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【競演】バス旅行

作者: 田中せいや

第五回SMD競演参加作品。

ジャンル:ファンタジックホラー

お題:旅行

 バス旅行がなつかしい。ここ二十年、していない。やめた会社の社員旅行がさいごだ。おもいだすなあ。

 窓の外は海か山だ。ピチピチの制服を着たガイドさんが、左側最前席でこちらをむいて立ち、独特のイントネーションと手振りで、名所旧跡の特徴や由来を説明する。「右手にみえますのが」「左手奥のほうをご覧ください」「あ、前方にみえてまいりましたのは」……。たいてい白い手袋をしている。景色に飽きると、幹事が音頭をとり、カラオケやしりとり、ビンゴゲームなどをやる。ちょっとした景品が用意されている。レクリエーションに疲れると、バスの前方、通路のうえにあるテレビにビデオが挿入される。『男はつらいよ』『釣りバカ日誌』『トラック野郎』あたりが定番だ。最後列の席は酒好きな連中が陣取っている。ひたすら飲んでは、べろんべろんになってドンチャン騒ぎをしている。「トイレ駐車まだ~」「もれちゃうよ~」「おれもう限界」などと叫びながら、ペットボトルに用を足すやつもいる。

 そんな雰囲気に浸りたくなっていたところ、たまたま会社帰りに寄ったおもちゃ屋で、『疑似体験ソフト』なるものをみつけた。九八〇〇円のところ、なぜか半額の四九〇〇円にまけてもらえるということで、ちゅうちょせず買ってきた。ふだんはブスッとしているおやじだが、気前のいいところもあるのにはちょっとおどろいた。

 キット付きソフトはけっこう重かった。メロンの箱よりちょっとおおきいダンボール箱。掘りごたつの天板のうえに置き、開封すると、ヘルメットのようなものとDVD、それと薄い説明書が入っていた。説明書にざっと目を通し、さっそく始める。

 前もって立ち上げておいたノートパソコンにDVDをセットする。そしてヘルメットをかぶる。ヘルメットには、一体型のサングラスのようなものと、インカム式のマイクが付いている。ライダーマンの変身ヘルメットに電人ザボーガーの操縦マイクが付いた形態、をおもいうかべてもらえばわかりやすいだろう。(え、例が古い? こりゃ失礼)。ヘルメットとパソコンは無線でつながっている。サングラスの右端、こめかみの部分にスイッチがある。オンにする。

 目の前がパッと明るくなった。つづいて、真っ白い画面の中心に(株)任点堂のロゴマークがあらわれた。こちらに迫ってくる感じでだんだんおおきくなり、画面いっぱいに広がって消えた。そのあとに『お化け屋敷』『バス旅行』『地底探検』『宇宙旅行』……など、3×3=9個の赤い文字があらわれた。画面下で『選択してください』の緑の文字が点滅している。オンオフスイッチ下の選択ボタンで『バス旅行』にあわせ、その下の確定ボタンを押す。


 からだが細かく上下振動している。バス車内のコールタールのような独特なにおいが鼻をつく。わたしは観光バス内の真ん中よりちょっとうしろの、右の席の通路側にすわっていた。みんなでカラオケをやっているようだ。社内旅行らしい。首をめぐらすと、それにあわせて景色も変わる。自分の手足やお腹もみえる。窓の外は、右側が山の斜面で、左側は海だ。海は太陽の光を反射してキラキラとまぶしい。ぽつんぽつんと浮いているのはヨットだろう。季節は夏のようだ。車内に目をもどす。男女とも二十人くらい。ふたり用シートにほとんど同性どうしですわっている。左前方の女性が松田聖子の赤いスイートピーを歌っている。モノマネにちかい。バスが振動するたびに声が震え、ときどきマイクがキーンとハウリングをおこす。

「かむ?」

 となりの席から腕が伸び、ガムが差し出された。五十歳くらいの髪を七三に分けたまじめそうな男性だ。「あっ、どうも」あたまを下げながらつまんで、包装紙を剥き、くちに入れる。梅の味だ。男性はそれ以上話すわけでもなく、窓外の景色に顔をむけた。

 通路をはさんで左横、窓際の女性が窓を数センチあけた。潮のかおりをふくんだ風が入ってくる。波の音もかすかに聞こえてきた。

 わたしにマイクがまわってきた。口中のガムを銀紙に包み、前シート裏側についている灰皿に捨てる。十八番の長渕剛の乾杯を歌った。けっこう盛り上がった。自慢じゃないが歌はまあまあだ。余談だが、むかしスタ誕の地方予選に出て落ちた。歌っている途中、わたしは急に冷静になり、(自分はいま、アパートの一室で大声で歌っている。しかも夜中だ。近所迷惑になるかも)とおもった。しかしみんなが体を左右に揺らして聴き入っているのをみていたら、そんなことはどうでもよくなった。

