく作ってくれた 料理だぞ!」
しかし銀矢は、
銀矢「うるせぇよ…」
我聞は怒りをこらえる。
そんあ我聞を、結月はなだめる。
我聞「食べたくなかったら、食べなきゃ良い。 それなら一生食うな」
結月は困惑する。
結月「あなた、言い過ぎよ…」
銀矢は、投げやりになる。
銀矢「わかったよ! 俺の大事なグローブを 捨てるくらいなら、食べないほうがマシだ よ! こんな家、出て行ってやるよ!」
銀矢は対抗して、そのままの格好で、 勢いよく玄関から出ていきます。
玄関のドアは、開いたまま。
その場に残された者は、眉を曲げて、 行く末に不安を感じる。
我聞「あの子は、ばあちゃんが来てから、変 わったと思ったのにな……」
満夏ばあちゃんも、心配そうな表情。
○都会の夜の街(夜)
銀矢は、夜の街をふらついている。
夜の明るいネオンが、行き交う人を惹 きつける。
あてもなく、街路を彷徨う。
銀矢は、前かがみになりながら、ポケ ットに手を突っ込んで、放浪者の様。
○マンションの近所(夜)
東京の夜の街は、月の明りよりも、電 球の明かりが強くて、今が昼なのかと 錯覚するくらいに、目に焼き付く。 結月が、深刻な様子で、銀矢を探して いる。
街を闊歩する老若男女の中から、銀矢 を探す。
一人一人チェックしながら、神妙な面 持ちで探し求める。
息子が行きそうな場所は、しらみ潰し に行ってみる。
結月は、ふと足を止める。
結月「あの子のところかも知れない…」
結月は、バックから携帯電話を取り出 して、電話をかける。
応答を待っている間、シワを浮かして 疲弊した表情。
結月「ピピピピピピピッ、……、もしもし、加 納さんのお宅でしょうか? 私、大仁田銀 矢の母です。銀矢がお宅の家に、お邪魔し ていないでしょうか? (……)あ、そう ですか、お邪魔していないですか、わかり ました。ありがとうございます。それで は、」
結月は携帯電話をバックの中に押し 込めて、再び、走り始める。
その頃、我聞は、自宅で銀矢の帰りを 待っている。
我聞「母さんも、過保護なんだよ。このくら いの年代は、家出なんて反抗期ではしょっ ちゅうだよ。それにおばあちゃんまで、探 しに行くとはな」
○水緑園(夜)
銀矢が、電車が高速で行き交う線路の 高架線下の、闇を照らすライトの下に 設置されている金網に、体育座りしな がらもたれかけている。
銀矢は無言で、イラついている。
銀矢「俺には帰る家がない……居場所なんて ない」
満夏「あんち! もうえんちさ、帰ろうで?」
銀矢が振り向くと、そこには杖を突い た満夏ばあちゃんが、この場所にたど り着いています。
満夏ばあちゃんは、全てを悟った表情 で、
満夏「そがん、はぶてんで、みんな心配しと っとぞ。家族みんなで、仲良うしゅうで?」
満夏ばあちゃんの登場に、銀矢は驚く。
銀矢「おばあちゃん、なんでここがわかった の!?」
満夏ばあちゃんは、悲しそうな表情で 訴える。
満夏「グローブが無かよりも、命があったほ うがよか! 死んだらなんもならん」
満夏ばあちゃんの目から、涙がつたう。
おばあちゃんの涙の訴えに、銀矢の心 が揺らぐ。
銀矢「そんな、泣くこと無いじゃん」
満夏ばあちゃんは、必死で訴える。
満夏「辰流よりも、なごう生きらんばやろが」
銀矢は、知らない名前を出されたが、 寂しさよりも、見つけてもらった嬉し さがの方が優った顔をする。
銀矢は、流していた涙をぬぐい、
銀矢「辰流!? まぁ、わかったよ、帰るよ。 だからこんなことで、泣くなよ」
銀矢は、家出したことが恥ずかしかっ たかのような表情をして、おばあちゃ んを支えながら歩き出す。
東京の夜のネオンが滲む。
銀矢と、満夏ばあちゃんは、二人でト ボトボと、自宅に帰る。
銀矢は、杖を突くおばあちゃんの逆の 手を握って、支えながら、ふたりの寄 り添う後ろ姿が、だんだんと小さくな っていく。
○駅の構内
銀矢と、満夏ばあちゃんが、新幹線を 待っている。
東京の駅の構内は、大移動する人で、 ガヤガヤと賑わしている。
到着する列車と、発車する列車に、人 々が移り変わり、詰め込まれている。
満夏ばあちゃんは、それを呆然と見つ める。
銀矢は、たくさんの荷物を詰めた大き なリュックを、背中にからっている。
満夏ばあちゃんは、小さなバックを、 手で掴んでいる。
大勢の人たちが、電車の到着で、溢れ 出てくる。
二人は、新幹線に搭乗する。
二人は、次々と登場してくる外の風景 をバックに、新幹線の座席に、おとな しく座っている。
我聞(N)「お前はもう15歳だ。大人とし て生活していくためには、ちゃんとした仕 事が必要だ。今すぐに働けとは言っていな い。しかし学校に行かないのなら、働く経 験をしなさい。世間は今は、ちょうど夏休 みだ。だから銀矢が、おばあちゃんを長崎 の実家に連れて行きなさい。そして夏休み 期間中、おばあちゃんの自宅で生活しなさ い。それも人生経験だ。叔父の飾志おじち ゃんも、名古屋から戻って来ている。そこ で、大きくなって帰ってくるんだぞ!」
