我は鬼なり
「にぃさん、無色なんだろ。毎度毎度どっからこんだけの魔石持ってきてんだ」
換金のために魔石の入った袋をカウンターに置いた無月にギルド職員がそんな事を聞いてくる。
「どっからも何も森の魔物狩ってきてるんだろうがよ」
「冗談きついなぁ、いくら駆け出しが持ってくるような最下級品つったってこの量はちょっとないぜ」
「そんなこたぁ知らん、いいからさっさと換金してくれ」
面倒くさそうに答える無月に「へいへい」と職員は肩を竦め、袋を手に奥へ引っ込んでいく。
登録のためにギルドに初めて来た時は、無色を理由に登録を拒否され、周りに居た冒険者たちから身の程知らずと笑われた無月だが、連日大量の魔石を換金しにやってくるためギルド王都支部ではちょっとした噂になっていた。
そのため、周りから送られる視線も初日の嘲りの色は消え、訝しむような、探るような、そんなものへと変わっていた。
「ちっ!」
苛立ちを隠そうともせず舌打ちをするとカウンターに肩肘を付き憮然とした表情を浮かべる無月。
ここ数日の無月はらしくもなくイラついていた、原因ははっきりしている。
数に頼るだけで何一つ成長を見せない阿呆ども、姿すら見せず旗色が悪いとみるや尻尾を巻く腑抜けども、その昔に友を哂ったマシラと同じように他者を駒としてしか見ない下衆ども。
引き受けた『役』とはいえ、そんな者たちの相手をしなければならない現状に無月は苛立ちを募らせていた。
(一人や二人くらい気持ちの良い奴はおらんのかっクソが)
真正面から堂々、自分を打ち倒そうとする者。
他者に縋り続けた世界でそんな者を求めるのはミーアたちやシャルルというイレギュラーに出会ったしまったためか、だからこそ無関心、無感動に『役』をこなす事が出来ずに無月は苛立ってしまうのだろう。
マシラを思い出させるような輩に会ったのも原因の一端ではあるとしてもだ。
「よう、景気良さそうじゃねぇか。無色の無能がどうやったらそんなことが出来るのか、ちょっと俺たちに教えてくれねぇか」
カウンターの奥を睨みつけていた無月が振り返れば取り囲むようにして男女五人が立っていた。
(気を散らし過ぎか、それにしても下卑た目をする……全く、つまらん奴らしかおらん)
五人を見てそんな事を思いながら無月は口を開く。
「そんなことが知りたいのか、ならいくらでも教えてやる。いいか……魔物を狩って魔石を回収する、これ繰り返す。わかったか?わかったらとっとと行け」
そう言って野良犬でも追い払うように手を振って無月は五人から視線を外した。
監視の目もある、『役』も引き受けた、穏便に済ます必要はない。
だが、それ以前に鬼は気分屋である。
身を切ったシャルルに応えはしたが、興が乗らにない相手ばかりであったため今の無月は役割度外視でかなり素に近い対応であった、表面的にはそれで問題はないのだが。
「てめぇ、身の程ってもんがわかってな――」
「困りるよー、揉め事は」
カウンターの奥から無月の対応に当たっていた職員が魔石の代金を手に姿を現す。無月に絡んでいた五人。……そして無月に殺気を飛ばしながら。
「いや、お待たせしたね。確認を」
無月は不機嫌な顔で袋に入れられてたそれを確認し、殺気を受けた五人はすっかり青ざめていたが、中身を確認した無月は「……確かに」と言い、職員に視線を移し舌打ちをする。
「……殺気を引っ込めろ鬱陶しい、すり潰されたいか」
今の無月に配慮は『殺さない』ただ一点のみ、つまり生きてさえいれば良いのだ。
職員の放つ殺気がそよ風に感じられるような重く濃密な殺気がギルド支部に居た全ての人間の時間を止めた。
その殺気の発生源が目の前にいる職員の顔からは血の気が失せ、先ほどの五人に至っては白目を剥き意識を失っている。
「そこで寝てる奴らに言っとけ、身の程なら弁えてるってな」
無月はつまらなそうな顔でそれだけ言い残しギルドを出て行った。
○●○
「邪魔するぞ、姫さん」
「……ムツキ。こんな夜更けにレディの寝室に忍び込むのはどうかと思うのだけど」
窓から差し込む星明かりのみが照らす部屋の隅、唐突に影の中から現れた無月に無粋を咎める視線と言葉を投げたシャルル。
「あーすまんすまん、歩けるようになったんだな」
全く気持ちの入っていない謝罪の言葉を吐く無月にシャルルは思わず溜息が漏れる。
「……お陰様でね、今更だけどもう少し手加減してくれても良かったのよ?」
「ちゃんと防いでたじゃねぇか、魔法ってのは呪文無しでも使えるんだな」
「鎧に仕込んであるのよ。それより監視が付いてたはずだけど」
「ああぁ、路地で寝てる」
事も無げに一国の目を無力化した事を告げる無月にシャルルは苦笑いを浮かべながら肩をすくめた。
「はぁ……それで、ご用件は?もしかして私を食べに来たのかしら、魔物さん」
薄布一枚では隠しきれない起伏に富んだ体を星明かりに照らされながら誘うような表情と声音を無月に向けるシャルル。そんなシャルルに無月は実に楽しそうな笑みを浮かべる。
