鬼と人 其の四
【止まれぇっ!神無!】
「破っ!」
縛れないわけではない、しかし縛ったとしてもそれは一瞬。
「はあぁぁっ!」
「ちっ!グウッ」
神無を止めるには至らない。しかも、
【動くなっ!かんっ、ガァッ!】
「一々名を呼ぶな、お前に呼ばれるのは不愉快だ」
マシラは言葉を紡ぐことすら出来ない。無月と殴り合いが出来る神無の速さはその一言を許さない。皮を裂かれ肉を抉られ骨を砕かれる、一手ごとにマシラの巨体は己の血に染まっていく。
「ぐっ、お前らっ!何をしておるっ!!神無を殺せ!!!」
叫ぶマシラの声に事の成り行きを観ていた者たちが武器を手にし神無へ向く。だが、それ以上動く者は居ない。見せられた戦いは一族の者たちに疑うことを思い出させるには十分な衝撃があった。
「やはりな。他者の影に隠れて自ら動こうとはしない、貴様には他者を率いる器がない」
「おのれっおのれっおのれっおのれっおのれぇぇぇぇっ!!!人間がっ!人間風情がぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」
怒りに任せマシラは近くに居た者を力任せに握りつぶし神無に向けて一人二人と投げつける。
「――っ!この下衆がっ!」
無残な屍となって飛んでくる同胞たちを避けることなく受け止め神無はそう吐き捨てる。
しかし、この行動は神無にとって致命的な失態となる。
神無が屍を全て受け止めた、その瞬間を目にしたマシラは狡猾な笑みが浮ぶ。
【捕えよ】
「――っ!」
マシラの言霊に命じられ、物言わぬ屍たちは一斉に神無へとしがみつく。
【神無を殺せ】
次いで放たれた言霊に周りの者たちの目から光が失われ、神無に刃を向け次々と突っ込んでくる。神無と自分との間に同胞が居ようがその体を貫き神無へ刃を突き立てようと進むのみ。
多少の疑念が生まれたところで長きに渡る信奉、物心ついた時から己の全てを捧げてしまっている為に名を呼ばれずとも言霊はその力を十分に発揮していた。
「くっ、お前らっ、目を覚ませっ!グッッ!!」
「ハハハッ、無駄じゃ。お前が生まれる遥か昔からこの一族はワシに仕えてきた、あるいは約定を交わしたばかりの頃ならお前の声も届いたやもしれんがなぁ。既に埋められぬ程の時が過ぎておる、これから先にあるのはなぁ神無ぁ、一族を皆殺しにするか、己の死、だけじゃ」
「いや・・・まだあるぞ、貴様を滅ぼせば――」
「出来るかのう」
その瞬間、マシラの立っていた地面が柱となって天に伸び、マシラは勝ち誇った笑みを浮かべて神無を見下ろした。
「!!」
「最後に教えておいてやろうか、お前が見抜いた通りワシが力は妖力よ。だがな、神としての性も間違いなく在るのだ。ワシの持つ神性は山神、地を操るなぞ造作もない。神無、お前は詰まらん茶番と先に言っておったなぁ。だがワシにとっては実に愉快な茶番であったぞ」
頭上より聞こえてくる不快な声、同胞より向けられる刃を払いながら神無は森の奥に住まう鬼を思う。
(やはり我が一族、こんな奴より先に、お前に会えていれば。そう思うぞ、無月)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・
「終わったか、手間を取ら背負って。名も無き鬼の言葉にでも乗せられたか愚か者が、ワシの言葉のみ聞いておれば良かったものをなぁ」
ろくに確かめもせず寝座へと戻るマシラ。
しかし、日が昇る頃に屍の山の中に神無の死体は無かった。
○●○
「無月」
「神無っ!その傷はどうしたっ!!!」
血塗れの神無を見ていつになく慌てた様子の無月が駆け寄る。
「届かなかった、と言うところか。それより無月、あまり時が無い・・・始めようか」