結月(N)「銀矢の成長を期待します。あな たは、私たち、お父さんと、お母さんが、 大事に育てた結晶です。最高傑作です。だ からちゃんと、人の痛みがわかる子です。 たまにイラッとすることもあるけれど、私 たちの息子だから、責任もって受け入れま す。だから銀矢が、一皮むけて、大人にな ってから帰ってきてね。そうしたら、我が 家も、銀矢も、良い方向を向かっていける でしょう。それでは、銀矢が大好きなハヤ シライスを作って、待っています」
拳伍(N)「銀矢っち、長崎に行くってな。 元気でな。一生の別れではないけれど、ま た東京に戻ってきたら、一緒に遊ぼうな! それまでの間、修行と思って、精進するん だぞ! ちなみに、うちら仲間のグループ のことは、俺にまかしとけ」
○長崎駅
二人は、新幹線から、駅構内に降りる。
他にも同乗していた者たちが、忙しく、 目的地に向かっている。
新幹線が、無情にも、汽笛を鳴らして 発車する。
二人は駅から、移動する。
○バス停
二人は、道路沿いを向いて、炎天下の 太陽の下、目的のバスの到着を待つ。
夏の日差しは、二人から水分と、元気 を奪う。
途中の道に立つ自動販売機で、自分の 分と、おばあちゃんの分のジュースを 買って、缶ジュースを飲みながら、休 憩して、歩き進める。
二人は、満夏ばあちゃんの実家行きの、 バスに乗り込む。
満夏ばあちゃんは、ただ銀矢のあとを 付いていく。
ちょこんとバスの座席に座って、揺ら れながら到着を待っている。
○田舎のバス停
バスが帰っていく。
二人は、実家近くのバス停に残された。
田舎の風景は、ビルがなく、緑と、畑 が広がっている。
銀矢は、手書きの地図を広げて、どち らに向かおうかと悩む。
方角を決めた銀矢は、おばあちゃんを 連れて、悩みながら歩き始める。
田舎の道(夕)
銀矢は、悪戦苦闘しながら、山奥の満 夏ばあちゃんの家の近くまでたどり 着く。
その間、満夏ばあちゃんは、銀矢に付 いて行くだけ。
銀矢「おばあちゃん、こっちの道で良いの?」
それに、満夏ばあちゃんはうなづくだ け。
満夏「ぁあ」
銀矢「本当かなぁ?」
そんな状況のふたりの前に、叔父の金 守飾志〈44〉が、歩いてやってきた。
飾志は頭が禿げかかっていて、細身で、 勉強ができそうな、おとなしく優しい 感じがする男性です。
飾志「おぉ、こんなところに居たか、結月姉 さんから、電話があって、探してたんだ。 家はこっちさ。もう近くだよ」
三人は、満夏ばあちゃんの家に辿り着 く。
満夏ばあちゃんの家は、山の中の、切 り開かれた場所に建っていて、一階建 てで、古びた箇所が目立つ木造の建築 物です。
三人は、玄関から家に入り、敷居を渡 る。
飾志「銀矢くん、おかえり。君は子供の頃、 この家に来たことがあるんだよ」
銀矢は、恥ずかしそうに、
銀矢「た、だいま。お世話になります…」
○金守邸(夜)
夜の田舎は、街灯がなく、満夏ばあち ゃんの家は、漆黒の闇に包まれている。
銀矢と、満夏ばあちゃんは、居間に座 り、テーブルを囲んでいる。
すると、満夏ばあちゃんが、孫に紹介 する。
満夏「ここが、えんちたい」
銀矢は、家の内装を見る。
満夏ばあちゃんの家は、古い家を、綺 麗にリフォームした住宅だ。
その居間に、飾志が入ってくる。
飾志「銀矢くん、とりあえず、仏壇に行って、 ご先祖様にお参りしよか?」
銀矢は仏間に移り、仏壇の前に座る。
ロウソクに火を灯し、線香を上げる。
銀矢は、仏壇に飾っている遺影を見る。
そこには、見覚えがある50歳程度の 男性の遺影と、銀矢と同じくらいの年 齢の、若い男性の遺影が飾ってありま す。
それを確認した銀矢は、満夏ばあちゃ んと、飾志がいる居間に戻る。
銀矢はなにげに聞いてみる。
銀矢「仏壇に飾っている遺影を見たんですが、 僕のおじいちゃんですよね? それとも う一人の、若い男の子は誰ですか?」
飾志はハッキリとした顔と、苦虫を噛 み潰した顔に変わって教える。
飾志「ああ、一人は吉八〈享年50〉父ちゃ んさ。銀矢のおじいちゃん。そしてもう一 人は、僕の兄さん。つまり、君のもう一人 の叔父さんだ。でも今の銀矢くんと同じく らいの年に、自殺して死んだんだ…」
銀矢は、聞いてはいけないことを、聞 いてしまったという顔で、複雑な表情 をする。
飾志「でも、銀矢くんは、昔のままだね。目 元あたりが変わってないよ。叔父さんのこ とは覚えているかい?」
銀矢は首をかしげながら、
銀矢「いや、ちょっと、覚えてないですね…」
飾志はお茶を配りながら、
飾志「それもそうだろうね、君が来たのは、 赤ちゃんの頃だったからね。銀矢は初孫だ から、そのときは、カアさんも、可愛がっ ていたんだよ。孫は銀矢だけさ」
満夏ばあちゃんは、ただお茶をすすっ ている。
飾志「そうだ、まだ夕飯を食べていないだ ろ? うまいジャガイモが採れたんだ。も う絶品なんだから、食べたら病みつきにな るよ。そうだ、明日、銀矢くんも、畑に来 たらどうだ? 農業は良いよ。植物を育て るのは、大人の生き甲斐さ。俺も都会のサ ラリーマンに、違和感を感じていたんだ。 そこでカアさんが倒れたことを期に、思い 切って脱サラして、農業を始めるために帰 ってきたんだよ」