「ハハッ、これでも万ではきかない歳月を生きてきた身でな。さすがに子供相手には食指は動かんのだよ、お嬢ちゃん」
「……ホントっ、失礼ねよっ」
無月の返しに頬を膨らますシャルルに無月は肩をすくめる。そこからは沈黙が続く。
しかし、それも長くは続かずにお互い堪えかねたように肩を揺らし小さく笑い声を漏らした。
「で、ほんとにどうしたの?こんな時間に」
目尻に浮かんだ涙を指先で拭い、少し表情を改めたシャルルが再度無月に問いかけた。
「いやなに、ただの見舞いだ。昼間は来れねぇからな」
「そう、まぁ見ての通り回復は順調よ」
「なによりだ、それはそうと王様とのお話はどうするんだ。威嚇は十分だと思うが。いい加減鬱陶しいんだがな、視られるのも加減するのも。今日もギルドでちょいと揉めたし、また余計なもんが増えそうだし」
「いや……ギルドにまで手を出さなくても良かったんだけど」
「絡まれたから仕方なしに、だ。やりたくてやったんじゃねぇ」
「ふーん」と疑いの視線を送るシャルル。
「まぁいいわ」
「でぇ、こっからどうするつもりだ?」
そう無月が聞くとシャルルは途端に真剣な表情を浮かべて姿勢を正し、正面から無月を見据えた。
「その前に無月、確認させてもらいたいことがあるのだけど」
改まった態度でそう言ってくるシャルルに「なんなりと」と躍けて無月は返した。
「無月、貴方は……貴方は本当は神なのではないですか」
「んー、どうしてそう思った」
「あちらの神の事、召喚の事、世界の事、そのどれを話される時も貴方の言葉は支配する側に居る者のそれでした。ただの魔物の口から出る言葉とは思えません」
シャルルの言葉を聞き「なるほど」と顎を掻く無月。その様子に、そしてこれから語られる言葉を待ちシャルルはグッと身体に力を入れる。
「……こっちの物差しではそう見えるのか。んじゃ質問に答えようか。俺は神じゃない。鬼神なんて奴らもいないではないが俺は鬼。正真正銘の妖しだ。まっ、あっちの世界を管理する立場ではあるがな」
「ではやはり支配する側ではある、というわけですね」
「違う。支配じゃなくて管理な。俺たちは王や貴族のように他者を統べるわけじゃない、維持するだけだ。綻べば繕い、汚れれば清め、害あれば排除し、その姿を保つ、それだけだ」
「……しかし、それではミーアたちの件やこちらの世界を存続させる話はどういうことなのですか。こちらの人間が滅んでも構わない、こちらの世界が消えてもあちらの世界の管理者である貴方には――」
「関係ないなぁ」
シャルルの言葉を奪った無月はうっすらと口角を吊り上げる。
「だから俺は仕事じゃなく私情で動いてるだけだ、そこは話しただろ。まぁ厳密には仕事が全く関係ないわけでもないが、まっ私情が9で仕事が1ってとこか。この世界の中だけで事が完結するなら何も問題ないからな。召喚の件だけは仕事になるがそれも手伝い程度だ。他のことは全て私情だ」
「なるほど、仕事であるから私の意も汲んでくださり手を貸していただけたということですか」
どこかホッとしたような、それでいて少し残念そうな表情を浮かべるシャルル。
「いや、それは姫さんが身を切ったから応えただけだ。本当は選ばせるだけのつもりだった、言っただろ手伝い程度だって。俺は頼まれれば手を貸すだけ、その件で中心となるのはあんたらの神さ」
“あんたらの神”この言葉にシャルルは目を見開く。
「私たちの、神……創造主、イシス、様」
「そうだ」
「イシス様の御意志、では、私は……私の選んだ道は、間違いではなかったのですね」
大きく目を見開いたシャルルの頬に涙が伝う。
道を誤れば先にあるのは滅びの未来。その双肩に掛かる重圧はどれほどのものであったか。選んだ道の先に神の背がある、そのことにシャルルは心の底から安堵した。
「そうだな、姫さんは正しい道を選んだ、そしてイシスは最初の選択を間違えやっと正道に戻った。全く世話のかかることだ」
この世界において絶対者である創造神の選択を誤りとバッサリ切り捨て、呆れたように首を振る無月にシャルルはもう何も言うことができず涙に濡れた顔をそのままに苦笑いを浮かべるしかなかった。
「さて、聞きたいのはこれだけか姫さん」
「オニとは……貴方はなんなのですか」
苦笑いのまま問いかけるシャルルに無月は開こうとした口を閉じ思案顔を浮かべた後、不敵な笑みを浮かべながら名乗りを上げる。
「鬼とは力強き者、そして決して己を偽らぬ者。我が名は無月、世界と共に生まれた最古の妖し、月無き夜を造りし砕月の鬼なり。神も人も妖しも我が先に立つ者無し。シャルル=アルトニア、その涙に免じて今一度、お前の心に応えよう」
「この国に正しき道を示すために貴方様のお力をお貸しください」
床に膝をつき恭しく頭を垂れたシャルルに無月は鷹揚に頷く。
「我が力の全てをもって応えよう」
そうしてしばらくの沈黙の後、寝室には二つの笑い声が響いていた。




