三
昼休憩になり、職員室へ向かうと、鈴ちゃんに似合わず、組んだ手を額に乗せ、溜め息を吐いていた。鈴ちゃんの机の上には、バドミントンの本が五・六冊積み上げられている。鈴ちゃんはもともと、この学校に来るまでバドミントンのルールさえも、全く知らなかった。時々鬱陶しいときもあるけど、鈴ちゃんは、必死なのだ。きっと、それはみんな分かっている。
鈴ちゃんは私に気づいて、隣の事務員の先生の椅子に座るように促された。
鈴ちゃんと二人きりの会話は、やっぱり少し緊張してしまう。職員室が先生達の会話や、パソコンのキーボードを叩く音とかで騒がしいのが救いだった。相談室で、とか言われたら、多分、心臓が持たないだろう。
「穂波さんは、どうして後輩に注意出来ないんだ?」
鈴ちゃんは問う。鈴ちゃんは真面目に話している。「私が心優しい先輩だからです」なんておどけて言える雰囲気では無かった。
――『ちゃんと肩を入れてクリアが出来ているのは悠子さんだけだな』
突然、鈴ちゃんの部活中に発した言葉が蘇る。そして、その言葉を言われたときの感情も思い出した。鈴ちゃんは、いつでも悠子を褒める。私は二の次で、一・ニ年と同じような扱い。それが、嫌で悔しくてたまらなくなってしまう。
「私が一年のとき、先輩にキツく言われたことがあって。その時、すごく嫌な気持ちになったから。……先輩になったら、そういうの、ナシにしようって思ってて……」
最後の方は声が震えた。鼻の奥がつん、として、不意に涙が出そうになる。
何、本気で話してるんだろう。私、何で本音を話しちゃうんだろう。
鈴ちゃんに理解されたいから? 私を綺麗に見せたいから?
――「もっとちゃんと腕立てしてよ。ほら、ちゃんと腕曲げて」
――「悠子ちゃんは上手いよねー。期待の星?」
――「えー、なんでこのくらいのシャトル取れないわけ? ちゃんと動いてよ」
――「穂波さんは全然ダメだし、副部長は悠子ちゃんで決まりだね」
――「穂波さんって、なんで此処入ったの?」
先輩たちの声が蘇ってくる。うるさいうるさい、と心の中で思いながら、じっと耐えていた自分の姿。それでも一向に上手くならない、自分の姿。頬に雫が伝って、私の手の甲にぽたり、と落ちた。
私は、鈴ちゃんに同情して欲しいのだ。だから、こんな安っぽい涙を流せるのだ。
けれど、鈴ちゃんの言葉は、私の期待していたものとは違った。
「それは、どちらに正義があったんだ?」
「え……?」
「それは、お前に悪いところがあったのか、それとも、先輩の一方的なものだったのか、という意味だ」
鈴ちゃんが言って欲しい答えは分かってる。「私が悪い」。
「……多分、悪いのは、私、です」
瞬時に鈴ちゃんにも私にも都合の良い答え方が見つからなかったから、そう答えた。その答えを聞いた鈴ちゃんも、そうだろうな、と小さく頷いた。
「当時のお前も嫌な思いをしたかもしれない。でも、今は違うんだろう? ちゃんと、自分の方に非があって、先輩が正しいことを言っていたというのが分かった。お前は今、その先輩に感謝しているんじゃないのか?」
相当的外れだけれど、頷いておいた。私は先輩に感謝しているどころか、今でも大嫌いだ。あんな先輩、誰が好きになるもんか。
でも、先輩の態度はある意味当たり前なのだ。私はどうしようもなく下手だから。毎日部活動に来ているくせに、全く上手くならないから。目に見えて上達している悠子が贔屓目で見られて、私に文句をつけるのは、当然の結果。
「だから、お前も、後輩の目なんか気にせずに――」
鈴ちゃんの声が耳を素通りする。後輩の目を気にしてまで、注意するのは、正直言って、めんどくさい。
鈴ちゃんに対して、綺麗に見せるのは間違いだった。私はすごく中途半端だ。綺麗じゃない部分を見せるのを拒んで、嘘を吐いて、頷いて、それで生じる嫌悪感。
適当に頷いていると、いつの間にか休憩時間も終わり、鈴ちゃんから開放された。その時には、あの安っぽい涙も、見事なくらいにぱったり無くなっていた。
「あぁ、そうだ、この漢字練習帳、教室で配っといてくれ」
「はい、分かりました」
鈴ちゃんにノートを渡され、受け取る。十五冊ぐらいだから、そこまで重くない。漢字練習帳をもったまま、職員室を出ると、目の前には悠子がいた。
「どうだった? 鈴ちゃんのお説教は?」
「聞いてたの?」
「まさか。たまたま通りかかっただけ。ほら、体育館からの帰り。あ、半分持つよ」
そう言うと、悠子は半ば無理矢理に漢字練習帳を半分取った。別に軽いから、しなくてもいいんだけど。
「ありがと。てか、あんたもさ、たまにはバドミントン生活から抜けてみたら? 流石に飽きない?」
「飽きない。今日も、片桐くんコテンパンにしたし。でも、食後はあんま動かないほうが身のためだね。腹痛い」
「大丈夫? ……てか、片桐?」
突然、後ろから気配がして、振り返った。
そこには、まるで今からおどかそうとしているようなポーズで止まっている片桐の姿。片桐は、私が振り返ると同時に、ち、と小さく舌打ちした。
「悠子、俺のこと話しちゃダメだってー」
「ごめん。でも穂波の後ろで抜き足差し足って感じで近づく片桐がおかしくって。つい、口をついて出ちゃった」
「どっちみち、気配で分かる」
私はつん、と言い放ちながら、片桐に漢字練習帳を手渡す。
「嘘つけ。あ、『日付書け』って書いてある」
片桐は怪訝そうに眉を顰め、漢字練習帳を見る。
「日付書いてないの?」
「書いてない。つか、これ、鈴ちゃんが書いたっぽい」
のぞきこむと、独特な字で『日付書け』と書いてあった。端っこのほうに『鈴村』と書かれた判子が押してある。私も漢字練習帳をパラパラと赤い大きな花丸が書かれているページを捲れば、今日出したページだけ、殺風景に判子だけ押してあった。
「あぁ、国語の先生、出張か何かで今日休みだから、鈴ちゃんが見たんだよ」
私が答える。
「国語の先生ゆーな。国語の先生の名前で呼べ」
「はいはい、大原先生、ね」
悠子に突っ込まれ、私はへらり、と笑いながらそう言う。もう、先生が変わって三ヶ月は過ぎたけど、未だに咄嗟に思い出せなくて『国語の先生』と呼んでしまう。
「で? 何で穂波には何も書かれてない訳?」
「私、ちゃんと日付書いてるもん」
私は片桐に漢字練習帳を開いてみせる。
「うわ、ちゃんと書いてる」
「マジメですから」
「うそつけ」
片桐が眉を顰めそう言った。