銀矢は疑問を聞く。
銀矢「失礼ですが、奥さんはいるんですか?」
飾志は、しみじみと答える。
飾志「いや、いない。この町のアイドルだっ た、同級生の、赤川寿美麗ちゃん、元気かな? でも、もうこ の歳まで一人だと、一人に慣れたもんだか ら、一人の方が気楽で、寂しくならないか らね。叔父さんは今年で44だよ。あと6 歳で、私も、父ちゃんが死んだ同じ年にな るんだな」
ここでいきなり、お茶をすすっていた 満夏ばあちゃんが、口を挟む。
満夏「ペロはどうしとる?」
急に満夏ばあちゃんに目が行き、飾志 は応える。
飾志「そうなんだ、犬のペロは、その寿美麗 ちゃんのとこに、預けてたっけ。明日一緒 に、引取りに行こう。さぁ、ジャガイモ、 焼きあがった。みんなで食べよう」
三人は、居間のライトの下、飾志が作 った夕飯を、一生懸命食べる。
銀矢は、あまりの美味しさに驚き、箸 が進む。
食べ物のありがたみを分かち合いな がら、そのまま時間は過ぎる。
T「翌朝」
○田舎の道路
銀矢と、飾志は、飾志が運転する軽ト ラックに乗っている。
飾志のトラックは、田舎の街道をひた 走る。
しばらくすると、民家の前で、軽トラ ックが停車する。
○赤川邸
飾志が車から降りて、民家の玄関まで 進む。
飾志は、大きな声で、住人を呼ぶ。
飾志「ごめんください! 赤川さん! 金守 です。金守飾志です!」
しばらくすると、赤川寿美麗〈44〉 が応対に出てくる。
飾志は、すかさず用件を伝える。
飾志「預かってもらっていた、ペロを引き取 りに来ました!」
寿美麗の姿が見える。
その姿は、後ろ姿しか写っていないが、 髪型はおばちゃんパーマで、体型もず んぐりむっくりの、女性のシルエット が確認できます。
寿美麗は、すっかりおばさんの顔と、 体型になっています。
その様子に、飾志の顔はひきつる。
赤川さんちの、一匹のオス犬が、悲痛 な鳴き声で、吠える音が聞こえる。
飾志は、赤川邸から、一匹のペロを抱 えて、銀矢が待つ、軽トラックに戻っ てくる。
ペロは不安げな顔をして、怯えたよう に、少し震えている。
飾志が、軽トラックに乗り込んでくる。
銀矢「寿美麗さん、どうでしたか?」
それに飾志は、美しい思い出が、打ち 砕かれたように告白する。
飾志「時代という流れは、激流だった。昔の イメージとは、全然変わっていた。もう、 おばちゃんだよ。知らないほうが幸せなこ ともあるんだな」
車には、オス犬の悲痛な鳴き声が響く。
○田舎の道路
飾志がトラックを運転して、短い帰り 道を、揺られながら進んでいる。
銀矢は、ラブラドールレトリーバーの、 メスのペロを見る。
銀矢「この犬、結構太ってますね?」
飾志も運転しながら、ペロを確認する。
飾志「しばらく見ないうちに、寿美麗ちゃん ちで、贅沢な餌でも与えてもらっていたの だろ?」
飾志の軽トラックが、金守邸に戻って くる。
○金守邸
古びた金守家の前で、哀愁漂うような 景色が待っている。
満夏ばあちゃんが、出迎えてくれてい る。
飾志が、トラックを停車させる。
軽トラックから、銀矢がペロを連れて、 満夏ばあちゃんの前に進む。
するとペロは、飼い主の満夏ばあちゃ んに気づいて、急に活発になる。
ペロは興奮して、満夏ばあちゃんの周 りを駆け出しながら、吠えています。
満夏ばあちゃんは、はしゃいでいるペ ロをなでると、ペロは嬉しがって、ば あちゃんの手を舐める。
満夏ばあちゃんが、ペロを抱き抱える と、ペロは嬉しさのあまり、ばあちゃ んの口元を、必死で舐める。
飾志も軽トラックから降りてきて、ペ ロも含めた家族4人が勢ぞろいして、 ほのぼのとする。
○金守邸の外
緑を切り裂いた道の上で、飾志が、軽 トラックに乗り込んでいる。
飾志は、そばにいる銀矢に伝える。
飾志「私は畑に行ってくるから。銀矢は家で ゆっくりしていてくれ。それじゃ」
軽トラックは、勢いよく発進する。
○金守邸
銀矢は、家に帰ってくる。
銀矢は、金守邸の敷地内にある犬小屋 から、ペロが悲痛な鳴き声を出してい ることに気づく。
そこで銀矢は、何事かと思い、犬小屋 に向かってみる。
そこでは、ペロが舌を出しながら、呼 吸を荒げている。
ペロは犬小屋の中で、大変そうに、苦 しい声を出しながら、ムズムズとして いる。
銀矢「どうしたんだろペロ? 何か違う」
銀矢がペロをさすっていると、おしり の方から、一匹目の赤ちゃんが出てく る。
銀矢「うっわ、赤ちゃん、産んでる!?」
銀矢は急いで、家の中にいる満夏ばあ ちゃんを呼んできます。
銀矢は廊下を、真剣な表情で走る。
銀矢「おばあちゃん! おばあちゃん! ペ ロが出産しとる!?」
銀矢から伝えられた満夏ばあちゃん は、座っていた様子から、ゆっくりと 腰を上げる。
○犬小屋
