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最上の味

 眩い光が溢れて、そして弾けた。

 光と共に描かれた模様も消え失せた後には静かに横たわるミーアの姿。

 無月はミーアの額に置いていた息を吐き、右手をゆっくりと離したその時。


「はっ!……ぐっ!くうぅぅっ」


 飛び起きたミーアは全身に走る痛みに自分の身体を抱きしめてうずくまってしまう。


「……ミーアさん」


 シアは蹲るミーアにそっと羽織りをかけた。


「シア、……ムツキ」


 瞳を潤ませて自身の名を呼ぶシアに蹲ったまま視線を向けたミーア、次いでやや気不味げに無月に視線を移す。


「……その、……すまなかったね。世話をかけちまって」


「ふう、……まったくだ。阿呆が」


 苦笑いを浮かべた無月はいつもの軽い口調でミーアに返した。

 それから無月は脇に置いていた右足を取りミーアの側に置くと少し硬い声音で話しだした。


「今のお前なら繋げることくらいは出来るだろう、使い物になるかはわからんがな。言いたいことも聞きたいことも有るが、何にしてもまずは身体を休めることからことからだ。……魂と器ってのはこの世に生まれたその時から知らぬうちに魂と器どちらともなく折り合いを付け慣らされていくもんだ。ミーア、それをお前は生まれたての妖しの器を今回の博打で強引に従えた。当面は無理は厳禁だ、綻びを見せればまた同じ事が起きる。安定するまでは絶対安静、わかったな」


「ああ」


「よし」


 そう言い無月は踵を返して扉へと歩き出す。


「ラピス嬢のところへ行ってくる、ずっと待ってたみたいだしな」



○●○



「ムツキっ!!」


 鬼の姿で塔から現れた無月にラピスは掴み掛らん勢いで駆け寄った。


「ミーアはっ!?あの炎はなんですっ!?いえ、それ以前に何が起こったというのですかっ!?」


 混乱のせいか、物凄い剣幕で捲し立てるラピスに無月は宥めようと両手を身体の前に持ってくる。


「落ち着いてくれ、ラピス嬢」


「落ち着ける訳ありませんっ!!」


 胸ぐらを掴み頭突きでもしそうな勢いで無月を引き寄せるラピス。身長差のせいで上目遣いで睨みつけるに留まっていたが、その眼光は簡単に収まりそうもなかった。

 無月はラピスを宥めるというささやかな努力を放棄してラピスの額を片手で押して引き剥がす。


「はぁ、……ミーアなら大丈夫だ。あの炎はここのカビ臭い空気を払っただけだ、何があったかはこれから聞く。わかったか?」


「え、えぇ。すいません、取り乱してしまって」


 僅かに苛立った表情を浮かべながら見下ろしてくる無月に背筋に冷たいモノを感じラピスは冷静さを取り戻した。

 そのラピスの様子に無月は頭を掻く。


「いや、こっちも悪かった。今は俺も乱れてるようだ、……あんたらにとっては国の未来を左右する戦力の大事だしな」


 そんな無月の様子に肩の力が抜けたのかラピスは少しおどけてみせた。


「その言い方は少し障りがありますね。勿論、ミーアのことは兵士としては評価はしていますが私はとしても好ましく思っているのですよ。心配して当たり前じゃないですか」


「ああ、……そうだな。悪い」


 そう言って無月はそっとラピスから目を逸らした。


「自分で思った以上に苛立ってるみたいだ。……俺に近しい者に手を出す奴は久しく居なかったからな、……どうにも感情が抑えられんようだ」


 滾る感情を抑え込むように無月は冷たい光をその瞳に浮かべて静かに拳を握る。

 その姿にラピスは息を呑んだ。

 シアが見た姿を天を穿つ巨大な山と例えるなら、ラピスが今見ている姿は果ての見えない雪原とでも言えようか。

 静寂に支配された白銀の世界はその瞳に美しく映ろうとも、無遠慮に立ち入った愚か者は凍てつく風にその命を容易に刈り取られるだろう苛烈さを秘める。

 そんな姿に声を失ったラピスの様子に無月は片手でその両目を覆うと深く息を吐き出した。


「……いかんな。……ラピス嬢、頼みたいことがある」


「……何でしょうか?」


 顔から手を離した無月が浮かべた苦笑いに、ラピスはなんとか気持ちを持ち直して言葉を返した。


「少し間ここでミーアの様子を見たい。必要になりそうな物を一通り用意してもらえるか?」


「すぐに用意させます」


「それとカインとリーナがこの件に関わってそうな奴らを王都に運んでる。そいつらを人目に付かないよう隔離と監視を頼みたい。カインとリーナにはこっち来るように。奴らの話は俺が直接聞くから悪いが手は出さないでくれ」


