鬼のこれから勇者のこれから 其の四
向き合ったアルトニア兵達と無月は実に対照的だった。ここにいるアルトニア兵達は昨夜の無月のシャルルに対する無礼に激怒し模擬戦へ志願した者達だ、故に無月に対する視線も穏やかなわけがなく怒気を通り越して殺気すら宿っている。対する無月は実につまらそうな視線をアルトニア兵達に送っていた。
(お願いだから第二の魔王誕生なんてのは勘弁してよ)
イシスはそんなことを考えながら闘技場を覗き見ていた。
「これより模擬戦を始める!!どちらか一方の敗北の宣言、または行動不能により試合終了とする。なおアルトニア兵は8人のうち最後の1人が先の条件に準じた場合敗北とする!双方、異議はあるか!」
ラピスはそう言い両者に視線を送る。異議がないこと確認すると静かに右手を挙げた。
「はじめっ!!」
ラピスは右手を振り下ろし開始の合図を告げる。その瞬間、訪れたのは武器を構える兵の雄叫びでもなく、魔法を詠唱する言葉でもなく、無月がぶちのめされるのを見に来た外野の野次でもなかった。
静寂
合図と同時に放たれた無月の殺気にその場の全てが凍りついた。
理性が麻痺する。生物の本能が叫ぶ、絶対に逆らってはいけない。これは死だ、と。
対峙した兵達は当然のこと、観戦しに来ていた兵士、勇者達やシャルル、ラピスすらも呻き声どころか身動ぎすらできなかった。
その場に居ないイシスですら冷や汗を浮かべていた。
そして気づく、この鬼を自分は過小評価していたと。
そして思い出す。月読の言葉を、無月の言葉を。
――無様を晒したくなければ鬼を消そうとするな
――神と喧嘩をするため月を砕いた
そう、神に喧嘩を売るために月を砕いた鬼。そんな者が何故、今存在できている?
月に関わる神は一柱二柱ではない。
月読はもちろんのこと、狩猟の神アルテミス、死の女神ヘカテー、破壊神イシュ・チェルといった神々は言うに及ばず。さらにそれらと関わる神。月読の弟、建速須佐之男命。あの戦闘狂が首を突っ込まないわけがない。
そんな神々を相手にして、この鬼は今こうして存在している。それはつまり、神々と対等に渡り合ったということ。神々が力を振るってなお、この鬼を消し去れなかったということ。
なるほど、魔王ですら及ばないと言った月読の言葉も今なら理解できる。
(まったく、冗談じゃないわねホント。魔王どころの話じゃないわ……)
神と渡り合うような化物がこれから自分の世界を彷徨くのかと思いイシスは頭を抱えた。
そうして今後のことを憂いていたイシスを置き去りにして状況は動く。
無月は歩を進め前衛のアルトニア兵に近づいて行く。前衛を務める一人の前に立った無月は兜越しにその兵士の顔を覗き込む。
「……若いな」
そう言って無月は兵士の兜を外す。無月の殺気に呑まれた兵士は抵抗することも出来ずされるがままだった。兜の下から現れたのはまだ幼さの残る少女の顔だった。明と変わらないくらいか。いや、もしかしたら下かもしれない。殺気に呑まれためか表情が抜け落ちている。
「まったく、ラピス嬢は何考えてんだか……」
無月は兜を脇に抱え少女の肩に手を置くと諭すように話しかけた。
「お嬢ちゃん、武器を捨てな。わざわざ痛い思いをすることはない」
無月の口調は穏やかなものだったが殺気はまったく収めてはいない。少女に選択肢なんてものはなかった。少女はまるで暗示にでも掛かったように手にしていた木剣を落とす。
無月は兜を少女に持たすとその頭を撫でる。
「いい子だ」
始終面倒くさそうな顔をしていた無月が「よく出来ました」というように笑顔を浮かべる。
ケタ外れの殺気を放ちながら笑ったところで見ている者の恐怖が増すだけなのだが。
その笑顔が合図であったかのように他の7人も手にしていた武器を落とした。
それを見た無月が表情を戻し殺気を収めてラピスに問う。
「ラピス嬢、まだ続けるかい?」
殺気が消えたことで兵士たちはやっと解放されたと言わんばかりにその場に崩れ落ち深く息を吐く、何人か気絶している者もいた。無月の前にいた少女など崩れ落ちることさえできず立ったままで震え無表情で涙を流していた。
「……いえ、そこまで。……勝者ムツキ!」
ラピスの宣言により模擬戦は無月の勝利で終わった。
○●○
模擬戦を終えた無月は食堂に来ていた。早朝、城を出るつもりで城門前にいたところをシャルル、ラピスの二人に捕まったため今日はまだ何も腹に入れてなかったのを思い出し遅めの朝食を摂っているところだ。
今更、焦って旅立つこともないかと考えてのことだが我ながらいい加減なのもだと無月は思う。
「ムツキ」
「よー、姫さん。ラピス嬢も一緒かい。お揃いでどした?」
シャルルの声に振り返るとラピスだけでなく数名の兵士がシャルルの後ろに控えていた。
「ちょっといいかしら、あなたの旅についてよ」
「後ろの奴らもその件なのか?」
無月は嫌そうな顔でシャルルの後ろに控えた兵達を見ていた。
「そうです。場所を変えましょう、付いて来てください」
「……あいよ」
齧っていたパンを溜息とともに飲み込むと無月はシャルル達の後に続いた。