銀矢と、満夏ばあちゃんは、5匹の子 犬を、白いタオルでくるんでいる。
満夏ばあちゃんは、白いタオルで、ペ ロと子犬たちを拭う。
銀矢「超、可愛い」
満夏ばあちゃんも、
満夏「可愛かやろ、あんちも、こがん時があ ったとたい」
銀矢は、ペロと、子犬たちを、家の中 に入れる。
しばらく銀矢は、子犬たちを観察する だけ。
飾志が家に帰ってくる。
飾志「ただいま」
銀矢は急いで、玄関に居る飾志の前に、 子犬の一匹をタオルで包んで、見せに 持っていく。
銀矢「ほら飾志おじちゃん、ペロから子犬が 産まれたんだよ!」
飾志はその子犬を見て、目を丸くする。
飾志「ほー、妊娠していたんだね!?」
○金守邸・台所(夕)
キッチンライトに照らされて、料理道 具や、食器が、無造作に置いてある。
台所で、飾志と、銀矢が、夕食を作っ ている。
居間では、満夏ばあちゃんと、ペロと、 カゴに入れられた生まれたばかりの 子犬たちが、鳴きながら待っている。
飾志と、銀矢は、作った料理を皿に盛 って、居間に現れる。
飾志「さぁできたよ。肉じゃがだ」
その匂いを嗅いで、出産したてのペロ が、鍋に寄ってくる。
そこで飾志は、先にペロ用の皿に、ド ッグフードを入れて、脇に置く。
飾志はテーブルに、箸立てをおいて、 鍋を置いて、小皿を用意する。
ご飯をついだ茶碗を、一人一人に置い て、席に座る。
三人とも同時に、手を合わせた。
三人と犬「いただきます! ワンッ!」
三人と、ペロは、勢いよく夕飯を食べ る。
銀矢「やっぱ、このジャガイモ、美味しいわ」
飾志は、銀矢の方を向く。
飾志「そうだろ? これはばあちゃんが作っ ていた芋なんだぞ」
満夏ばあちゃんは、もくもくと食事を 食べる。
○金守邸(夜)
月明かりが、金守家をやさしく見守っ ている。
すでに満夏ばあちゃんは、自分の部屋 で寝ている。
ペロも、家の部屋の隅で、子犬たちと 一緒に、ぐっすりと寝ている。
銀矢は、用意された窓沿いの部屋で、 眠りに就こうとしている。
クーラーが設置されてないので、体が 汗ばむから、手で仰いで暑さをしのぐ。
しかし夏の息苦しさで、なかなか寝付 けない。
何度も、何度も、眠る姿勢を変えなが ら、就寝することに苦戦する。
すると頭の方に、蛍が飛んでくる。
その幻想的な光を、銀矢は不思議そう に見つめる。
その蛍が、フラフラと別室に飛んでい く。
銀矢は、そのあとを付いて行く。
すると蛍は、外でタバコを吸っている、 飾志のところに飛んでいった。
銀矢に気づく、飾志。
飾志「なんだい、銀矢くん、蛍かい? 蛍は ね、田舎のきれいな川にしか生息しないん だ。都会では見かけないだろう?」
銀矢は立ち止まって、うなづく。
銀矢「僕も明日、叔父ちゃんに付いていって、 畑に行きたいと思います。そしてついでに、 その蛍がいる川を見たいのですが?」
飾志は、承諾する。
飾志「わかった。明日連れて行こう。いまジ ャガイモを植えているんだ。ジャガイモは ね、梅雨が明ける前に植えとかなきゃいけ ないんだ。でもこの空だったら、雨が降り そうだけどな」
いつの間にか、そこに蛍の姿は消えて いる。
銀矢は部屋に戻って、再び寝込む。
銀矢「明日、蛍を見に行こう」
いつの間にか銀矢は、すやすやと眠り に就いている。
金守家の瓦には、いつの間にか、大粒 の雨が降り落ちる音が聞こえる。
T「翌朝」
激しい雨が、槍のように降り注ぐ。
銀矢と、満夏ばあちゃんは、家の中の 縁で、大粒の雨が降っているのを見て いる。
その銀矢に、飾志は伝える。
飾志「銀矢くん、この調子じゃ、昼まで雨が 降るだろうから、畑にはいけない。そして 私は、用事で、街に行かなくてはいけない から、家で待ってて。私は、昼頃に戻って くる。でも蛍が見える夕方には、雨が止む という天気予報だから、雨が止んでから、 蛍が見れる川に行こうか?」
銀矢は、しばらく子犬たちとじゃれあ い、時間を稼ぐ。
その間、縁で正座で座っている満夏ば あちゃんに、銀矢は提案する。
銀矢「ねぇ、おばあちゃん、この子犬たちの 名前を、僕が付けて良い?」
その提案に、満夏ばあちゃんは、目だ けを銀矢に向けながら、応じたように 答える。
満夏「あぁ、」
この返事に、銀矢は体を浮かして嬉し がる。
銀矢「やった! じゃ、メスが4匹で、オス が1匹だから、ラ行で、メスが、ララと、 リリと、ルルと、レレ。そしてオスのロロ。 これで良い?」
満夏ばあちゃんは、受け入れたように 頷き、再び目を閉じる。
満夏「そいで、よかろうもん」
しだいに、雨粒の音が小さくなり、雨 が止む。
銀矢は、雨が止んだ金守邸の中庭に出 る。
銀矢「やった、雨が止んだぞ。これで蛍が見 れる」
満夏ばあちゃんは、目を閉じて、縁に 正座で座っている。
○帰り道
飾志が、軽トラックで帰ってくる。
雨に濡れた道路を、トラックがスイス イと左右前方に、軽快に進む。
軽トラックに乗っている飾志は、真剣 に運転している。
○金守邸の外
雨上がりの、ジメジメとした、太陽の 光があまり通らない外で、飾志のトラ ックのエンジン音が聞こえ出す。
