空き缶ひとつ
そういえば、あの日から連絡していない。
都会の夜空は明るい。それを知ったのは自分の故郷を出てすぐだった。子どものとき、夜は自分の部屋の窓からよく夜空を見上げていた。街灯もほとんどない所だったので、星がよく見えた。それはもう宝石箱のようで。祖母が星座に詳しかったので、宝石の中から星座を見つけるのは得意だった。神話だって話せる。上京するまでは毎日のように夜空を見上げた。星を見ているときは自分を忘れられたから。
だが、上京したその日。夜空を見上げてから、今日まで一度も夜空を見ることはなかった。田舎育ちの自分には都会の夜空は明るすぎた。星が見えない。それよりも繁華街のネオンサインの方が明るく、目を刺激する。自分の唯一の安らぎの時間は無くなってしまった。
「お前、本当にいいのかよ。てか急すぎだろ。」
電話越しからきこえる声。こちらに来て最初に出来た友人である。
「もしかして前から決まってたの?」
大学のゼミで一緒になった彼とは、卒業してからも連絡を取り合った。気さくでいい奴なのだ。
「まぁあれだ……悪い、呼ばれちまったから一回切るわ。」
電話の向こうからヘルプ頼むーと声がした。どうやらバイト中にもかかわらず出てくれたようである。本当にいい奴だ。彼が最後に何を言いたかったのか少し気になる。だが、もう電話をとる気はなかった。もう電車がくる。
ふと今まで腰掛けていたベンチから立ち、ホームの自販機へ向かう。ポケットの中を探って130円あることを確認する。小銭を入れて、しばし迷って缶コーヒーのボタンを押す。ガコンと夜には大きい音をたてて落ちてきた、コーヒーを取り出す。プルタブに爪をひっかけ、まぬけな音をだしながら先程のベンチに座る。そしてコーヒーをあけて、ゆっくりそれを飲んだ。口の中に苦味が広がっていく。
ーまもなく_番線に…ー
電車の到着を告げるアナウンスが流れる。と同時に携帯も鳴る。タイミングの悪いことだ。コールを無視してコーヒーを一気に飲み干す。空き缶はベンチの下に放置する。今回だけだ。許してほしい。ホームに電車が侵入した。サイレンを響かせスピードをゆるめていく。やはり電話をとるべきかなと、今さら思う。あちらに着いたら連絡くらいはしてやろうか、と考える。彼ももしかしたら最後にそれを言いたかったのかもしれない。
電車が停車した。まだコールは続いている。だが止むことはなかった。ホームにはコーヒーの空き缶がカラカラと、むなしい音と共に転がっていた。