六
夕日も完全に山に隠れ、紫色の空が辺りを包み始めた頃、突然肩を叩かれ、思わず振り返ると、そこには片桐が居た。Tシャツに膝までの丈のズボンと、随分ラフな格好の片桐の手には、竹で作ったホタル籠。
「どうだ、綺麗だろ? 俺があそこで作ったんだぜ?」
片桐は自慢げにホタル籠を見せる。片桐が示す先には「ホタル籠を作ろう!」と大きく看板が掲げられたテントがあった。
片桐の持っているホタル籠には不自然なところは全くなく、バランス良く綺麗に仕上がっていた。
「あんた、手先だけは良いよね」
悠子の嫌味っぽい口調に、片桐は、
「だけってなんだよ」
口を尖がらせて子どもっぽく言い返せば、
「あそこの主催者が俺の爺ちゃんでさ。俺に対してはすっごい丁寧に教えてくれたんだ」
「へえ、そうなんだ」
「なぁ、俺、結構蛍が見える穴場知ってんだけど、一緒に行かねえ?」
片桐はそう言うと、用意周到にコンパクトサイズの懐中電灯を三つ取り出して見せた。
「あ、いいね」
「え、大丈夫なの? 中学生三人だけで行っても」
「すぐ近くだし、男が居るし」
「ばか。頼りになんないって」
「うるせー、この筋肉見ろよ」
そう言って、片桐は、腕を曲げ上腕の盛り上がった筋肉をぽん、と叩く。思ったよりも、片桐の腕は骨骨していて、血管が浮き出ていた。
「そそ。もし、車に轢かれそうになったら、片桐を盾にすればいいし」
私がにっ、と笑いながらそう言えば、片桐が振り返り、
「俺を殺す気かよ」
苦笑しながら首を振る。
「えー? 筋肉もりもりだから、車くらい弾き返しちゃうでしょ? あたし、幼稚園児が弾き返してんの見たことあるよー」
「え? マジで?」
片桐が驚いた表情を見せ、悠子は吹き出した。
「穂波、それ、マンガの話じゃない」
片桐は驚いた顔を、呆れ顔に変えると、
「何だよ、本気にしたじゃねえかよ」
「いや、もしかしたら、作者の実話かもよ?」
「ないない」
悠子と、片桐の声が重なった。悠子は肩をすくめながら、春平は呆れ顔のまま首を振りながら。
「ひどい」
私はむぅ、と口を尖がらせる。
嘆くつもりで、空を見上げると、透明な月を取り囲むように、数え切れないほどの星が広がっていた。
*
穴場は本当にすぐ近くだった。けれど、祭りの騒がしさは消えて、しん、とした空気が広がっている。耳がぼうっとするほど静かだ。
「この橋の下だよ。段差あるから、気をつけて」
そういうと、片桐は懐中電灯をかざす。手すりもあるし、そこまで急でなかったから、容易に降りることが出来た。段差を降りて、橋の下まで来ると、懐中電灯を消す。
一瞬の暗闇に光が見えた。そして、それは、何百という数となり、辺りを照らす。
まず最初は歓声だった。ぼんやりとした光が四方八方に飛び回る。ホタルが乱舞するというのは、まさにこんなことを言うのだと思った。
まるで、夜空に放り投げられたような、そんな心地がした。暗闇の中、星が自由に飛んでいる。一つひとつが自分を主張して、光り、輝いている。
片桐が唐突に口を開いた。
「こんだけいっぱい飛んでんのに、二週間ぐらい経ったら、全部死んじまうんだよな」
片桐の横顔は、暗闇に溶けて、殆ど見えない。私は、片桐に返事をしようか迷ったけれど、
「ごめん、独り言」
そう小さく呟いたから、片桐は返事を求めていないんだと思って、返さなかった。それは悠子も同じだったようで、じっと、飛び回るホタルを見続けている。
片桐の手にはずっとホタル籠が握られていたけれど、ホタルを捕ろうとはしなかった。
私たちの寿命は、ホタルに比べたら何十倍も長いけれど、たぶん、あっという間に過ぎ去っていくんだろう。高校生になって、大人になって、結婚して、おばあちゃんになって。その時間の中で、嫌なことも、楽しいことも、どんどん忘れていくのだと思う。鈴ちゃんへの不満も、今は最近のことだけど、いつかは、ずっと昔のことになって、忘れてしまう。
でも、今、この一瞬だけは、目に焼き付けておこうと思った。
中三の六月に、私の目の前で乱舞する、このホタルだけは。
*
「あー、綺麗だったなー」
帰る途中、もう何回目になるか分からない言葉をまた口に出す。
「また来年も見れたらいいね」
悠子も決まり文句のように、同じ言葉を返した。
そんな時、片桐が唐突に指をさした。
「あれ。職員室、灯りついてない?」
「あ、ほんとだ」
悠子が少し背伸びをする。
「鈴ちゃん居るんじゃない?」
片桐が目を細める。うそ、と私も目を凝らすと、鈴ちゃんの青い大きな車が目に入った。私たちをバドミントンの練習試合に連れて行くために買った、大きな車。
「俺、ホタル籠作ってた時に見たんだ。鈴ちゃんが、職員室の前で、一人だけ座りこんで煙草吸ってるの。マジ、見てらんない感じだった」
片桐いつもの口調でそう言うと、思い出したように腕を掻いた。
「なんかさ、俺、蚊に刺されちゃったっぽくてさ。ちょっと、職員室に虫さされ借りてこようかなー、なんて」
「つまり、職員室行って鈴ちゃんに会いに行こうぜ、と。そう言いたいわけね?」
悠子は、遠まわしな言い方やめてよ、と皮肉げに言えば、肩をすくめた。
「柏餅、持っていこうかな」
私は手の中にある柏餅に目を落とす。柏餅は二パック買っている。一箱ぐらいあげても、親に怪しまれることはないだろう。
「おぉー、ホナミン、太っ腹」
「ホナミン言うな」
私はいつもの調子で突っ込む。片桐はへらりと笑いながら、いつものように『ホナミン』を連呼した。
「じゃ、行こうか」
片桐の言葉に、悠子は少し躊躇するような表情を見せたが、小さく溜め息を吐いて、仕方ないなあ、なんて言いながら歩き出した。
祭りの騒がしさが遠くで聞こえてくる。さっきまであの騒がしさの中に居たのに、もう随分前のことのように思えた。
「穂波、行こう」
「うん」
暗闇の中ぼんやりと光る職員室を目指し、私は一歩を踏み出す。
このお話は実話に基づいたフィクションです。
出てくる登場人物は殆ど身近に居る人をモデルにしてます。
起こったこともちょっと脚色を加えていますが、実話なので、ちょっとでも共感してもらえたら嬉しいです。
終わり方が中途半端なので、続編も書けたら書きたいなあ。
何はともあれ、ここまで読んでくださる方が、一人でも居れば光栄です。
感想や評価をいただけると嬉しいです。