銀矢はその音を確認して、外に出る。
軽トラックが、車庫に停る。
銀矢は、運転していた飾志に聞く。
銀矢「飾志叔父ちゃん、雨が止んだよ。蛍を 見に行こう!」
飾志は、運転席から応える。
飾志「ああ、そうだね、よし、連れて行こう か」
○トラックの中
道路沿いの緑に、雨粒が残っている。
車は、飾志が運転している。
二人は、ガタゴトと揺られながら、目 的地まで行く決心を決めている。
隣の銀矢は、ワクワクした様子。
すぐに車が停る。
清流の上流の近くで、車が駐車する。
○清流沿い(夕)
二人は、車から降りる。
陽がだんだんと暮れていく。
川の激流の音が、ギシギシと伝わる。
飾志「いつもならこの時期、ここで蛍が見え るよ。私は、この近くの、うちの畑の状態 を確認してくるから、銀矢くんは、家も近 いので、蛍を見飽きたら、自分で帰っても 良いよ」
銀矢は、蛍探しに必死になった様子で、銀矢「わかりました。それじゃ」
銀矢は、雨で川の流れが激しくなった 川沿いを歩き出す。
飾志は、軽トラックをおいて、自分の 畑に行く。
銀矢がしばらく進むと、妖しく輝く蛍 の群れを見つける。
夕暮れの闇の中を、ユラユラと蛍が不 規則に飛び交う。
その光の一つ一つを、惑わされるよう に追う。
銀矢は幻想的な空間を、楽しむように 味わう。
銀矢は、蛍の光に先導されるように、 川沿いをひた進む。
銀矢はしばらく進むと、岩がむき出し になっている上流で、恰幅が良い50 代くらいの男性の釣り人が、岩に座っ て、木の棒から釣り糸を、川に垂らし ています。
その男性が、銀矢を睨み、忠告します。
釣人「あんちゃん、大雨が、降ったばっかり やけん、川の流れが速か。足、取られんん ごとせんばたいね」
その忠告に、銀矢は素直に従う。
銀矢「あ、りがとうございます…」
釣り人は銀矢の目を見て、素性を聞き 出す。
釣人「あんちゃん、この辺の者じゃなかや ろ? どっから来たとね?」
銀矢は、素直に応える。
銀矢「東京ですが…」
それを聞くと、「ほ~」という顔にな って。饒舌に語りだす。
釣人「東京ね? おいの知り合いで、東京さ、 行った者がおるばってん。そん子には、一 人の弟と、一人の兄貴がおってな。そこん 兄貴と、おいは、同級生やったとさ。そん 道から、山登ったとこん、学校あるやろ が? あいが、おいの母校たい。今は、こ がん田舎は、人おらんばってん。昔はこが んとこにも、人いっぱいおったとさ。そい でな、そこん兄貴が、こん川で、流されて 死んだとさ。あんちゃんに、よう似た目ば しとったけんさ…。そいぎん、おいは、あ んちゃんに、言いよっと!」
銀矢は恐怖心が芽生えて、一歩、川の 方から仰け反る。
釣り人の、饒舌な話は続く。
釣人「こん話には、続きがあると。おいは、 実は、そん兄貴に、酷かことば言うてしも たとさ。そいぎん、そん罪滅ぼしに、こん 川ば、清掃しとると。キレイにして、供養 しよっとさ」
そういうと、釣り人の竿がしなって、 釣り針に魚が喰らいつく。
釣人「ぉおっ、なんで引っ掛かったとね!?」
釣り人は、上流の川で、鮎を釣る。
鮎はピチピチと、一生懸命、自分を主 張する。
釣人「鮎ね? 鮎はね、きれか川しか、棲ん どらんと。ばってん、こん鮎、そがん腹空 かせながら、泳いどったんやろね。なして 餌ば付けとらん、針ば喰ったとね? 釣り ば、しよる人おるばってん、魚がかわいそ かたい。生きとっとばい? 人間は、動物 の命ば殺して、そいば食って生きとる。蛍 もそうたい。蛍は食べられんばってん、人 の活動で殺されとるやろが? ばってん、 綺麗か、言うて、求められとる。矛盾しと るばい! あんちゃんも、蛍ば探して来た とやろ? こん時期、こがんとこ来るとは、 蛍目当てしかおらんけん! おいは、格好 だけ、釣りばしよっと。こがん格好だけば い。あいつが死んだ川で魚は釣れん。ばっ てん、今日、話ば聞いてくれたお礼に、こ ん鮎ばやるけん。おいちゃんも、話ば聞い てくれて、嬉しかったい」
銀矢は、ビニール袋に入れられた鮎を 受け取る。
鮎は、袋という小さな世界で、自分は 食べられるまいと、暴れる。
周りが暗くなったので、川から戻ろう と、最後に、銀矢は、釣り人に自己紹 介します。
銀矢「僕の名前は、大仁田銀矢と言います。 すいませんが、お名前、何と言うんです か?」
その釣り人は、急に笑顔になって、快 く教える。
大斗「栗林大斗〈55〉さ! あんちゃんの 名前も、よか名前たい」
T「1時間後」
○清流の川沿い(夜)
僅かな光しかない、軽トラックを停め ている夕闇の場所に、飾志が戻ってく る。
しっかりと、飾志のトラックが待って くれている。
そこに、銀矢の姿はない。
飾志「なんだ、銀矢くんは居ないのか? 自 分で帰ったのかな? よしそれじゃ、私も えんちさ、帰ろう」
飾志は車に乗り込み、エンジンをかけ て、運転する。
そのまま軽トラックは、清流沿いから 去っていった。
○金守邸(夜)