酒の入った瓢箪を無月の胸に押し付けながら神無は笑っていた。
「莫迦を言うな!とにかく血止めをせねばっ」
そう言う無月の胸ぐらを掴み神無は笑みを絶やさず言葉を吐く。
「約定を忘れたか、無月。酒を持って来れば、いつでも相手になる、お前はそう言ったぞ」
「神無、お前っ」
「時が無いのだ・・・」
「・・・・・・・・・」
無月は神無の血に濡れた瓢箪を掴むとその中の酒を呷る。
「良い酒だ・・・」
離れたところの在る岩の上に瓢箪を置くと小さく「阿呆が」と呟き無月は神無へと歩み寄る。
「そういえば、もう一つ可笑しな約束をしていたなぁ、なぁ無月」
「可笑しいかは知らんが、確かにあったな」
「ははっ、可笑しだろう、負ける相手を決める約束など」
「そうかも・・・しれんなぁ」
「……その約束も今宵で終いにしよう」
「……ちっ!とんだ阿呆だな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
拳を構える人と鬼。
「すまんな、無月」
「阿呆が・・・」
死が其処まで迫っているその身で、文字通り命を燃やし拳を突き出す人。
悲しみに染まる瞳でその姿を見据えながらも、全力で応じる鬼。
最古の鬼と当代一の鬼殺し、深い森の奥で鬼と人の最後の宴が誰にも知られることなく始まった。
月明かりが照らす中、風が乱れ、鬼火が舞い、森には拳を打ち合う轟音と裂帛の気合と共に放たれる咆哮が響く。
「がはっ・・・はぁ、はぁ、あぁ、そういえば無月よ・・・」
「ふうぅぅぅ、なんだぁ」
互いに距離を取り最大限の緊張を保ち拳を向け合いながらも、交わされる言葉は親しい友に向ける様な、そんな声音であった。
「お前、何故俺に言霊を使わなかった?」
「神無、お前は俺を莫迦にしておるのか?」
神無の言葉に無月は片眉を釣り上げる。
「お前は酒に毒を盛ることも、手勢を連れてくることも無く、その身一つで俺に挑んできた。真正面から堂々と来る者を真っ向から叩き潰さずに何が鬼かっ」
無月の言葉に神無は声を上げて笑った。
「ハハハッ!そうよなぁっ!いやっ、悪かった。お前はそういう奴よなぁっ!」
「……ちっ」
「いやぁ、悪かった悪かった・・・では無月よ」
「・・・・・・・・・・」
これまでに無いくらいに神無の力が高まってゆく。
「見せてくれぬか、万象を掴む力というモノを」
「・・・・・・」
構えを解いた無月は静かに佇み風を掴む、風は雲を呼び寄せ、雲は雷を孕む。
無月は天に向け手を伸ばすと何かを掴むようにその手を握った。
「往くぞ」
「来い」
無月は握りこんだ手を振り下ろす、天から落ちる光の柱は轟音を従え、目も開けられぬ閃光で辺りを飲み込む。光が消えて後には佇む無月、そして地面に大の字に寝転がる神無。
「・・・・・・・・はぁ、神鳴すら掴むかよ。いやはや、かなわんなっ!」
「それを受けて喋れる奴が何を言うか」
「やれと言って耐えられぬでは格好が付かんだろうが。意地じゃ」
「意地、か・・・・・・ハハッ」
「……ハハハッ」
「ハーッハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ」
「ハーッハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ」
「お前はとんでもない阿呆よ、神無」
「お前も大概だと思うぞ、無月」
笑い合う鬼と人に天に集められた雲からシトシトと雨粒が落ちてきた。
「……何故じゃ神無」
「一族を、詰まらぬ柵から解き放ちたかった、その為の確かな力が欲しかった。まぁ、力だけでは足りなかったようだがな・・・それでこの様だ」
神無は今まで塞き止めていた物を吐き出すように語り出した。