 カラオケのつぎは、なぞなぞを出しあった。「うえは工場、したはクズ置場。なーんだ」「はーい。鉛筆削り」「電線にとまっているスズメを鉄砲で撃ったが落ちません。なーぜだ」「はーい。根性があったから」「ペコちゃんは小川を渡れるでしょうか?」「渡れませーん。跨げ(股毛)ないから」そのあとはビンゴゲーム、かくし芸、コーラの一気飲み競争とつづき、みんな疲れたころ、「男はつらいよ(マドンナは松坂慶子)」のビデオ観賞になった。ほとんどの人は寝入っているようだ。わたしも眠くなってきた。

 ううう……。息苦しさに目を覚ました。目をあけると、となりの男性の顔が間近にあった。ガムをくれた七三分けだ。わたしの首を絞めている。

「な、なんだあぁぁ……」

「死ねえ!」ものすごい形相だ。

 うでを振りほどこうにも、からだが動かない。うしろの席のやつに両手首をつかまれているらしい。

「や、め、ろぉぉ……」

 男性の顔がさらに近づいた。「おれがだれだかわからねえのか、このやろう」首を絞めている手がすこしゆるんだ。「おもちゃ屋のおやじだよ。へへへ」

「な、にぃ……」そう言えば見覚えがある。

「いつもひやかしにきやがって。買いもしねえくせに、いつまでも店内をぶらぶらしやがって。気に入らねえ。だからぶっ殺す」

「ぐえええ……」そ、そんな理由で……。目が血走っている。締め上げる力が強くなった。く、くるしい……。意識がうすれていくなか、ふと冷静になる。わたしはいま、アパートの自室にひとりでいる。首を絞める人間なんていないはずだ。それなのにどうして苦しいんだ? その疑問に答えるように男がいった。

「おまえはいま、催眠状態になって息をとめてるんだよ。あっはっは。死ねえ」

 なんとかしなければ……このままだとほんとうに窒息死してしまう。車内のほかの人たちはなにをやっているんだ? 傍観しているのか。助けてくれないのか。待てよ。ほかのみんなはタダのダミーなのか。感情をもたない飾り物なのか。じゃ、うしろのやつはどうなんだ。こいつもダミーなのか。いちかばちか言ってみる。

「ううう……、うしろの、やつ、手を、はなしたら、百万、やる」

 はなした! 自由になった両手でくびにかかった男の手をふりほどきにかかる。だめだ。はなれない。男のあたまをおもいっきり突き飛ばす。

「ぎゃっ」

 男の手がゆるんだ。よし、ふりほどけた。席を立って通路に出、前方に走る。「きえええええ」男が奇声を発しながら追いかけてくる。わっ。あせって足をすべらせ、前向きにたおれる。四つん這いになって逃げる。「きええええ……」男の声が真上で響いた。跳びかかってくる。ああ──。

 男の叫び声がぷつりと途切れた。恐るおそる顔を上げる。いない。右にも左にも、前にも後ろにも、そして上にもいない。消えた。わたしに覆いかぶさったしゅんかん、男はいなくなった。どうして? 男もダミーだったのか? とにかく助かった。すわりこんだまま呼吸を整える。


 そっとヘルメットを脱ぐ。さいしょからこうしていればよかったのだ。

 わたしは台所のテーブルの下にいた。パソコンがある茶の間からは、障子を挟んで三メートルくらい離れた場所だ。障子におおきな穴があいていた。唾を飲み込むと梅の味がした。


 翌朝、通勤途上に、サイレンを鳴らして走る救急車とすれちがった。すこし行くと、アパートのまえにパトカーがとまっていて、人だかりができていた。近づいて、みると、駐輪場と植え込みのあいだのコンクリートが赤黒く染まっていた。近くに真っ二つになったヘルメットが転がっている。あのゲームのヘルメットだ。さっき運ばれていったのは、おもちゃ屋のおやじかもしれない。みあげると、アパートの四階の網戸がはずれている。わたしを追いかけていて、あそこのベランダから誤ってダイブしたんだな。バカなやつ。四階か。落ちて助かるかどうか、微妙な高さだ。

 きびすを返し、歩き始めると、背中をつんつんされた。

 ふりむくと、元妻の笑顔。

「約束よ、百万円」


<了>

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