縁に座っている、満夏ばあちゃんの目 が開く。
満夏「なんじゃろ、嫌な予感がするばい?」
金守家に、飾志の軽トラックが帰って くる。
軽トラックの、エンジン音が聞こえる。
満夏ばあちゃんは、その軽トラックに 駆け寄る。
飾志は、軽トラックを車庫に停める。
満夏「飾志、あんちは、どことや?」
これに飾志は、戸惑いながら応える。
飾志「あんちって、銀矢くんのこと? 帰っ てるんじゃないの!?」
満夏ばあちゃんは、少し考えてから答 える。
満夏「帰っとらんばい!?」
これに飾志の顔が凍る。
飾志「あいちゃ、まだ蛍を見てたんか!? ばあちゃん、近所を探そう? 銀矢くんは 一人で帰ってきているかもしれない。もう 夜だし、銀矢くんは、迷子になってるかも しれん!」
飾志と、満夏ばあちゃんは、急いで外 に出る。
飾志は走って、満夏ばあちゃんは杖を 持ってきて、ゆっくりと小走りで探す。
飾志は、名前を呼びながら、来た道を 戻る。
飾志「銀矢く~ん、銀矢くーん!」
○濁流の川沿い(夜)
満夏ばあちゃんは、自分の持てる力を 出して、銀矢を探している。
満夏「あんちー、あんち~」
満夏ばあちゃんは、川沿いの橋に差し 掛かる。
満夏ばあちゃんは、橋の上で休憩する。
その場所を、思い出し、ハッとする。
満夏「ここは、辰流が飛び込んだ川たい!?」
満夏ばあちゃんの記憶が、鮮明な画面 になって蘇る。
(回想)○金守邸
辰流が手作りグローブを握り締めて、 満夏に、催促している。
辰流「カアちゃん、やっぱ、おいは、おいは、 新しかグローブば欲しかとさ。グローブ持 たんとは、おいだけとさ。野球ばしたかと って。そいぎん、買ってくれんね?」
満夏が、辰流を叱る。
満夏「そがんこんグローブば嫌なら、使わん ごとしたらよか! 父ちゃんが、こがん病 気にかかって、動けんとばい? わいは、 長男やろが、しっかりせんね! 父ちゃん が死んだら、わいが、働かんばいけんとぞ。 そがんしたら、もっと新品ば買う金なかと ぞ。辰流には、そん新しか靴ば、買うてや ったばっかしやろが! 赤川さんちの子 は、そがんわがまま言いよらんて、言っと ったばい! 虐められとっとやったら、そ がん子は、えんちさ帰ってこんでよか」
○グラウンド
野球部員が、グラウンドの位置につい ている。
辰流はユニフォームを着て、野球部員 として、自分の出番を待っている。
辰流は守備の位置につくために、手作 りグローブをはめる。
その様子を見て、栗林大斗が、はやし 立てる。
大斗「そがんグローブ、見たことなか。そが んもんで大会でたら、おいたちが、恥ずか しかたい」
この大斗の発言に、辰流は下を向き、 体をプルプルと震わしている。
辰流は、満夏の言葉を想い出す。
満夏(M)「虐められとっとやったら、やり 返してこんね!」
辰流は顔を上げて、決意した表情に変 わる。
大斗「わいは、ばかとや? おかしかやっけ。 そいで、ボール捕れんやろが?」
辰流は我慢できずに、完全にキレる。
辰流「うっさかって! よかやろが!」
辰流は、大斗の胸ぐらをつかんで、殴 りかる。
この出来事に、殺伐とした空気が漂う。
ケンカが始まって、その場は騒然とな る。
これに気づいた監督が、二人を止めに かかる。
二人共、顔に怪我をした様子。
監督により、ケンカが収束する。
しかし辰流だけは、泣きじゃくってい る。
そんな辰流に、大斗は、辰流のグロー ブを踏みにじって、忠告する。
大斗「おいに、こがんことしてよかとや? おいに逆らって、生きていかるっと、思っ とっとうや?」
○金守邸(夕)
辰流は顔に怪我をつけながら、夕陽が 傾く、哀愁が漂う金守家に戻ってくる。
辰流は哀しい顔をしながら、勉強道具 と、手作りグローブを持って家に帰る。
辰流「ただいま…」
家には、寝込んでいる吉八と、妹の結 月と、弟の飾志が、食事を食べている。
辰流の怪我をした顔を見た満夏は、心 配して尋ねる。
満夏「どがんしたとや、そん顔は?」
しかし辰流は、
辰流「どがんもしとらん」
満夏は、踏みにじられたグローブを見 て、気づく。
満夏「あんた! やられたとね?」
その言葉を聞いたとき、辰流は涙を流 しながら、ただ黙ってうなづく。
すると満夏は、
満夏「やり返してこんね。グローブ、やり返 してきんさい。そがんせんと、やられっぱ なしたい!」
それを聞いた辰流は、涙をこらえなが ら、バッと逃げるように、自分の子供 部屋に閉じこもる。
そんな様子の辰流に、満夏は冷たく、 突き放す。
満夏「そがんせん子は、夕飯食べんで、家に 帰ってこんちゃよか!」
辰流は、布団にくるまりながら、ただ 泣いている。
辰流「悔しかー、悔しかとー」
子供部屋で、結月と、飾志が、開き戸 のところで、心配そうに見守る。
T「その日の夜」
○夜道(夜)
近所のおじさんが、大慌てに走ってい る。
○満夏の寝室(夜)
満夏と、吉八が、布団に寝ている。
そこに、扉が開く、『スー』という音 が聞こえる。
満夏は、その音に気づく。
満夏「だいが、来たとや? そいか、辰流が しれーて、飯食っととや?」
