嵐の神
『何を考えている、無月?』
宛てがわれた部屋で横になった無月が手にしている指輪から聞こえてくるその声は、静かなものだが抑えきれない壮絶な怒気を纏っていた。
返答次第では声の主は嵐のように猛り狂うだろう事が容易に想像できるほどに。
いや、指輪の向こう側にいる相手を考えれば嵐のようにではなく嵐となってと言ったほうがいいだろう。
「俺の考えは今言っただろ、召喚術式さえ無ければこの世界は他世界への干渉が出来なくなるんだ。それで問題ないだろ。須佐」
建速須佐之男命。
かつて山を枯らし、海を乾した荒神、神威を称えし建と速をその名に持つ荒々しき嵐の神、八頭の大蛇を屠りし鋼。
そんな神を相手に無月は自分の意思を通すために説得の真っ最中だった。
『お前が命を賭けるほどのモノかっ、その世界ごと消えるかもしれんのだぞ!』
「友のために命を懸ける事は可笑しな話でもないだろ」
『イシスを……あの莫迦を友と呼ぶのか?』
「今、俺が友と言ったのは天照大神よ。イシスはお嬢のお気に入りだ、月読に推すほどにな」
『ハッ!姉貴のためにあの莫迦を庇うってのかっ』
「そうだ」
『無月、あの莫迦はそれだけの事をやったんだ。それを諫められなかった姉貴がいくら悔やもうとそれは姉貴が負うことであってお前が気にかけることではない!』
「・・・・」
その言葉に無月は指輪を握り込みギュッと両目を閉じるとその拳を額に押し付ける。
『無月っ!』
須佐能の声に無月は深く息を吐きそれに応える。
「……須佐。俺はな、もう見たくないんだ。友のあんな顔を」
『いつかの、人のことを言ってるのか?』
そう聞いてくる須佐能のこの言葉には答えず無月は別の言葉を返す。
「須佐、イシスは世界を創った神だ。そいつが必ずやるって言ったんだ、少し待つくらいは構わんだろ。……なぁ須佐よ、世界なんてものは消さずに済むならその方が良いんだよ。お前だってそれは分かるだろ」
『ふんっ……後始末の手間と時間を考えればその世界の問題を解決したほうが楽なのは分かっている!』
須佐能は問いに答えない無月に機嫌を傾けるがそれ以上聞き出そうとはしなかった、そこにどういった憶いが在るかを知っているが故に。
だが無月は、はぐらかすつもりも口を閉ざす気もなかった。
「……神無は悔いていた。そうなっちまう前に察してやることができなかった、あの時、俺は何もできなかった。俺はあいつを笑って逝かしてやることができなかった」
『・・・・・』
「須佐、お前の言う通りにしてそっちに戻ったら俺はもうあいつの前に立てなくなる。出来ることはある、だがそれをせずにいたらあの時と何も変わらない。お嬢に・・・友にまたあんな顔をさせてしまったら俺は神無に合わせる顔がない」
無月が言い終えるとその場は静まり返った。
傍には月読も居るはずなのだが終始沈黙を守り、口を挟むことはしなかった。
須佐能と無月の付き合いは長い、それこそ人がまだ力を使っていた頃からの話だ。それは月読や天照も同じだが。だからこそ知っている、無月が『友』という言葉を軽々しく使わないことを。
『無月よぉ……お前が俺らを友と思ってくれていることは分かっている。しかしそれは俺たちだって同じだ。だからこそお前が命を賭けるなんてことにわかったと頷ける訳無いだろ、姉貴だってそれは同じだ』
無月の言葉で頭が冷えたのか須佐能は幾分落ち着いた声で無月に語りかける。
『無月、その世界が消えたところで姉貴が死ぬわけじゃない。お前が世界と共に消えるかもしれない、そんなリスクを負うことはねぇんだ』
「だから世界を消す話を呑めというのか、須佐」
無月は落ち着いた静かな声で須佐能に言葉を向けた。
『ああ、そうだ。その世界はこれから何が起こるかも予測できんほど歪んでいる。最悪、召喚の話を抜きにしても自壊することもありうる。こちらから強引に呼び戻そうにも道が正しく繋がるかも怪しい、出口の複数ある迷宮と同じだ。どこに出るかわからん。だからまず内部をさら地にしてから外壁を壊しこちらに通じる出口を作る、そうすれば確実にお前をこちらに連れて帰れる』
「それを呑めというのは出来ん話だ」
『無月、時間が経つほどお前の身が危うくなるんだ』
「イシスは天照大神が見込んだ女だ、そしてイシスはやると言った。その言葉を疑うのは天照大神を疑うということだ、友を疑うなんてみっともない真似はできんな。まして、ほっといたら消える恐れがあるなら尚更だ。そんな状態を放置したままでは帰れん」
そこまで言うと無月は神を相手に有無を言わせぬ口調で語る。
「我が身可愛さに逃げ帰るなんて無様は死んでも出来んっ!この世界は消えないっ、イシスは召喚術式の破棄と世界の修復をやり通すっ、自壊が起きると言うならっそんなモノは俺が抑えてやるっ!!我が身に宿るは万象を掴む力、そこに在る事象なら何であろうとねじ伏せてやるわっ!!!」
『ちっ……どうあっても聞く気はないのか』
無月の言葉に舌打ちした須佐能は諦め混じりに確認する。
「強き力を持つからこそ吐いた言葉は曲げぬ、それが鬼の矜持よ」
『はぁ……わーったよ!好きにしろっ莫迦がっ!』
そう叫んだ須佐能に無月は先ほどとは違い、親しみを込めた声で応じる。
「案じてくれたことは素直に嬉しく思ってんだぜ、須佐。ありがとな」
『そう思うなら生きて戻れよっ!』
「あぁ、必ず」
『その言葉、曲げるんじゃねぇぞ』
「当然だ」
『ふんっ!じゃーなっ!』
「あぁ、またな。月読、そっちは頼んだ」
『任せておけ。ではな』
そして通信が切れた指輪を眺めながら無月は静かに呟いた。
「すまんな、須佐。それでも神無が命燃やして挑んだ鬼が保身を選ぶような、そんなつまらん奴にはなれんのだ」
○●○
「ちっ!莫迦がっ!」
そう吐き捨て部屋を出て行こうとする須佐能の背中に声を掛ける月読。
「須佐、わかってると思うが」
「わかってるよ、兄貴。短慮はしない、大黒の爺のとこに行ってくる。手ぇ出さないように言っとかないとな・・・」
足を止めた須佐能は振り向くことなくそう応えた。
「私もこちらから手助けできないか考えておこう」
「ああ、頼む。じゃあな」
そう言って須佐能は月読みの部屋を後にした。




