鬼のこれから勇者のこれから 其の一
「この辺りの国の商業に関する資料はある?特産とか工芸とかなんでもいいんだが」
「……特産ですか?」
声をかけられた司書は迷惑そうに返した。
イシスが帰った後、無月は書庫に来ていた。この10日無月が書庫に篭って調べていたのはこの世界の歴史、北の地での戦闘記録、発生した魔物の報告などが主だった。神からの接触がある前に厄介事が起きた時の備えのつもりだったが、先ほど月読から休暇をもらいイシスからは好きにしろとお墨付きをもらった。
そんな訳で今は異世界観光を有意義なものにするための情報収集に書庫を訪れたわけである。
「ここにはあまりそういった類のものは保管しておりませんが……。そのような事を調べて一体どうされるのですか?」
急に調べる資料の内容がガラリと変わったため不思議に思ったのだろう。
「旅に出ようと思ってね」
「旅、ですか……」
「折角だし、異世界っていうのを見てまわろうと思ってね。ここに居ても暇だしな」
無月の言葉を聞き、迷惑そうにしていた司書の表情に侮蔑の色が混ざる。司書にしてみれば「魔力0の無能が何を言ってんだ」というところだろう。
「ここに保管してあるのは魔法研究に関するものや魔物に関するものが主になります。他国の商業関連の資料は外交を任されている部署がありますのでそちらの管理になります。ただ近隣のものになりますとどうしても数が多くなりますので一部はこちらで保管してあります」
「あー管理が違うなら見るのはマズイかぁ」
「いえ、ここにあるのは一般に知られているものばかりですし、ムツキ殿が希望されるなら問題は無いかと」
「そんじゃ見せてもらえっかな」
「……こちらです」
司書は「心底めんどくさいです」という表情で目的の棚へ向かった。嫌そうにしながらも案内するあたり真面目な人物ではあるのだろう。
ただ、魔力0の無能の相手をするくらいなら他の仕事を片付けたいと思っているかもしれない。
それでも、「もう少し愛想があってもいいんじゃないか」と思いながら無月は苦笑いを浮かべ司書の背中を追った。
○●○
無月が書庫に篭っていた頃、一緒に召喚された五人の勇者たちは魔物との戦闘に備えて今日も訓練に明け暮れていた。
当然のことだがこの世界では魔力を使用して戦うことを前提としている。それにより重要とされる要素が2つある。
一つは魔力操作。自身の肉体や武具、防具の強化や操作、炎や風や土などの元素を集め、あるいは生み出し操る、味方への補助や回復などの全てが魔力の操作によって行われる。魔力操作の練度がその者の強さを決定する要素の一つとなる。
そしてもう一つが武具、防具と自身の魔力との親和性。これが高ければ高いほど力は底上げされ自身より遥かに実力が勝る相手にも勝利することができる。逆に使用者がどんなに気に入った物でも親和性が低ければ十全な効果は得られず、場合によっては魔力操作を阻害し力を半減させる枷になってしまう。
そんなわけで、五人は王国の宝物庫の中から選定した正真正銘国宝級の品々を与えられ、そして魔法大国アルトニアが誇る最上級の人材を教官とし日々訓練に励んでいた。
無月がイシス達と連絡を取った今日も朝から日が暮れるまで訓練に励んでいた。
訓練を終え大浴場で汗を流した勇者たちは兵舎の食堂へ向かっていた。
「・・・・ちゃん・・・・静葉ちゃんってば」
「……何?」
「何?じゃないよ、ボーっして。訓練のあとはいつもだよね。やっぱり訓練がキツいんじゃないの?」
「……違う。少し考え事してただけ」
「ホントに?」
「ホントに」
心配そうに聞いてくる梓に静葉は平気だと返す。
嘘ではない。訓練は確かにやることは多いがどうしようもなく辛いというわけではない。むしろ魔力のお陰か余裕すらあるくらいだ。そして、考え事をしていたのも本当のこと。
「平気ならいいんだけど本当に辛い時はちゃんと言わないとダメよ」
そう言い遥香も少し心配そうに静葉を見ていた。
梓から視線を遥香に移し「大丈夫」と答えながら静葉は考えていた。
この世界に来て10日、毎日その差を見せ付けられてはどうしても考えずにはいられない。どうしてこうも違うのかと。
この世界に来てから一日の大半をこの二人と過ごしている。
食事の時、訓練の時、そして入浴のときも。
梓と静葉の身長はほぼ同じくらいだが、静葉が少し視線を下に向けるとそこには実に見事な果実が二つ。
明などはそれが気になって仕方ないらしく歩くたびに揺れるそれにチラチラと視線を送っていた。
他の凹凸はそこまで差はないのだが、そこだけは明確な差があった、歳は梓の方が少し上だがここまで差がつくのはどういうことだろう。
そして遥香、高い身長にスラリと伸びた手足。梓にこそ及ばないが確かにあると主張する二つ膨らみとウエストのくびれ、張りのあるヒップは何処のモデルさんですか?と言いたくなるようなこれまた見事な曲線を描いている。
これで同い歳というのだから勘弁して欲しいというのが静葉の正直な気持ちだった。
「……これが格差社会」
そう言い自身の起伏の少ない体を見下ろす静葉の呟きに二人は首を傾げていた。
そんなやりとりをしながら食堂についた勇者一行は空いていたテーブルを囲み食事を摂っていた。いつもならここで食事を済ませてあとは自由に時間を過ごすのだが、今日は少し様子が違っていた。
静葉たちが食事を済ませ、お茶を飲みながら談笑していると急に食堂が騒がしくなった。
――王女殿下?!