満夏は目を擦りながら、玄関に行って みる。
すると、玄関のドアが、少しだけ開い ている。
満夏「なんで、開いとっとや?」
満夏は、ドアを閉める。
満夏は再び、寝室に戻る。
満夏は、熟睡に入る。
声「カアちゃん、ごめん……」
再び、満夏は、目を覚ましかける。
満夏「だいか、呼んだとや…?」
満夏は、布団の中で周りを見渡し、誰 もいないことを確認したら、再び目を 閉じる。
しばらくすると、玄関のドアが、ドン ドンと思いっきり叩かれている音に 気づく。
その音で、満夏は目覚める。
満夏「なんや?」
満夏は応対に出る。
ドアを開いた満夏に、近所の赤川さん ちの、父ちゃんの赤川清春(あかがわ・ きよはる)〈55〉が、一刻も争えな いような、深刻な様子で伝える。
赤川「今、おいは、家ん中から、外の川さ、 見とったとさ。そいぎんた、こん家から出 てきた子が、明るかところば通って行って、 橋さ着いて、そん橋ば登って、なんか一言 つぶやいてから、靴ば脱ぎ始めて、暗か川 に飛び込んだとさ!」
この声に、満夏は驚きを隠せない。
満夏「ぇえっ、」
満夏は、急いで子ども部屋に行く。
『ガガーッ!』
満夏は、子ども部屋を開けて、確認す る。
満夏「1、2、……」
すると、辰流の姿がない。
満夏は、息が詰まる。
満夏「ひぇぇぁあ! 辰流!」
この悲痛な声に、結月と、飾志が起き る。
結月は目をこすりながら、
結月「カアちゃん、どがんしたとね?」
満夏は着の身着のまま、急いで近所の、 荒れ狂う川に走って行く。
満夏「辰流! 辰流ー!」
川に到着すると、橋の上に、辰流に買 ってあげた、一対の新しい靴と、満夏 が作ってあげた手作りのグローブが、 揃って置いてありました。
雨は降っていないが、その川は水かさ が増していて、飲み込まれたら、川か ら上がることはできないと、奔流が物 語る。
辰流の最期の声が、満夏の届く。
辰流(M)「カアちゃん、ごめん」
これを感じたとたん、満夏は悟ります。
満夏「辰流! なして、こがんことしたとや ー! 自分からで死んで!? 辰流や! おいは! おいはもう…、戻ってこんね! 辰流!」
満夏は、濁流の川に向かって、何度も 何度も叫びます。
満夏は、のめり込んで、川に乗り出し、 辰流に対して訴え続ける。
その場に居る、泣き叫ぶ満夏と、赤川 さんは、虚しく辰流の無事を祈ってい ます。
川は無情にも、その流れる勢いを止め ないまま、全ての感情を押し流す。
T「翌日」
○警察の遺体安置所
遺体安置所に、青ざめた辰流の遺体が 転がっている。
満夏「ひぃぇぇっ!」
その姿を見た満夏と、吉八と、結月と、 飾志は、遺体をさすりながら、ただ泣 いている。
特に満夏は、ふらつきながら絶句し、 辰流を摩って、子供のように泣きじゃ くる。
満夏「辰流や、辰流! おいが悪かったとさ。 許してや~、許してくれんね辰流!」
警察官が、故人の家族に対して報告す る。
警察官「今朝、捜索願が出された川の下流を、 我々が捜索したところ、お子さんの遺体が 見つかりました。このような結果になって しまい、我々としても悔やむばかりです。 ご愁傷様でした」
その場は、金守家族が、すすり泣く声 が響く。
満夏は、ひたすら辰流を摩って、呼び 戻そうと、必死で辰流の名前を呼ぶ。
家族は、最期の姿を、目を悔いるよう に写残す。
○金守邸
満夏が、電球の明かりの中で、さみし い格好ですすり泣く。
満夏が、寝室で、辰流の手作りグロー ブを見つめながら、必死で許しを請う。
満夏「辰流、母ちゃんは、辰流のことば、好 いとったとよ。好いとったけん、突き放し たごと、辛かことば言うたとさ。そいけん、 母ちゃんが、悪かったと。母ちゃんが悪か ったとさ。こがんもん、残っとっとより、 辰流が元気な方がよか。こがんもんより、 辰流が帰ってくるほうがよか」
満夏は、悲しそうに、グローブを抱き しめる。
○濁流の川沿い(夜)
回想から、現実に引き戻る満夏ばあち ゃん。
記憶よりも鮮明に、濁流の光景が映る。
その目の前には、辰流が映る。
満夏「辰流か? 辰流か? 帰ってきたと や?」
その男は、満夏ばあちゃんに伝える。
銀矢「帰ってきたよ。おばあちゃん」
その男は、銀矢だった。
満夏ばあちゃんは、ビニール袋を持っ た銀矢に飛び寄り、抱きしめる。
満夏「あんちか~、帰ってきたとや? 嬉し かばい。おいが悪かった。許してや~」
この発言に、銀矢は困惑する。
銀矢「なんで、おばあちゃんが、悪いんだよ? 悪いって言えば、俺を置いて帰った叔父ち ゃんだろ。探してんだったら、携帯を持っ ているから、電話したら良いじゃん」
満夏ばあちゃんは、銀矢にしがみつく。
○帰り道(夜)
再び夜道を、二人で歩く。
銀矢が、満夏ばあちゃんに寄り添いな がら、仲が良い家族のように支えてい る。
満夏ばあちゃんの杖を持っていない 右手を、銀矢が左手で支えて、右手に は鮎を入れた袋を持って、恋人のよう にくっつく。
