pray 《前》
嫌なんだよ、もう。
もう、あんなことは──
ただひたすらに祈りながら、死んだ。
既に血に濡れていた刃で、自分の首を刺し貫いた。
それが、最期の記憶。
刃が自分の首に刺さっていく感覚が息苦しさと共にやけに鮮明に伝わってきたのをよく覚えている。
苦しい、痛い、熱い──けれどそのどれも、声には出すこともできず、無理矢理に目だけ動かして傍らを見た。そこには息絶えた人の姿。よく見知った人物だ。
短い回想から、目を開けると、そこには身の丈に合わぬ大きな棘鎧を纏った少女の亡骸。いや、少女だったものの、亡骸。その顔は最早原形をとどめていない。それもそうだろう。棘だらけの鉾棒で殴ったのだから。
「ははは、はは……」
自然と零れたのは、乾いた笑いだった。自分が作り出した死体に笑いしか出ない。
また、一人殺したよ。大した目的もないくせに、誰かが仕組んだルールのままに、人を当然のように死に追いやった。
これを見たら、君はまたああいうのかな。
「働き者だね」
……ってさ。
そんな君が、大嫌いだよ。
「でも、会いたいな」
思い出したんだ。何故、こんなところに来てしまったのか。
けれど、思い出したらやはり、"天使"に戻らずにはいられない。それが自分の性なのかもしれない。
「あなたにも守りたいと思えるものがあったんじゃないですか?」
今はもう語らぬ骸と化した少女の言葉が脳裏を過る。
守りたいもの。
「この世界に招かれるのは、守りたいものを守れなかった阿呆ばかりなんだ」
師匠の断言を思い出す。
守りたかったもの。
浮かぶ顔は一つ。──浮かぶ声も、一つ。
「働き者だね」
そう言う君が、大嫌いだったよ。
けれど、確かに自分は"働き者"だった。"依頼主"の命令に忠実な"殺し屋"だったんだ。
「ねぇ、──」
思い出し、呟いた名は声にならない。答えてくれる相手は今ここにいないから、いい。
そう思っていた。
「呼んだ?」
思いがけない声が、降りかかってくる。驚いてそちらを向くと、見知った顔があった。見知った、といっても、この世界では初めて見るかもしれない。
「ああ、いたんだ」
その手には長い柄の武器。短槍の穂先の両側に三日月型の刃がついたもの──方天牙戟、だ。
この世界で五本の指に入る使い手の一人、方天牙戟使い。そして、方天牙戟は、親友の得意武器である。
「ああ、来たんだ」
短く、さらりとした白い髪。すらりとした長身に、長柄の方天牙戟はよく似合っていた。
似たような台詞を吐いて微笑んだその人物は、紛れもなく、記憶にある親友その人だった。
「君も、こっちに来ていたんだね」
親友が言うのに、苦笑いで答える。
「それはこっちの台詞だよ」
「それもそう、かな。……相変わらずのようだね」
どこか乾いた、悲しげな声で親友は言う。「働き者だね」と告げたときと同じ声で。
「ここしばらくで、随分と世界は静かになった。確か、結構な実力者だった鎖鎌の女の子がいなくなったのが皮切りだったかな」
これまでを思い返す。鎖鎌の少女……確かに、あの子を殺してから、この世界は加速した。
いいや。
「単に世界は役者が揃うのを待っていただけかもよ。まあ、揃ったんだから、もう始まりなんて、どうでもいいんだろうけど」
放った声が冷たい。自分の声じゃないみたい。でも、これが本当の自分。長らく、忘れていただけ。
「そんなことより、さっさと始めよう」
無機質な声で、鉾棒から一旦灰色の棒に戻った砕器を構える。
「幕切れを告げる重要な役割を果たしたキャスティングを"そんなこと"呼ばわりとは。全く、死んでも君は働き者だね。
そして、どこまでも無情な──天使だ」
親友はまた同じことを言う。方天牙戟を横薙ぎに振るい、始めはゆっくりと、次第に足早に、こちらへ疾走してくる。