「……わかりました。ですが、尋問の際は立ち会わせてもらいますよ」


「ああ、それで構わない」


「では、私は戻って手配を」


「シャルルに宜しく言っといてくれ」


「ええ、では」


 騎乗し去っていくラピスの背中を見送った無月は着物の袖を揺らしながら塔の中へ戻っていった。



○●○



 無月が部屋に戻るとシアの肩を借りながら床から立ち上がるミーアの姿が在った。

 ミーアは左足に体重を預けて自身の右足を苦々しい顔で睨み、シアはそんなミーアを痛ましそうに見つめていた。


「繋がったみたいだな」


 無月の声に二人は顔を向ける。

 そしてミーアは無月の言葉を否定するように頭を振り俯いた。


「いや、全然だよ。まったく言う事聞きゃしない」


「当たり前だ。ももが拳一個分丸々無くなってるんだ、元通りに動くものかよ」


「じゃあ、ずっとミーアさんの足はこのままなんですか?」


 無月の言葉にシアが縋るような瞳を向けてくる。


「時間がかかるって話だ。喰らって治す、それしかないな」


「そのへんは人と変わらないんだねぇ」


 勿論、人と同じわけがない。彼女はもう妖しなのだから。


「阿呆、飯食って治すんじゃない。力を喰らって治すんだ」


「ん?」


「どういうことですか?」


ミーアもシアもイマイチ理解できていなようで首をかしげていた。


「妖しが身体を失うってのはその分の妖力を失うってことだ、失った分は力を外から取り入れて補う必要があるんだよ。例えば人を喰って霊力、こっちじゃ魔力か、を取り込むって具合にな」


 その言葉にミーアは悲愴、嫌悪、拒絶といった感情を混ぜ合わせたような表情を浮かべた。


「人を……食えと……」


 そのミーアの様子に無月はため息を吐き、右手の人差し指に牙を立て傷をつけるとミーアに近づき左手で強引にその口を開かせ血の流れる指を突っ込む。


「例えばと言っただろうが、お前の目の前に居るのが誰か忘れたかよ。ここの人間を百人喰らったとしても俺の血の一滴にも届かねぇよ」


 いきなり口の中に指を突っ込まれて目を白黒させるミーア。

 しかしそれも無月の血が舌を伝い喉へと流れ込んだ瞬間、まるで雷にでも打たれた様に目を見開き身体を硬直させる。

 そしてミーアはうっとりと目を細めると頬を上気させ、そっと無月の手首を両手で掴む。ミーアの舌が無月の指をねぶり血と唾液が混ざり合って、静かな部屋に水音が響いた。

 その光景にシアは絶句していた、浮かべる表情もその行動も普段のミーアからは想像できないほど妖艶なモノだったために。

 暫くミーアの好きにさせていた無月だが、何時までたっても手を離す気配のないミーアに苦笑いを浮かべてゆっくりと指を引き抜く。逃げる指を追いかけるようにミーアの舌先が伸び、血の混じった唾液が糸を引き無月の指が離れていく。


「あっ……」


 おあずけを食らった子供のような表情を浮かべてそんな声を漏らしたミーア。その様子に呆れ顔を浮かべた無月は傷口をひと舐めしてため息を漏らす。


「はぁ、……ミーア、血の味に取り憑かれたなんて話は勘弁してくれよ」


「へっ!?……あ、いや。うん、わかってる、大丈夫だ……」


 慌てながら返事をし俯くミーアのあまり大丈夫とは言えない姿に、無月は早まったかと思い頬を掻いた。


「……取り合えず、歩けるようになるまで此処に篭るぞ。ミーア、大丈夫じゃなさそうだったら血の代わりに魔物の肉をその口にねじ込むからな」


「そんなっ!!」


 神とすら渡り合う最古の鬼の妖力。

 まさに最上の妖力の味を知ってしまったミーアはどう考えて数段落ちるどころではないであろう魔物の肉を無理やりねじ込まれる自身の姿を想像したのか悲壮な表情を浮かべていた。


「……それだけは絶対にダメだ」


 小さく、しかし不退転の覚悟をもってミーアは呟いた。

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