鮎は、自分の運命を悟ったかのように、 袋の中で静かに過ごしている。
途中で、近所を探していた飾志が、銀 矢たちを発見して、家族3人で、我が 家に帰る。
飾志が合流したその姿は、漆黒の闇に、 段々と消えてゆく。
その歩いた道のりは、いつまでも光っ て残っています。
ただ、満夏ばあちゃんの、杖の音だけ が響いている。
○七輪の上
鮎が塩を撒かれ、七輪の上で、チリチ リと、美味しく焼きあがっている。
○金守邸の外
満夏ばあちゃんと、飾志が、送り迎え している。
銀矢は、涙をこらえながら、お別れを する。
飾志は笑顔だが、満夏ばあちゃんは、 さみしい様子。
満夏「あんち~、行くとや? もう辛かこと 言わんけん、えんちさ、おらんね?」
飾志「うちは、私が引き継ぐから、いつでも 戻っておいで。ばあちゃんのことは、私に 任せてくれと、姉さんには言っといて」
銀矢はうなづく。
銀矢「わかりました。伝えときます。それじ ゃ、おばあちゃん、僕は東京に帰ります」
満夏ばあちゃんは、銀矢に詰め寄る。
満夏「グローブば買うたるけん、戻って来い よ」
そんな様子の満夏ばあちゃんに、銀矢 は手を振りながら、伝える。
銀矢「おばあちゃん、またえんちさ、帰って くるけんね!」
満夏ばあちゃんは、一気に笑顔になる。
『ブシュウウッ!』
○バス停
バスの機械音が鳴り響く。
銀矢はバスに乗り込む。
銀矢は、数人しか座っていない座席の、 空いている席に、少し揺られながら座 っている。
銀矢を乗せたバスが、発車する。
○駅の構内
銀矢は、駅の構内で、東京行きの新幹 線を待つ。
そのホームは、ウキウキと、楽しい表 情をした人でいっぱいだ。
新幹線は、轟音をこだましながら、ホ ームに停る。
新幹線から、人々が一斉に出てくる。
それを見計らって、銀矢は新幹線に乗 り込む。
座席に座る銀矢。
外の風景を楽しみながら、東京までの 到着を待っている。
銀矢N「僕は中学の時に、野球で都チャンピ オンになった経歴がある。そこでの活躍か ら、自分の名前にちなんで、『シルバーア ロー』というあだ名まで付いた。その栄光 の印が、中学生時代まで使っていた、あの グローブだった。手のサイズが合わなくな ったので、ああやって大事に飾っていた。 あのグローブは、僕の生きた証。だからそ の、グローブを捨てられたということは、 人生を否定されて、全てを捨てられたよう に感じた。今の偏差値が高い高校は、野球 の実績から、スポーツ推薦をもらって入学 した。しかしその偏差値の高さが障害にな って、授業に全くついていけなかった。そ して劣等感が生まれ、今の環境を与えてく れたすべてのものに、感謝する気持ちを忘 れてしまった。それから不良グループに仲 間入りしてしまって、仲間が万引きした現 場に居合わせた。それで僕にも疑惑を持た れて、僕はやってはいないが、処分を受け ることになった。僕はやってはいないのに、 野球部のみんなにも、連帯責任ということ で、迷惑がかかった。それで部員に白い目 で見られて、バツが悪くなって、それから 野球部には参加していない」
銀矢は、新幹線の中でつぶやく。
銀矢「行ってみるか」
T「夏休みが明けた9月・銀矢の高校」
『キーン コーン カーン コーン』
○高校の教室
学校の鐘の音が鳴っている。
朝礼前で、クラスメイトが雑談してい る。
生徒A「ねぇ、夏休みになにしてた?」
生徒B「私? ずっと部活で忙しくて、全然、 夏休みの宿題なんてしてないわ」
その中には、銀矢のクラスメイトの、 森永恵が、椅子に座ったまま、心配そ うに、まだある銀矢の机を見つめてい る。
そこに銀矢が、教室の扉を開けて、出 席する。
その登場に、クラスメイトがざわつく。
一番驚いたのは、森永恵だ。
生徒A「やだ、大仁田くんが来たわよ! 珍 しい」
生徒B「何があったの? でも前よりも、男 らしくなってる」
クラスメイトは、銀矢に注目する。
銀矢は机に座って、教材を机の中に入 れる。
そこに森永恵がやって来る。
森永「また学校、来る気になったんだ? 良 かった……銀ちゃん、久しぶり。なんか、 顔変わったね。ねぇ、授業が終わったら、 私と一緒に、下校しない?」
これに銀矢は、少し考えてから応える。銀矢「え、うん、でも野球部の練習を見てか らだから、その後なら、良いよ」
『キーン コーン カーン コーン』
○下校道
高校のグラウンドでは、野球部が練習 を繰り返している。
その練習風景を見て、銀矢は熱くなっ て、部員に声を出す。
街路沿いに植えられた木々から、花が 散っている。
その道を、銀矢と、森永恵が、恋人の ように寄り添いながら、二人で帰る。
森永恵が、銀矢の手を握る。
これに銀矢がハッとして、森永恵の顔 を見る。
すると森永恵は、笑顔を見せる。
森永「あんち、えんちさ、帰ろうで」
銀矢は、森永恵の手を握り返す。
銀矢「うんっ!」
二人は夫婦のように、手を握りながら 走って、帰ります。
その姿が小さくなっても、二人は寄り 添いながら、その手を離しませんでし た。 《了》