それを眺めつつ、突き出された切っ先をかわす。こちらの砕器は武器に変化していない。せっかちな奴だ。少しくらい待ってくれたらいいのに。
「何を笑っているんだよ?」
「笑っている?」
「そうだよ」
三日月の刃が横薙ぎに振るわれる。後退りながら避ける。親友は不満げにこぼした。
「まさか、君はこの状況を楽しんでいるの? あのときと同じこの状況を。だとしたら君は、本当に相変わらずだ」
呆れ混じりの声と共に、柄を手の中で一回転させた。向かってくる長柄には、先程のように切っ先はないけれど、その分、速く、鋭く、固い持ち手が脳天めがけて落ちてくる。
長柄の武器は一見、先端の刃が凶器であるように思えるが、違う。これがなかなか、柄もそれなりに丈夫に作られていて、叩かれるとそこそこ痛いんだ。生前、親友や師匠に何度もやられたからよく覚えている。
だから、黙って叩かれるのは、もうごめんだ。
かんっ
金属なのか木なのかわからない、未だに謎物質な灰色の砕器と親友の得物がぶつかり、奇妙な音を奏でる。その音は他に誰もいない空間でよく響いた。
固そうな割に、軽い音で弾かれた方天牙戟は親友の手の中でくるくると閃く。
「それ、一体どうやったらできるの? 永遠の謎なんだけど」
「やれやれ、暢気思考も相変わらずか。そんなんだからできないんだよ」
親友が溜め息を吐く。む、この暢気は生前からなのか。
「そっか、暢気だとできないのか。納得」
「ズレてるのもかい」
う、またズレてると言われた。そんなに一般ズレした意見だっただろうか。
「なんとかは死んでも治らないってやつかな」
「ねぇ、暗に貶してる?」
「いや、明確に貶しているつもりだよ?」
そこまで胸張って言わなくてもいいと思う。
そんなやりとりをしながらも、攻撃の手は止まない。
左右交互の突き、かと思えば斜め上に袈裟懸けで切りつけてみたり、そこからもう一度回転させて柄で叩こうとしたり。こちらは姿を変えない灰色の砕器でいなしたり、かわしたりで事なきを得ている。
砕器がこの形状から変わる様子はない。その理由はわかっている。
「さっき君は、この状況を楽しんでいるのかって訊いたよね」
「うん」
「……なわけ、でしょ」
「ん?」
「そんなわけ、ないでしょ……」
静かに告げた。
あのときと同じ状況。今の現状。
「死のうって決めるきっかけになった"君と殺し合う"なんてこの状況、楽しめるわけないでしょ」
だとしたら、どこまで非情な天使だよ?
「どれだけ残酷な天使だと思っているんだよ!?」
叫びながら、初めて自分から一歩踏み込んだ。突き出された方天牙戟を紙一重でかわし、たった一歩で間合いを詰める。親友の顔は目と鼻の先だ。自分よりよほど"天使"という呼称が似合う、秀麗な面差しがよく見える。その顔に、思い切り砕器を振り下ろした。
ぽん
灰色の砕器は、静かに親友の白い髪に当たった。──それだけだ。
「痛い」
「嘘だろ」
「うん、嘘」
あっさり言ってのけると、親友は方天牙戟を持ち直し、思い切り、こちらの肩めがけて突き出す。
「っぐ……!」
寸止めなんて、優しい真似はしてくれなかった。当然だ。こういうときのこいつは間違いなく、怒っている。ただし、顔には全く表れない。
「でも、痛いから」
「うん」
「ふざけるな」
淡々と、続ける。
「手加減は切腹だ。覚悟はいいか?」
「手加減なんてしてないよ。君だってわかっていたろう? そもそも勝負する気すらなかった」
「屁理屈ばかり達者だ」
砕器が元の形から変わらなかった理由。
「また君を殺すなんて、したくない。そんなの一度きりでたくさんだよ」
あのとき、一度で。
「自分で、選んだくせに」