「昔、我が一族はある者と約定を交わした。一族はその者に尽くし、対価として人を超えた力を受け取る、そういう約定をな。だが交わした者がとんでもない下衆でな、一族はいいように使われるだけだった。親父は奴のために国盗りの戦で死んだ、姉貴は奴の贄になった、御袋は姉貴が腕だけになって戻ってきた時に心を病んで何も喉を通らなくなってな、最後は枯れ木のような身体になって死んだ」
雨に濡れる顔を歪ませる神無、伝う雫は雨粒か、涙か。
「一族を解き放つ、なんて大きなこと・・・言ったがほとんどは復讐心からだ。死に物狂いで己を鍛え、鬼を討ち取り、俺の首を取りに来る妖しを殺し、最後に無月、お前を・・・最古の鬼を討てれば奴を、確実にやれる。そう思ってお前に挑んだ・・・・まぁあっさりやられ、ちまったがな」
「・・・・・・・・・」
無月はただ黙って神無の言葉を聞いた、身を裂く苦痛に耐えるような、そんな顔をしながら。
「結局、何もかも半端で終わりか。一族の解放も・・・復讐も・・・お前との約束も・・・お、俺は、何も、何も成すことが、出来なかったっ」
「神無・・・・・・」
「なぁ・・・・無月、よぉ・・・・お前に、お前に先に・・・・会えていたら・・・・俺も、一族も・・・・違った道を、歩めて・・・・・・・いた・・・・かも、しれぬなぁ・・・・・・」
雨の中、逝ってしまった友の傍らに立つ鬼の頬には雨粒ではない雫が伝うのだった。
○●○
日が沈み月が照らす集落に無月は足を運んだ。
「おっ鬼じゃっ、鬼が襲ってきたぞぉぉぉぉっ」
見張りの一人が集落の中へ叫びながら走っていく姿を見送りながら誰に言うでもなく言葉を吐いた。
「さて、力の残り香を辿って来たものの・・・名を聞いてなかったわ、神無に聞いておけばよかったか」
そう言ってから無月は頭を振る。
「……今更か。そこの、貴様らの主に用がある。居るか?」
自身に槍を向けている、もう一人の見張りの男に無月はそう問うた。
「鬼めっ!こ、殺されたくなけれ――」
「答えよ」
「っ!マ、マシラ様がお、御座すはこの集落ではない」
「何処にいる」
「し、知らない。しっ、知っているのは、ちょっ長老だけだ」
「案内しろ」
「こっ、こっちだ」
男は自分自身の言動が理解できないといった表情で歩き出す。
理性では無月の言葉に抗うが、もっと深いところで逆らうことが出来ずにいる。それが理解できず男は困惑しながらも長老のもとへ歩いていく。
「そう言えばマシラというのか、お前らの主は」
「そ、そうだ」
「……マシラ、猿か」
そう呟いた瞬間、無月の存在感一層強くなる。
「っ!!マっ、マシラ様にっ、鬼が・・・なんの用だっ」
「ん?、あぁ、神無のことでな・・・」
「神無!、ではっ・・・お前が神無の、言っていた鬼。無月か」
「死にかけの体と最後の言葉で何があったかは見当が付くが、それがどういったモノだったかを見定めに来た・・・だが、どうやら正面からやり合ったわけではなさそうだな」
集落の広場に入った無月の前には濃い血の匂いが漂い、無残に切り裂かれた屍の山が在った。
ギリっと牙を鳴らした無月は男に問う。
「何故っ!、何故っ!!弔ってやらぬかっ!」
無月の怒気に顔面蒼白となった男は息を詰まらせながら、必死にその問いに答えた。
「マシっ、マシラ様が、傷を癒すために、あの者たちを献上せよとっ」
それを聞いた無月が発したのは天を揺らすほどの怒声。
「まあああああああああしいいいいいいいいいいいいいらあああああああああああああああああっっっっ!!!!!!!」
「なんじゃっ!喧しいのぉ。妙な気配があったから来てみれば妖し風情がワシに何用じゃ」
無月の神経を逆撫でする不快な声とともに現れた大猿、その顔を睨む鬼の目には烈火の如き怒りの炎が揺らていた。