兵たちが騒ぎだしたのはどうやら第三王女シャルルが食堂を訪れたことが原因のようだ。
兵たちは騎士団長を伴って食堂に入ってきた王女の姿を見ると「なぜこんなところに?」と驚きながら慌ててシャルルに対し礼をとっていた。
じつはこのアルトニア王国第三王女様は王女という立場でありながら国王より軍を任されているアルトニア軍の最高責任者でもある。
そんな人物が一兵卒が利用する食堂にいきなり現れれば驚くなという方が無理だろう。
ちなみに立場的にはシャルルとそう変わらない勇者たちがこの食堂を利用しているのはこれから共に前線で戦う兵たちの士気を高めるという理由でシャルルに頼まれたためだ。
「……どうしたのシャル?」
揺れる金褐色の髪と深い藍色の髪を目にした兵たちがその歩みを妨げぬように割れる。蒼穹のような青い瞳は勇者たちを見据えて歩を進め、黒い瞳がそのあとに続く。
静葉たちを見つけ歩み寄ってきたシャルルに静葉から声をかける。
「こんばんは、シズハ。ちょっと皆に話があってね。少しいいかしら?」
「私はいいけど……」
そう言うと静葉は四人に視線を送る。
「全然オッケっすよ」
「私も大丈夫ですよ、シャルちゃん」
「大丈夫よ、シャル」
「問題ない」
「ありがとう、じゃ少しご一緒させてもらうわね」
全員の了解を得るとシャルルは同じテーブルに着き、騎士団長はその後ろに控えた。
「ラピス。立ってないで座ったら」
シャルルがそう言えば、気の強そうなツリ目を閉じて藍色の髪を揺らして首を横に振る。
「いえ、王女殿下と同じテーブルに着くわけには」
「私は気にしないわよ。それに今からする話はあなたにも説明してもらわないといけないんだから」
軍に身を置く人間とは思えない可愛らしい顔に苦笑いを浮かべて大きな目を細めながらシャルルがそう言えば、明と遥香からも声が飛んでくる。
「そっすよ。ラピスさん座って座って、ラピスさんだけ立ちっぱじゃ落ち着かないっすよ」
「そうよ、ラピス座って」
「……わかりました。では失礼します」
明と遥香にもそう言われたラピスが席につくとシャルルは話を始めた。
「話っていうのはね、訓練についてのことなんだけどね、皆の上達が予想以上でこれなら次の段階に進めてもいいんじゃないかってラピスや他の教官からの意見があるの。だけど皆こっちの世界に召喚されてからまだ10日でしょ。流石に精神的な面でまだ早すぎるんじゃないかって意見もあるのよ」
「次の段階というのは具体的には?」
「実戦ですよ。カツキ」
一樹の質問に答えたラピスが訓練内容を説明する。
「実戦と言っても大げさな話ではありません。まずは戦いに慣れてもらうために下級の魔物の討伐をやってもらおうと思っています。もちろん私たち教官も同行しますし、騎士団の中からも特に腕の立つ者を連れて行くつもりです」
「おおっ!魔物退治っすか!」
「……魔物ですか」
明は嬉しそうに、梓は怯えた反応を返す。
「話っていうのはこういうこと。それで皆の気持ちを聞きたかったの。もちろん絶対に今しなければいけない訳じゃないわ」
「やりたいっす!今までは基礎ばっかりだったし!」
「まぁ何時かはやらないといけないんだし別にかまわないけど」
「……私も大丈夫」
「そうだな、早いか遅いかの話だ。俺はかまわん」
「・・・・・・・・」
一人沈黙する梓にシャルルは穏やか声音で話しかける。
「アズサ、さっきも言ったけどもう少し時間をおいてもかまわないの。いずれはやってもらわないといけないのだけど今すぐってわけじゃないわ」
「・・・・・す。やります!私もやれます!」
「ありがとう、梓。皆もありがと」
そういってシャルルは五人に頭を下げる。
「では、そういうことで準備を進めさせてもらいます。訓練通りやれば貴方たちの実力なら下級程度何の問題もありません。アズサもあまり気負わずに」
「はいっ」
ラピスが笑顔で梓の言うと先程より幾分硬さのとれた表情をして梓も笑った。
「……シャル、話はこれだけ?」
「んー別件で一つ、あるにはあるんだけど。シズハたちにはこれだけね」
「……これだけのために王女様がわざわざ?」
「そうだけど」
当たり前のようにシャルルが答えるがこの王女様はなかなかにフットワークが軽い、訓練にもチョイチョイ顔を出してるくらいだ。護衛の人も大変だろうと静葉が視線を横に移すと、ラピスが若干疲れた顔をしている。
「……別件っていうのは?」
「ムツキにね、ちょっと聞いておきたいことがあったの。まだここには来てないのかしら?」
「……私たちが来た時には居なかった」
「俺に用事かい、姫さん」
声のした方へ視線を送ると無月が立っていた。