本音を明かすと地の底から這いずり上がってくるような声が詰る。
「自分で選んで、殺したくせに! あのとき、そう、君が僕を殺したあのとき、君は自分でなんて言ったか覚えてる?」
「──いが、────って──うくら、なら──」
まだ足りない記憶の断片。
あのとき下した決断は、天使としての最期の決意だった。"天使"という名と決別するための。──なんて言い訳、通るとは思っていない。
選んで殺した。
彼のその言葉は正しい。結局、自分はそのとき、彼を殺してしまった方が楽だから、そう選んだのだ。自ら進んで、殺す道を。
「はは……」
そう思ったら、笑えてきた。
「結局、死んだところでこの名前からは逃れられないってことか」
「そうだよ、偽善者」
親友が方天牙戟を引き抜く。肩から頭に痛みが突き抜けた。どうにか苦鳴を漏らさないように、歯を食いしばる。それでも、どうしようもなく溢れてくる悲しさは、拭えなかった。
「何、泣いてるんだよ……?」
「ごめん」
「何泣いてるんだよ!?」
彼の抱くやるせなさは痛いほどよくわかった。けれど、わかったところで、止められるような涙でもなかった。
自分で止められるんなら、そもそも泣きやしないよ。
「どうして、こうなったんだろうな」
「わかりきったことを言うな!!」
怒りのままに、彼は再び得物を振り下ろす。今度は反対の肩に刺さった。
痛いなぁ……痛いよ。
じわじわと紅いものが刃を、地面を濡らしていく。
「僕たちが死んだのも、今こうしてここで戦わなくちゃいけないのも、全部君が選んだからじゃないか! 君が、"天使"としての役目を全うすることを、あのときに、でも後悔を拭い去りたいって、死ぬときに、望んだからじゃないか!!」
彼の叫びに、微かに記憶が刺激される。
あのとき自分は、何を選び、望んだ?
何をどこから間違ってしまっていたのだろう?
あの日。
師匠を看取った数日後、二人にそれぞれ依頼が来た。もちろん、殺しの依頼だ。
それぞれが依頼主の元へ行き、依頼内容を聞いて戻ってきた。
お互い、あんなことになるなんて思っていなかった。
「天使、かね?」
「はい」
「では今回の依頼を話そう」
そうして、言い渡された標的は──
「死神、という殺し屋は知っているだろう?」
当然だ。その渾名は親友のものだ。
けれど、まさか。
「その、死神を、ということですか?」
「さすがだな。察しがよくて助かる」
頷くと、依頼主は改めて言った。
「"死神"を殺せ」
それがどれだけ残酷な命令か、依頼主は知らない。
けれど、それを断らなかったのは
「わかりました」
断らなかったのは、確かに自分。自分の意志でその仕事を受けた。
「殺せと言われたら殺す。それが天使の信条ですから」
「そう言ってくれると安心だ。君と"死神"は親交が深いと聞いていたからね」
「親交?」
依頼主のそんな言葉を一笑に伏す。
「仕事と私事くらいは切り替えられますよ」
私事のときは"親友"で"同門の徒"でも、仕事では"他人"でしかない。
そう判断した。
仕事を受け、師匠の家へ行く。師匠が死んでからは弟子の自分たちがその家を管理していた。だから二人とも、帰る場所はそこだった。
師匠がいないだけで、いやに静かなものだな、とぽつりと思う。
親友が先に帰ってきていた。
「やあ、依頼、受けてきたの?」
「まあね」
親友が笑顔で問いかけてくる。何も知らないような、透明な笑顔に胸がひりひりと痛んだ。
「そっちは?」
それを振り払うために、質問を返す。すると、苦虫でも噛んだような顔で首を横に振った。
「振ってきた。性に合わないやつだったからね」
「へぇ。プロフェッショナルな"死神"さんが仕事断るなんて、珍しいね」
