4.
急に胸が苦しくなる。慎一が私を想ってくれているわけない。慎一に彼女ができたあの時のことを思い出した。高一の時に慎一に彼女ができた。友達の噂話で聞いた。一緒にいるところも見たことがある。直接、慎一から話を聞いたわけじゃない。そんな話をする間ではなくなっていたから。慎一とは中学生になったぐらいから、ほとんど話もしてなかった。
でも好きだった。自分の気持ちに気がついたのは噂を聞いて実際に慎一と彼女が一緒にいるのを見た時だった。胸の痛みと込み上げてくる涙を堪えて家まで帰った。慎一の部屋が見えるわけじゃないのにカーテンを閉めて一人で泣いた。窓を見るのも辛かった。それから慎一への想いを諦めようと必死だった。慎一はすぐに彼女とは別れてしまったようだった。あえて慎一に聞いたりもしなかったから、本当のところはわからない。だけど、それから彼女が別の男子といるのをよく見かけるようになったから。
「うーん。正解とは言えないな」
「慎一! 彼女いたじゃない! なんで今さら私のこと構うのよ。倉田君がクラブの後輩だから?」
わからない溝がたくさんある。それほど私達は口を聞いてなかった。たった二つの窓とカーテンに遮られて。
「あー、じゃあ。解答。彼女って渚が言ってるのは北原のことだと思うけど、あいつは俺の彼女じゃないし、彼女だったこともない」
「へ? でも私見たよ。登校とか下校の時に慎一と二人でいる姿を」
今でも思い浮かぶ。朝、玄関の前で慎一を待つ彼女を。慎一の隣で嬉しそうに話をしている彼女を。
「あれは向こうが勝手に……だいたい普通付き合ってるなら、俺の方が朝、家まで迎えに行くだろうが……。あいつ毎朝、俺の家の前で待ってて、放課後もクラブ終わるの待ってるし。気づいたら俺と北原が付き合ってるって話になってて。慌てて北原に断った。好きな子がいるから付きまとわないで欲しいって」
好きな子……。
「あのその好きな子って……あの……」
「渚だよ。まあ、渚は倉田が好きなんだろうけど……」
その軽い口調とは違って慎一の顔は真剣になっている。
「……どうなんだろう」
「え?」
「私、泣かなかった。倉田君が彼女とキスしてるのを見ても」
「キス……してたの?」
そこは慎一見てなかったんだ。
「そう。なのに涙の一粒も流れてこなかった。慎一の時は一緒に登校してるのを見ただけで学校終わってこの部屋に帰って来るまで、必死で堪えて……帰ってきてから泣いた。次の日が休みでよかったっていうぐらい泣いたのに」
昔泣いたことがある映画のDVDを引っ張り出して観ながら泣いた。物語なんてちっとも頭に入らないけど、涙で濡れた顔と泣きはらした顔を誤魔化す為に観るしかなかった。
「ふーん。………」
「って、変だね。なんで泣けないんだろう。好きなのかな?」
「俺に聞くなよ」
「だよね。でも……」
そう言えば……
「でも? 」
「倉田君を好きになったきっかけが、階段から落ちるところを助けてもらったの……」
あの時、落ちるというドキドキと、そんな間抜けな姿をみんなに見られていた恥ずかしいという気持ちと、そして倉田君の胸の中にいたドキドキ……混じり合っていた? もしかして、これって…
「吊り橋効果ってやつ? 」
慎一が身を乗り出して聞いてくる。ドキッとしつつ、吊り橋効果について考える。吊り橋にいる怖いというドキドキと恋のドキドキを間違えるという話だったと思う。タイプで、かなり気になる存在だった倉田君に助けてもらった。そして、私は慎一を忘れて早く新しく誰かを好きになりたかった。毎日窓を見るのも辛かったから。慎一が彼女が出来たと聞いたのが秋だったそれから二年になっても窓を開け放つことができなかった。
二年になり倉田君を無理矢理にでもそう思いたかったのかな?
「そ、そうなのかな?」
「……あんまり、っていうか、本当は言いたくなかったんだけど……」
「ん? 」
なんだろう。慎一は本当に言いにくそうにしている。
「あの、んー。倉田はあの子とは付き合ってないぞ」
「え? でも、キス……」
バッチリしてるのを見たんだけど……。
「まあ、まさかそこまであいつが抵抗しないのもどうかとは思うけど、俺も付きまとわれてただろ? だから倉田に相談されてて」
付きまとわれてって……姫川さん付きまとってたの? あんなに堂々と? あ、でもあの北原って先輩も……堂々としかもすっごい親しげに絡んでたな、慎一に。腕まで組んで……。
「でも、なんでクラブ抜けて教室にいたの? 倉田君?」
そして、それをなんで慎一が探しに行ったの?
「ああ。倉田が楽譜を教室に忘れて取りに行ったんだけど、全然帰って来ないし、倉田をいつも待ってるあの子もいなかったんで、きっと捕まってるんだろうと助けに行ったんだ。まあ、案の定捕まってたんだけど」
「じゃあ、慎一が倉田君に話をしたっていうのは」
「きっちり断らないとどんどん加速するぞって話」
クラブを抜けてどうこうという話だと思ってた。その割に自分は抜けて帰っていいの? って思ってた。あ! じゃあ、私に……
「泣いてる私に話をしようとしてたのはそのことだったの? 倉田君と姫川さんは付き合ってないし、倉田君はつきまとわれてるって……」
「まあ、そういうこと。なのにお前全然泣いてないし、泣いてた顔でもないだろ。とりあえず話をと思ってここに座ったら、ついその、まあ、発情? 」
やっぱりそこに戻って来るのね。
「んー。慎一の行動はわかった」
最後の発情はまだよくわからないけど。
「それで、倉田君のことも」