四
うちの地域にはホタルが出ることで有名だ。ホタルを祝う祭りだってある。題して「ホタル祭り」。……そのまんまだけど。そのホタル祭りが明日ある。会場は、この中学校のグラウンド。そのこともあって、担任から、簡単な説明と注意が促された。
「ホタル祭りには他の地域から来られる方々もたくさん居ます。自分達も地域の住人だということの自覚を持って、行動しましょう」
はい、と一応返事をする。別に、この辺りで問題行動を起こす奴なんて殆ど居ない。此処は世間知らずの良い子ばかりが集まった学校だから。
帰りの支度をしながら、ふと、悠子に話しかける。
「悠子はさ、ホタル祭り、行くの?」
「あぁ、行くよ。だって、土曜日の夜って特別することもないしね」
「そうなんだ」
「そんなことより、今は部活のことで頭いっぱい。まさか、あのときの言葉、真に受けられるとは思わなかった」
悠子は頭をわしゃわしゃと掻く。一年生が全員部活に来なくなるなんて、初めてだ。
「部長どんまい。昨日の言葉を撤回して、“バド部に残ってください、お願いします”って頼み込むしかないね」
ぽん、と肩を叩くと、悠子はうらめしそうに私を見た。
「穂波、あんた、裏の部長でしょ? 頼み込むのはあんたの仕事」
「いや、だから、意味が分かりません」
こんな悠子の理不尽さは鈴ちゃんに似ている。何だかんだ言って、悠子と鈴ちゃんは似たもの同士だ。
「あの……先輩」
突然後ろから話しかけられて、ふと、振り返る。そこには、一人の一年生の姿。バド部のナツちゃんだ。小さくてソバカスの散る白い顔が、おずおずと私たちを見上げる。
「えと……、今日、部活、しても、いいですか……?」
どんよりとした悠子の顔が、ぱっと輝いた。
「勿論! むしろしてよ!」
全く、変なところで意地を張るくせに、こんなときはバカ正直だ。でも、頼み込む相手が一人減ったことには変わりない。
ナツちゃんも、その言葉に心配そうな表情が解れて、はい、と小さく頷いた。
今日来た一年生はナツちゃん一人だけ。気弱そうに見えて、こんなとき一人でもちゃんと来るなんて、度胸がある。
ストレッチを済ませ、体育館の周りのランニングしていると、一番来て欲しくない人が来た。ナツちゃんの顔も瞬時に引きつる。
鈴ちゃんだ。
鈴ちゃんは、ナツちゃんを見て、一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに、目を逸らした。
あれ……? 何か言うと思ってたのに。
「集合ー!」
悠子のかけ声に、はい、と返事をし、鈴ちゃんの前にすばやく並ぶ。
一年生のことについて、何か触れるのかと思っていたけど、鈴ちゃんは、そんなことは全く知らないとでもいうように、練習ノルマを言う。
「よし、じゃあ、まずは基礎打ちをしよう」
悠子がすかさず、す、と手を挙げる。
「……先生。今日、一年が一人なんで、ペアが一人足らないんですけど?」
「構わん。お前らは、早く基礎打ちを始めなさい」
構わんって……?
さすがの悠子も怪訝そうな表情を見せた。鈴ちゃんは、それ以上言うことはない、とでも言うように口をへの字に結んでいたから、不審に思いながらも悠子と基礎打ちを始める。
ナツちゃんは、どうしたらいいのか分からず、ただおろおろするばかりだ。鈴ちゃんもそんな一年生の姿が見えないとでも言うように、無視をしている。
様子がおかしい。こんなこと、予想外だ。
五分ぐらい経っただろうか。やっと、鈴ちゃんが口を開いた。
「何か、言ったらどうだ」
鈴ちゃんの語調は暗く脅すような響きがあった。その台詞はナツちゃんに向けられているものだというのは容易に察することができる。
しばらくの沈黙。否、私達が打ち合っていたから沈黙ではないけど。沈黙にありがちな、ずっしりと重い雰囲気が体育館に満ちた。
しばらくして、ナツちゃんの啜り泣きが聞こえてきた。あーあ、泣いちゃった。心の中ではそんな冷めたことを考えているのに、その反面、自分が焦っているのが分かった。
鈴ちゃんは、この学校の教師の誰よりも理不尽だけど、誰よりも生徒に対して一生懸命だ。だから、どんな鈴ちゃんの理不尽さにも耐えられた。なのに、どうして。何だかんだで受け入れるのが、鈴ちゃんじゃないの?
すると、鈴ちゃんが、うんざりしたように溜め息を吐いた。
「僕な、お前等の、そんなところが嫌いなんだ。反応を待って、自分から動こうとしない。それで泣くなんて、甘えていると思わないのか?」
鈴ちゃんは当然のように言う。
全部、お前が悪い。
確かに、一年生は悪い。でも、それでも来たナツちゃんはむしろ褒められるべきだと思う。この集団の中で、一人だけ違う行動をとることが、どんなに勇気がいることなのか、鈴ちゃんは想像できないのだろうか。
「お前なんか、此処に居る資格はない」
鈴ちゃんの言葉の響きが胸にぐんと迫ってきて、慌てた。その時。
ばしん。
大きい音が体育館に響く。それは、シャトルが強く床に叩きつけられた音だった。そのシャトルは、面白いぐらいに跳ねて、私の足元に転がる。此処まで強く叩きつけられるのはこの中では一人しかいない。
悠子だ。
「そんなことを言う資格もないと思いますよ、先生」
悠子は笑っていた。でも、その発する言葉一つ一つには怒りが滲んでいた。
そうだ、あの時もそうだった。
『穂波さんって、なんで此処入ったの? あんたのプレーみてると、気が散るんだけど。もう、来ないでくれる?』
先輩の言葉。周りでクスクス笑う。他の先輩も、まるでそう言うことが正義かのように口々に言う。「正直、邪魔」「うざい」。
私は俯いて、はい、とも、いいえ、とも言わず、ただ、涙を流さないように唇を噛んで耐えた。そんな時、悠子は先輩に対して笑顔で言った。
『先輩にそんなことを言う資格、ないと思うんですけど』
悠子は先輩に気に入られていたから、勿論同調するほうが楽だったはずだ。その先輩に逆らってまで私を庇ってくれた。悠子はそのまま振り返って私を見たとき、いつもと変わらない笑顔で言ったのだ。
『穂波がやめたら、私が一人になっちゃうじゃん。だから、やめないで』
私は、悠子の言葉があったから、このバドミントン部を続けているのだと思う。
悠子は、バドミントン部の部長以前に、私が心を許せる、友達なのだ。
「みんな、今日の部活はこれでおしまい。一年はカーテン、二年は、二人モップで、残りでネット外すの手伝って」
振り返った悠子の声は有無の言わさぬ口調だった。部活を始めて、まだ三十分も経っていない。しばらくの沈黙。鈴ちゃんも、ナツちゃんも、二年生も、誰も口を開かない中、私が口を開いた。
「ん、分かった」
私の声を聞いたとき、悠子の表情が、ふ、と解れた。ナツちゃんも、二年も、それぞれ片付けをするために動き出す。
その間、鈴ちゃんは、ずっと黙っていた。その時の表情は、怖くて、見れなかったけど。
片付けをして、ストレッチをしていると、鈴ちゃんは静かに帰っていった。その後姿を、悠子は食い入るように、じっと見つめていた。