「別に、プロフェッショナルとしての信条は"標的は必ず仕留める"ことにあって、標的の選り好みくらいはするよ」
親友は顔をしかめた。
「そういう点で言ったら、選り好みしないのは君の方だろ、"天使"」
「はは、そうだね」
そのとおりだ。
仕事と言われたら、標的が"親友"でも躊躇いはない。
「よかった。君が仕事に遺恨を残すようなことにならなくて」
「……え?」
「さよなら」
天使は笑って刃を振り下ろす。
「どういうことだよ!?」
横にかわして刃を避けた親友が問う。
「どういうことって、別に、仕事をしているだけ」
「……そういうことかよ」
熱のない声で応じると、親友は静かに納得し、足元の長柄を蹴り上げた。その手中に先端に二枚の三日月の刃を持つ得物が収まる。
ぴりぴりとした敵意が頬を打つ。笑いが込み上げてきた。──殺る気満々じゃないか。
「何笑ってんのさ」
「笑ってる?」
「君はいつもそうだよ。人殺しを楽しんでいるか、戦闘狂だね」
「ふふ、否定はしない」
ゆらり、と親友の綺麗な白い前髪が揺れる。その奥の瞳が静かな闘志を灯していた。
「君も人のこと言えるの?」
「言ってくれるね。僕はこれっぽっちも楽しんじゃいないよ」
言い放つと同時、親友は得物を袈裟懸けに振るう。それを後ろに下がって避けるが、すぐさま突きがやってくる。狙いは短刀を持った利き手。そう見極めると得物を持つ手を変え、空いた手で相手の長柄を掴み、引き寄せる。
この対応を予想していなかったのか、若干目を見開きつつも、体をひらりと宙に舞わせ、こちらの突進に対処する。
着地するなり、空振りのため態勢の整っていないこちらの手を長柄で振り払う。三日月の刃が手を掠め、そこに一筋、紅い線が引かれた。
切られた感覚が全くない。刃がよほど研ぎ澄まされているか、使い手の技量が相当なのか……両方だろう。さすがだ。
けれど、当の本人の表情は芳しくない。こちらの傷を見、顔を歪めている。自分は一切負傷していないはずなのに。
「なんで、君は」
苦しげな呟き。けれど、その続きを聞くつもりなどこちらにはない。冷たい刃は迷いなく、目前に佇む標的の首筋を狙っていた。
それでも相手は冷静に、容赦なく対処し、得物を横薙ぎに振るった。
このままでは柄で強かに叩きつけられる。そこで、こちらは得物を投げた。もちろん、狙いは変えない。短刀が手を離れるなり、地面に転がり、伏せる。方天牙戟が頭上で空を切る。
顔を上げると、こちらの短刀は親友の白髪を数本さらったようだ。はらはらと、光の加減で銀にも見えるそれらが落ちていく。
綺麗だな、なんて、暢気に思った。
「それだから、君は"天使"なんだ」
親友は乾いた、悲しげな声で呟く。その声を見上げると、頬に一筋傷を作った彼が、泣きそうな顔でこちらを見下ろしていた。
そんな顔のまま、彼は続ける。
「何故君が"天使"なんだろう? って、ずっと疑問だった。標的に必ず死を与えるという点では、君も僕も同じなのに。何故君は"死神"でなく、"天使"と呼ばれるんだろう? って、ずっと思ってた。でも、そう。君は"天使"だよ」
「何を言ってるの?」
その発言の意図が読めず、問う。すぐに返事は返ってきた。諦めたような声音で。
「だって、君は僕を殺すんでしょ?」
それは、事実だった。だから、頷くことに迷いはなかった。
「仕事だから」
「……ははっ!」
こちらの答えに可笑しそうに笑うと、彼は方天牙戟を持ち直し、その切っ先の方を自分に引き寄せた。白い指が三日月の刃に触れる。少し指先を切ったのか、紅いものが刃を伝う。
「本当に、君は"依頼主"に忠実な"殺し屋"だね。そして──」
目に透明な雫を浮かべた彼は、その刃を自らの首にあてがいながら続ける。
「働き者だね」
乾いた悲しい声だった。




